オペラ御殿 メインメニューに戻る


HANDEL
1739




SAUL

HWV 53
オラトリオ 英語
初演:1739年1月16日、ロンドン、ヘイマーケット国王劇場
台本作家:チャールズ・ジェネンズ
原作:旧約聖書サムエル記
   →エイブラハム・カウリーの叙事詩《ダヴィデイズ Davideis》

   《ソール》は、ヘンデルが本格的に英語の劇的オラトリオに乗り出したという点できわめて重要な作品です。これまでにもヘンデルは英語の声楽大作を手掛けていますが、彼はあくまでオペラが本流であると信じて続けていました。しかしこの《ソール》以降は、英語による劇的オラトリオが彼の作曲活動の中心となるのです。


《ソール》の作曲経緯

 ヘンデルが《ソール》の作曲に当たったのは1738年のことですが、おそらくその伏線はそれより3年前に遡ります。1735年7月28日付けのチャールズ・ジェネンズに宛てた手紙で、ヘンデルはジェネンズから送られたオラトリオについて謝意を表しているのです。残念なことに題名については言及がないので、これが《ソール》の台本なのかどうかは分かりません。もしそうだとすると、ヘンデルは3年間もこの台本をほったらかしたことになります。
 いずれにせよ、1730年代半ばの3年間で、ヘンデルを取り巻く環境が激変したことだけは間違いありません。仮にジェネンズが1735年に《ソール》の台本をヘンデルに送っていたことが事実だとしても、ヘンデルがそれに関心を示すようになるまで時間がかかった、ということです。

 ヘンデルは1738年7月23日に《ソール》の作曲に取りかかっています。8月8日には第2幕の概要ができあがり、8月15日には全体の草稿が完成したといわれています。
 しかし9月の初め頃、ヘンデルは《ソール》の作曲を一時中断し、9月9日から《イメネーオ》の作曲にとりかかっています。
 9月18日にジェネンズがヘンデルを訪問、ここで《ソール》について両者の間で話し合いが持たれています。
 翌9月19日付けでジェネンズがガーンジー卿に出したの有名な手紙が残されています。その中でジェネンズは、「ヘンデル氏の頭の中は今まで以上に奇妙奇天烈なことに満ち溢れています」とぼやいています。
 ジェネンズのぼやきの第一は、ヘンデルが用いようとしたカリヨンについてのことです。この楽器は、鍵盤でグロッケンシュピールを鳴らすようなものです。ジェネンズの手紙では、ヘンデルがある人はこの楽器をトバルカイン(Tubalcain 英語読みだとチューバルケイン?)と呼んでいることを紹介しています。トバルカインというのは、旧約聖書の創世記第4章に登場する人物で、「青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者」、つまり鍛冶屋の始祖とみなされていました。ひょっとしたらこのカリヨンも、鍛冶のようにけたたましい音を出して、ジェネンズを眉をひそめさせたのかもしれません。
 第二は、500ポンドをかけて新たに製作したオルガン。これはポジティヴオルガンと呼ばれているようなものでしょう。
 ジェネンズがぼやくだけでなく、強硬にヘンデルに抗議したのは、ヘンデルが幕切れにハレルヤコーラスを置いたことでした。ハレルヤとはヘブライの言葉で「神を讃えます」と言う意味で、ソールとジョナサンの死を哀悼する第3幕の後半の雰囲気には合いませんし、デイヴィッドを王に擁くことで結束するイスラエルの民という最後の場面の意味が薄まってしまいます。ヘンデルもジェネンズの主張を受け入れ、幕切れはジェネンズの意図した通りになりました。
 ヘンデルは20日に《イメネーオ》の概要をまとめると、再び《ソール》に取り組みます。
 全曲の完成は9月27日。ただし、その後も初演まで(あるいは上演期間中も)大小様々に改訂を加えていると思われます。
 通常ヘンデルは大曲でも作曲に一月かけることは余りありませんでしたから、中断を含め二月以上もかかった《ソール》には相当苦労したことがわかります。


旧約聖書におけるサウルとダビデ

 サウルとダビデの物語は、旧約聖書のサムエル記の中に見られます。
 サムエル記自体かなり読みやすい話ですし、サウルとダビデの絡む箇所はそれ程長くもないので、《ソール》をお聞きになる際にはざっとでも該当部分に目を通すことをお勧めいたします。

 主要なエピソードをここに簡単に紹介しておきます。


あらすじ

第1幕
 羊飼いの若者デイヴィッドが宿敵フィリスタイン人勢力の大男ゴライアーを殺し、フィリスタイン人たちを敗走させたので、盛大に凱旋の祝賀が行われている。ソールの娘マイカルはデイヴィッドに一目惚れ、しかし幸せになるには障害があることを嘆く。将軍アブナーがソールにデイヴィッドを紹介する。ソールはデイヴィッドを歓迎し、娘婿にすると宣言する。神の力あってのことと謙遜するデイヴィッドに、ソールの息子ジョナサンは感動する。一方、マイカルの姉であるメラブは、財産もなく身分も低いデイヴィッドに反感を覚える。ジョナサンは、生まれや財産は関係ないと姉に反論し、神がデイヴィッドに与えた能力を高く評価する。大祭司も彼らの精神を讃える。ソールは、メラブとデイヴィットを結婚させようと言う。しかしメラブは、王家の血に平民の血を混ぜるとは、と怒り出す。マイカルは、姉はデイヴィッドの価値を分かっていない憤慨する。
 その後、デイヴィッドは連戦連勝で、民衆から高い人気を獲得する。今回も勝利を収め帰還してくるデイヴィッドを女性たちが出迎えている。彼女たちが、ソールは敵を数千人倒したのに対し、デイヴィッドは数万人倒した、と二人を比較するので、ソールはデイヴィッドに対して激しい嫉妬を感じてしまう。ますます高まる賞讃の声に、ソールはデイヴィッドに対する恐怖すら感じ、我慢できなくなってしまう。ジョナサンは女性たちの軽率な言動を非難する。マイカルは、ソールの機嫌が変わるのはいつものこと、今までのようにデイヴィッドの竪琴の音によって平静を取り戻すだろう、とあまり心配しない。大祭司が、調和の偉大さを説く。
 アブナーはソールの苦しみ具合を説明する。デイヴィッドは主にソールの傷ついた魂を癒すように祈り、竪琴を奏でる。しかしソールの怒りは収まらず、ついにデイヴィッドに向かって槍を投げつけてしまう。逃げ出すデイヴィッド。メラブは父の行為にあきれてしまう。ジョナサンは、父への愛と友情の間で悩みつつ、敬虔なデイヴィッドを守ることにする。一同がデイヴィッドの無事を祈る。

第2幕
 合唱が嫉妬よ立ち去れと歌う。
 ソールからデイヴィッドを殺すよう命じられたジョナサンだったが、デイヴィッドに従うつもりがないことを打ち明ける。デイヴィッドはソールの気が変わるのが早いことに驚く。ジョナサンによると、メラブは他の人と結婚したという。デイヴィッドはそのことはあまり気にせず、マイカルに思いを馳せる。
 ソールが現れ、ジョナサンはデイヴィッドを隠す。デイヴィッドを殺したかと尋ねるソールに、ジョナサンはデイヴィッドをもう傷つけないでほしいと懇願する。ソールも心を和らげ、デイヴィッドに宮廷に戻るよう命じる。ジョナサンは、英雄こそ怒りを自制できる、とソールに念を押す。デイヴィッドがソールの前に姿を現す。ソールは心中穏やかでないものの、それを何とか隠して、マイカルとの結婚を許す。喜ぶデイヴィッド。しかし一人になると、ソールはデイヴィッドを強敵フィリスタイン人との戦いに向かわせることを思いつき、敵の刃にかかって倒れればいいと思う。
 デイヴィッドと結ばれることになったマイカルは、彼に愛していると伝え、二人は喜び合う。合唱が、神を喜ばせるために生きる人に刃向かっても無駄なこと、と語る。
 デイヴィッドはまたも戦いで勝利を収め、そのために再びソールの嫉妬が燃え上がる。それをデイヴィッドはマイカルに嘆いている。デイヴィッドの危機を察したマイカルは、彼を逃がして寝床に人形を置く。ソールの命でダビデを討ちにやってきた手下は、これに気付いて、王の怒りを警告する。マイカルは、罪のない自分は武器を恐れないと言い返す。
 一方、かつてデイヴィッドを馬鹿にし多メラブも、今では考えを改め、祭りで悪いことがおきないよう、ジョナサンがなんとかデイヴィッドを守ってほしいと思う。
 祭り。ソールがデイヴィッドを待ち構えている。しかしデイヴィッドは実家のあるベツレヘムに帰っていた。ジョナサンからそのことを聞いたソールは激昂し、デイヴィッドをかばうジョナサンに向かって槍を投げつけてしまう。かろうじてジョナサンは逃げ出す。
 合唱が、理性によって抑えられない怒りの恐ろしさを歌う。

第3幕
 ソールは天から見放されたと思い、変装してエンドールの魔女のもとを訪れる。かつて自ら占いを禁じたにもかかわらず、彼は魔女にサムエルの霊を呼び出すよう求める。ソールはサムエルの霊に、自分はどうしたら希望が持てるのか尋ねます。しかしサムエルの霊は、かつてソールが宿敵アマレク人を救ったが故に、既に神はソールを見捨て、デイヴィッドに運命を託したことを告げる。
 戦い。一人のアマレク人がデイヴィッドに、ソールとジョナサンが死んだと告げる。なぜそれを知っていると尋ねるデイヴィッドに対して、彼は、瀕死のソールに頼まれ彼を殺した、彼の王冠と腕輪を取って持ってきた、と明かす。デイヴィッドは激怒し、アマレク人を殺すよう命じる。
 葬送行進曲。民衆が悲しむ。ソールの死が異教徒に知られないようにと注意を呼びかける者、ソールの亡くなったギルボアの山を嘆く者、ソールとジョナサンの勇気を讃える者、イスラエルの娘たちに二人を追悼するよう訴える者。デイヴィッドはジョナサンの死を嘆く。大祭司が、ソールが失ったものをデイヴィッドが取り戻すことになろう、と民生を励ます。一同のデイヴィッドを讃える声で幕となる。


ジェネンズの台本

 旧約聖書のサムエル記は、場面ごとの描写は劇的ですが、おそらく各種の説話をまとめたため、全体として話の一貫性には細かいぶれがあります。
 台本を作成したチャールズ・ジェネンズは、全体を見事に圧縮するだけでなく、混乱しがちな展開をすっきりとまとめることに成功しています。無理に物語的にするのではなく、飛び飛びの場面をバランスよく配置するという手法をとったことが成功の一因でしょう。

 全体の枠として、冒頭にはデイヴィッドがゴライアーに勝利して帰還する華々しい祝賀の場面を、そして幕切れ前にはソールとジョナサンを哀悼する場面を置き、そして民衆がデイヴィッドを讃える合唱で締めくくり、デイヴィットを軸に据えています。
 第1幕では、長い合唱による導入部分の後に、マイカル、デイヴィッド、メラブ、ジョナサン、大祭司(さらにメラブ、マイカル)とアリアが続きほぼ全員の性格描写を一気に行っています。面白いことにこの箇所ではソールにはアリアが外されています。ソールの嫉妬に狂う様子は、シンフォニーを挟んだ後に強く打ち出されています。
 ジェネンズのソールの扱いは見事です。
 サムエル記においては、サウルが死に至るのは、ダヴィデと出会うずっと前に、イスラエル人の宿敵であるアマレク人との戦いに勝利したときに、彼らを皆殺しにしなかったことが原因で、運命が跳ね返るようにサウルたちはアマレク人によって死を遂げます。サムエル記では、戦いの後アマレク人を殲滅しなかったサウルにサムエルが激しく抗議をし、サウルも自分の過ちをはっきり認識しています。後にサムエルが彼と決別したことで、彼自身、自分が見放された運命であったことは感づいています。
 一方ジェネンズの台本では、サムエルの登場をエンドルの魔女が呼び出す一度だけに限定しているので、ソールは自分の運命がずっと前から見放されていたことに最後にいたってようやく気付かされます。しかもジェネンズはサムエルの亡霊に対するソールの反応は一切描かず、その後のソールの登場もなく、ただその死が報告されるだけです。
 ソールの娘メラブをジェネンズが拡大してのも特徴です。彼女はサムエル記上に2箇所で登場していますが、そのうち後の部分(上18)、サウルがダビデにメラブを妻として与えると約束したものの反故になったエピソードは、いわゆる七十人訳と呼ばれているギリシャ語訳の旧約聖書では落ちており、あまり一般的なものではありません。しかしジェネンズはむしろそのエピソードからメラブという女性を創り出しています。


音楽

   《ソール》の音楽の構成は次のようになっています。

《ソール》の音楽設計一覧図

 《ソール》は、イタリアオペラとはずいぶん異なった作風で書かれています。
 もちろん、アリアは重用されています。30曲、つまり全体の半分近くはアリアです。しかしそのうち、ダ・カーポ・アリアやダル・セーニュ・アリアはわずか4曲だけしかないのです(マイカルの O Godlike Youth!、デイヴィッドの O King, your Favours with Delight I take、ジョナサンの Birth and Fortune I despise!、デイヴィッドの Such haughty Beauties rather move。メラブの Capriciou Man もBärenreiterの楽譜ではダルセーニョがついていますが、これは誤り)。二部構成をとったり有節形式になっているものもありますが、単一形式の小さなアリアがかなり積極的に活用されています。
 ヘンデルは、こうした短いアリアを、アッコンパニャートやレチタティーヴォ、あるいは他のアリアと連結させ、一つの場面を作り、そうした場面の間にシンフォニー(オーケストラのみの間奏)を挟んで、時間とドラマを進行させています。

 まずは、個々の登場人物のアリアから見ていきたいと思います。

 物語の核というべきソールは、しかし実はアリアがたったの3曲しかありませんし、しかもこれら3つのアリアはどれも規模としては大きいものでもありません。これは、後述するように、初演でソール役を歌ったバス歌手ギュスターヴズ・ワルツがあまり優秀ではなかったことも関係しているかもしれません。
たとえば第1幕の With Rage I shall burst his Praises to hear! は、単独で取り出すと、規模の小さな(58小節)の“怒りのアリア”です。しかしこのアリアはその前の合唱−アッコンパニャート−合唱−アッコンパニャートという流れの最後に位置することで、ソールの止められない激しい苦悶が示されるようにできているのです。ここにダ・カーポ・アリアを置いてはむしろ劇性が損なわれることをヘンデルはちゃんと理解しているのです。第2ヴァイオリンとヴィオラの16分音符の刻みがソールの引き攣った形相を表しているようです。
 第2幕の A Serpent in my Bosom では、激しいオーケストラ伴奏やコロラトゥーラが効果的に振りまかれた華やかな歌など、かなりイタリアオペラのアリアに近づいている印象があります。変イ長調(Bb)の調性が一旦終始し(48小節)、ダ・カーポ・アリアのBの部分とおぼしき部分が始まるのですが、これはわずか4小節で打ち切られ、終結和音も主和音(Bb)ではなくGmで、まるで突然打ち切られたように終わります。怒りに任せてソールがデイヴィッドに槍を投げ、デイヴィッドが逃げ出すという緊迫した一瞬を、この“突然の中断”で見事に描いているのです。
 第2幕の As great Jehovah lives は、後述するように、ジョナサンのアリアの中に取り込まれるような面白い形態になっています。
 このように、ソールの曲にはアリアの醍醐味というものが欠けています。主役としては随分寂しい扱いです。
 しかし、ソールには、それを補って余りある多数の劇的なアッコンパニャート、存在感のあるレチタティーヴォがあります。  第2幕終わり近くの新月祭の場面でジョナサンに槍を投げる部分はアッコンパニャートとレチタティーヴォだけなのですが、それゆえ直後の合唱 O fatal Consequence of Rage が極めて痛烈に聞こえてきます。

 デイヴィッドのアリアは6つあります。そのうち、ダカーポないしはダルセーニョをとるアリアは2つ、それ以外に有節形式が1つ、あとは単純な構成でできています。なお、第3幕の一連の哀歌におけるO let it not in Gath be heard、From this unhappy Day、Brave Jonathan his Bow ne'er drew、In sweetest Harmony they liv'd もBärenreiterの楽譜では全てデイヴィッドのアリアに指定されていますが、実際には声種を変えて別々のソロで歌われるのが一般的です。

 O King, your Favours with Delight I take はダカーポ形式。いたって優美な音楽で、控えめに装飾歌唱が加えられています。ここでのデイヴィッドはあくまで竪琴を奏でる優美な少年であって、ペリシテ人との戦いで勝利を収めた勇者ダビデの姿は浮かんできません。
 竪琴弾きのダビデの姿は、O Lord, whose Mercies numberlessでより直接的に描かれます。この曲は、前奏+本体(繰り返しのある有節形式)に加え、アリアと同じ素材によるハープ独奏のシンフォニアが続いており、デイヴィッドの竪琴のこの上ない美しさ(しかしそれすらもソールの気持ちを和らげられないのですが)を見事に描いています。
 第2幕の初めにある Such haughty Beauties rather move も、ダル・セーニョの付いたアリアです。これも O King, your Favours with Delight I take 同様、柔らかさの勝ったアリアです。
 Your Words, O King は、マイカルを妻にできると聞いて喜ぶアリア。G(ト長調)、アレグロの急速でキリリとした音楽。短い中にデイヴィッドの喜びが駆け抜けて行きます。
 勇者デイヴィッドの姿を示すものは、何と言っても第3幕でアマレク人に怒りをぶつける Impious Wretch です。この激しい音楽のアリアには、しかし面白いことに、イタリアオペアでこの状況のアリアなら必ずつけられたであろう華麗な装飾がまったくありません。デイヴィッドの怒りは、3度、4度、そしてオクターヴの跳躍だけで表現されているのです。これも当然ヘンデルの意図したことで、ダ・カーポ形式をとっていないことも併せ、短い音楽に強いエネルギーの音楽を与え、かつ後奏で消え入るように減弱していく(最後の2小説はアダージョ)ことで、怒りがヨナタンへの哀悼の気持ちへと転じ、続く葬送行進曲を導いています。
 第3幕の一連の哀歌のうち、Brave Jonathan his Bow ne'er drew と In sweetest Harmony they liv'd は一般的にデイヴィッドが受持ちます。

ジョナサンにはアリアが5つあります。
 第1幕の Birth and Fortune I despise! はダ・カーポ形式。Aの部分は、3/8の明るい歌で、「美徳により」という部分だけアダージョでかみしめるように歌われ、ジョナサンの誠実な性格が強調されています。
 第1幕の終わり近くに置かれた No, no, cruel Father, no では、まずb(ロ短調) 3/8 ラルゲットで、デイヴィッドを殺せというソールの命令にかなり渋っている様子が描かれます。そしてG(ト長調) 4/4 アッレーグロと全く違う楽想に変わり、「世界を敵に回しても友を守る」という決意がきっぱりと表明されます。このアリアもジョナサンの潔い性格を良く示しています。
 第2幕のジョナサンの2つのアリア、Sin not, O King(2番まである)と From Cities storm'd の前半の音楽素材は同じもので、この間に気持ちを落ちつけたソールがデイヴィッドに危害を加えないことを約束する As great Jehovah lives が置かれています。From Cities storm'd の後半(30小節から)では、理性で感情を抑えたソールを讃えますが、この部分が単に喜ばしい音楽ではなく、d(ニ短調) 4/4 アンダンテで切実さをもって描かれていることがその後の展開の布石になっています。

 デイヴィッドの妻となるマイカルにはアリアが5つ、うち4つが第1幕にあります。
 O Godlike Youth! は、マイカルの娘らしさを示したもので、彼女の素直な娘の美しさを印象付けます。ダルセーニョあり。
 第1幕の真ん中では、メラブとマイカルが直で比べられています。ソールがデイヴィッドをメラブの夫とすると命じると、まずメラブが反発し My Soul rejects the Thought with Scorn を、それに憤慨したマイカルが See, see, with what a scornful air を歌い、さらにマイカルは Ah! lovely Youth! でデイヴィッドを失ったことを嘆きます。アリアがこのように3曲、間に何も置かずに密着するのは珍しいでしょう。しかもマイカルのアリアにはどちらも前奏がありません。彼女の感情がストレートに、まずa(イ短調)で憤慨し、ついでF(ヘ長調) ラルゲットで溜息をつくように嘆くのです。この作りはいやでも聞き手をマイカルに同情させる巧みなものです。
 フルートのソロを伴う美しいアリア、Fell Rage and black Despair possest は、一見物語の流れから外れているようにも思えますが、直前のソールの怒りのアリア With Rage I shall burst his Praises to hear! から、竪琴弾きデイヴィッドの歌 O Lord, whose Mercies numberless を導くための布石として重要です。フルート・ソロは、単に美しい彩りを添えているばかりではなく、Struck(竪琴を弾く)、And peace and hope(平和と希望)といった言葉をエコーでなぞっており、マイカルのデイヴィッドへの心乱れぬ信頼をも表しているようです。
 マイカルのアリアは第2幕には1つしかありません。しかしその前に彼女はデイヴィッドとの二重唱が2つ、対照的なものがあります。
 O Fairest of ten thousand Fair は、やっと結ばれた二人の愛の二重唱。牧歌的な幸福感に包まれた伸びやかな音楽で、これはデイヴィッドの徳を讃える合唱(全く同じ音楽)に引き継がれ、感情が激しくぶつかりあう第2幕の中、束の間の平安が与えられています。
 一方、デイヴィッドの連戦連勝を表すオルガン協奏曲風のシンフォニーを挟んで直後の二重唱 At Persecution I can laugh では、嫉妬したソールから刺客を放たれ命を狙われているデイヴィッドを何とかして逃がそうとする切迫したもの。ここに来てマイカルは強さをもち、次のアリア No; Let the Guilty tremble では揺ぎない毅然とした態度になります。3/8にリズムが、鋭くなったり、せわしなく動いたり、半音階的になったりと、マイカルの必死な様子がうかがえます。
 台本上、マイカルはこの後はっきりとは登場しません。それだけに逆にこの第2幕でのマイカルの大きな人間的成長は印象に残ります。

 ソールのもう一人の娘、メラブの4つのアリアのうち、第1幕のはじめの2つ、What abject Thoughts a Prince can have と My Soul rejects the Thought with Scorn は、どちらも内容的にはデイヴィッドを見下すもの。面白いことに、どちらもG(ト長調) 4/4で、かなり固い印象の歌です。
 第1幕のもう一つの歌 Capriciou Man は、デイヴィッドに槍を投げ付けたソールに対するピリリとした皮肉のアリア。なお、このアリア、Bärenreiter社の譜面にはダル・セーニョがついてますが、これは誤りのようです。
 第2幕の終わり近くに置かれた Author of Peace 、その前に置かれたレチタティーヴォでメラブもダヴィデの高潔さに心を開いたことが告白され、アリアではソールの怒りが収まることを祈ります。このメラブの変化は、彼女が第2幕ではこの場面まで全く登場していなかっただけに、唐突な印象が残るのはやむをえないでしょう。直前のマイカルの No; Let the Guilty tremble と同期させ、デイヴィッドによってメラブまでもが本来の善良さを取り戻す、という、話の<整合>をもたらしているのはジェネンズらしいものです。音楽は、後奏を除くと全て通奏低音だけ、g(ト短調) ラルゴの切々とした美しいものです。激しいマイカルのアリアと、華やかな新月祭のシンフォニーの間に置かれたクッションとしての機能の意味も大きいかもしれません。

 《ソール》での合唱曲は13曲、全体の1/5を超えていますが、出番としては決して多いというほどではありません。それでも、合唱曲の多くは音楽の中で非常に重要な役目を担っています。
 第1幕の冒頭には、How excellent、Along the Monster Atheist strode、The Youth inspir'd by Thee, O Lord、How excellent...Hallelujahと、ソプラノのアリア1曲を挟んで4曲合唱曲が並んでいて、華やかさを盛りたてています。なお、Along the monster atheist strode は、Bärenleiter社の譜面も含め、三重唱と指定されていますが、これは実際には合唱曲であると考えられています。
 ソールに嫉妬が芽生える場面は効果的です。まず娘たちがデイヴィッドを讃える合唱、Welcome, welcome, mighty King! を歌います。この部分はソプラノ2とアルトの女性合唱のみ。伴奏にカリヨンが用いられ、祝祭的な雰囲気をかきたてつつも、バスのない弦にオーボエ2という軽い調子。しかしこれがソールの愕然としたアッコンパニャートを挟んだあとの David his Ten Thousands slew では、トロンボーン3、トロンバ2、ティンパニ、そしてバス、そして男声(テノール、バス)まで加わったフル編成となります。音楽は同じ素材ですので、この対比は強烈で、これによってソールの嫉妬は歯止めが利かなくなってしまうのです。ちなみにカリヨンが奏でる音楽は、フランチェスコ・ウーリオという人の曲を借用したもの。
 第2幕の冒頭の Envy! eldest born of hell は、非常に優れたもの。この部分は物語からは一歩引き、人々が出来事を冷静に見つめ、道徳的な警告をしているものです。バスが延々同じ音形(変ホ長調で、八分音符がド−ドシラソファミレドという、オクターヴ跳躍から音階下降)を繰返します。この音形が執拗に続くと、突然、「自らを最も暗い夜の中に隠れよ、美徳はお前の姿を嫌う!」という部分だけコラール風の音楽になります。この部分にはハッとさせられます。なお、ジェネンズはこの合唱を、原作として参考にしたエイブラハム・カウリーの叙事詩《ダヴィデイズ》から受継いでいるそうです。
 各幕の幕切れは合唱です。ヘンデルの描写の凄みを感じる曲です。
 第1幕は Preserve him for the Glory of thy Nameは、長い第1部を締めくくるには意外に地味なもの。その直前の大祭司のアリア While yet thy Tide of Bloodruns high で、デイヴィッドがソールの犠牲にならないようにと大祭司は述べており、これを受けて民衆がデイヴィッドの無事を案じているのです。第2幕以降で加速するデイヴィッドへのソールの過度の嫉妬をここで予見しているかのような、静かな、しかし不安の宿っている音楽です。
 第2幕の Oh fatal consequence は大変素晴らしい曲です。ここで合唱は嫉妬から自滅していくソールを冷静に見つめているのです。ヘンデルはここで、時にカノン風に、時にリズミックに歌わせることで、不安定な雰囲気を作り上げています。この曲もこれはフランチェスコ・ウーリオという作曲家のテ・デウムの Quos pretioso sanguine から取られたものですが(他にもこの作品からの借用があります。後述)、実に流れにはまった素晴らしい効果をあげています。
 第3幕の幕切れ Gird on thy Sword は、フル編成の力強く輝かしい合唱。ここにはデイヴィッドという新たな王の下で結束するイスラエルの民の希望が描かれています。

 この他、個々の曲を見ていくときりがありません。

 既に述べているように、ヘンデルは《ソール》において、比較的短い曲を連結させることで、場面中心への音楽を作っています。
 その効果が良く現われている場面として、第3幕第1場のエンドルの魔女の場面を挙げておきましょう。この場面、アッコンパニャート(ソール)−レチタティーヴォ(ソール)−レチタティーヴォ(ソールと魔女)−アリア(魔女)−アッコンパニャート(サムエルとソール)と、刻々と音楽を切り替えて変化に富んだ緊張感を作り上げています。サムエルが登場するアッコンパニャートでのファゴット2本の幽玄な効果は巧みなものです。この部分はサムエルの語りで終わり、ソールの反応は描かれず(またソール自身もはや登場せず)、戦いを表すシンフォニーに直結させています。このことでかえってソールの没落を際立たせています。

 シンフォニーについては折々で触れました。効果的な音楽を支えているのは、トロンボーン3、トロンバ(トランペット)2、、オーボエ2、ファゴット2、そして弦とコンティヌオ、さらにティンパニ、カリヨン、オルガンという大規模な編成です。この大オーケストラの威力は、第1幕冒頭部分、カリヨンコーラス、それに幕切れ合唱で遺憾なく発揮されています。なお、戦いのシンフォニーもウーリオのテデウムからの借用。


創唱者たち

《ソール》の初演で歌った歌手は次のような人たちでした。

SaulGustavus WaltzBass
DavidRussellAlto
JonathanJohn BeardTenor
MichalElisabeth DuparcSoprano
MerabCecilia ArneSoprano
High PreistKellyCountertenor
Witch of EndorMari Antonia Marchesini?Mezzo soprano
Ghost of SamuelHusseyBass
DoegJames (or John) Butler Bass
Amalekitemichael StoppelaerTenor
 
 ギュスターヴズ・ウォルツ、ジョン・ビアード、エリーザベト・デュパルク、セシリア・アーンといった人々は、ヘンデル・ファミリーといって良いほど、ヘンデルの作品の上演に多く関わっている人たちです。

 ギュスターヴズ・ウォルツはドイツ生まれのバス歌手。おそらく1733年7月にヘンデルがオックスフォードで《アタライア》を初演した際に知合ったと思われます。この年、第二次ロイヤルアカデミーが頓挫したためイタリア人歌手たちがヘンデルから離れてしまい、ウォルツは英語のオラトリオのみならず、コヴェントガーデン時代のイタリアオペラでも活躍しました。初演に限ると、《ソール》の他には、1734年に《アリアンナ・イン・クレタ》(ミノス)、1735年に《アリオダンテ》(スコットランド王)、《アルチーナ》(メリッソ)、1736年に《アタランタ》(ニカンドロ)、1739年に《エジプトのイスラエル人》に出演しています。
 《アリオダンテ》や《アルチーナ》での扱いから見て、どうやら必ずしも優れたバス歌手ではなかったようで、ソール役は再演ではほとんどヘンリー・セオドール・レインホールドが歌っています。

 ジョン・ビアード(1717頃-1791)は、1732年5月《エスター》の1732年稿の初演で始めてヘンデル作品で歌い、1734年以降はヘンデルのイタリアオペラ、英語のオラトリオどちらでも不可欠といっても良いほど活躍したテノールでした。
 初演に関わったものだけでも、1735年には《アリオダンテ》(ルルカーニョ)、《アルチーナ》(オロンテ)、1736年に《アレクサンダーの饗宴》、《アタランタ》(アミナータ)、1737年に《アルミーニョ》(ヴァーロ)、《ジュスティーノ》(ヴィタリアーノ)、《ベレニーチェ》(ファビオ)、1739年に《エジプトのイスラエル人》、1740年に《陽気な人、思い耽る人そして穏健な人》、1741年に《サムソン》(サムソン)、1744年に《セメレ》(ジュピター、アポロ)、《ジョウジフとその兄弟》(シミエン、ジューダ)、1745年に《ハーキュリーズ》(ハイラス)《ベルシャザー》(ベルシャザー、ゴブリアス)、1746年に《機会オラトリオ》、1747年に《ジューダス・マカビーアス》(ジューダス)、1752年に《ジェフサ》(ジェフサ)、1757年には《時と真実の勝利》(喜び)。もちろん他の作品の再演にも多数出演しています。ことに《メサイア》は、1743年のロンドン初演以来ヘンデルが直接関わった公演だけでも1745年、そして1751年から1759年まで毎年歌っています。
 1759年にかのジョン・リッチの娘と結婚、1761年にリッチが亡くなるとコヴェントガーデン劇場の運営を継ぎました。

 <ラ・フランチェジーナ>の愛称で知られるエリーザベト・デュパルク(?-1778)は、フランス生まれイタリアで学んだソプラノ。1737/38年のシーズンから、アンナ・ストラーダと入れ替わるようにヘンデルのオペラに参加しました。
 ヘンデルの作品の初演では、1738年に《ファラモンド》(クロティルデ)、《セルセ》(ロミルダ)、1739年に《エジプトのイスラエル人》、1740年に《イメネーオ》(ロズメーネ)、《デイダミア》(デイダミア)、1744年に《セメレ》(セメレ)、《ジョウジフとその兄弟》(アセナス)、1745年に《ハーキュリーズ》(イオル)、《ベルシャザー》(ニトクリス)、1746年に《機会オラトリオ》に出演しています。

セシリア・アーン(1711-1789)は、ヘンデルが重用した女性歌手が非英国人が多かったなか、最も活躍した英国女性歌手。本来の名前はセシリア・ヤングで、作曲家トーマス・アーン (Thomas Arne 1710-1778)と1737年3月に結婚しアーン姓になりました。
 ヘンデルの作品の初演では、1735年に《アリオダンテ》(ダリンダ)、《アルチーナ》(モルガーナ)、1736年に《アレクサンダーの饗宴》、さらに時代が下がって1751年に《ハーキュリーズの選択》(美徳)に出演しています。もちろん、様々な作品の再演にも多数。《アリオダンテ》や《アルチーナ》ではセコンダドンナですが、結構高度なアリアが与えられていることからも、卓越した歌手であったことがうかがえます。

 デイヴィッド役のラッセルという歌手については、《ソール》の初演以外ヘンデルとの直接の関わりはどうもなさそうです。実はデイヴィッド役は、本来マリア・アントーニア・マルケジーニ Maria Antonia Marchesini というメッゾソプラノのために書かれたと推測されており、あるいはラッセルは何らかの事情で代役として歌ったのかもしれません。この歌手はカウンターテナーだと考えられています。しかし、アンソニー・ヒックスはこれを否定、ラッセルはテノール歌手で、オクターヴ下げて歌ったのだろう、と推測しています。
 なお、マルケジーニは初演ではエンドルの魔女を歌ったと推測されていますが、これも定かではなく、テノールが歌ったという説も有力です。

初演、再演、楽譜の異動

 初演は1739年1月6日、ヘイマーケットの国王劇場で行われ、好評を得ました。1月23日、2月3日、10日、3月27日、4月19日と、計6回の上演がありました。

 ヘンデルの関わった再演は以下の通り。
 1740年3月21日にロンドンのリンカーンズ・イン・フィールズ劇場で再演が1回。この時からソール役がレインホールドに交代、ダブリン公演以外は1750年までかれがソールを受け持っていました。
 1741年3月18日には再びリンカーンズ・イン・フィールズ劇場で再演が1回。この時はソプラノカストラートのジョヴァンニ・バッティスタ・アンドレオーニ Giovanni Battista Andreoni がデイヴィッド役を歌ったので、一部イタリア語だったと思われます。
 1742年5月25日には、《メサイア》初演の後、ダブリンのニューミュージックホールで特別公演。この時はスザンナ・マリア・シバー Susanna Maria Cibber (トーマス・アーンの妹)がデイヴィッドを歌っています。
 1744年3月16日と21日に、コヴェントガーデン劇場で再演。
 1745年3月13日には、国王劇場で1回の再演。
 1750年3月2日と7日に、コヴェントガーデンで再演。なおこの公演と1754年の公演では大祭司の役がそっくりカットされました。
 1754年3月17日と20日に、コヴェントガーデンで再演。この時はソール役はロバート・ウォス Robert Wass に替わっています。

 再演の間に、ヘンデルは様々な楽譜の改編を施しています。
 例えば、第2幕のソールの The time at length is come は、通常聞かれるアッコンパニャートの音楽以外に、ヘ長調 Andanteで書かれたアリアの稿もあります。
 第3幕幕切れ直前の Ye men of Juday は、本来大祭司のレチタティーヴォでしたが、これは1739年の段階では大祭司の歌うアリア(D 3/8 Allegro)に置きかえられました。もっともこれはこの時だけの措置のようです。
 こうした楽譜の異動については、もう少し情報が集まったら改めて記すことにします。


参考資料

HÄNDEL Saul B&aunl;renreiter Klavierauszug ISBN M-006-44308-6
George Frideric Handel SAUL Miniature score Kalmus K 01320 ISBN 0-7692-6869-2

Handel's Dramatic Oratorios and Masques Winton Dean Oxford University Press, Clarendon Paperbacks ISBN0-19-816184-0
Handel Donald Burrows Oxford University Press, 1994
ヘンデル クリストファー・ホグウッド (三沢寿喜 訳) 東京書籍, 1991
ヘンデル 大音楽家人と作品 15 渡部恵一郎 音楽之友社, 1966


※いずれのCDでも、特記していない限り、冒頭のシンフォニーでの Organo ad libitum、第1幕のメラブのアリア Capriciou Man のダルセーニョ、第2幕のシンフォニーのGavotte は演奏されていません。

Gidon Saks, Lawrence Zazzo, Jeremy Ovenden, Rosemary Joshua, Emma Bell, Finnur Bjarnason, Henry Waddington, Michael Slattery
Concerto Köln, RIAS Kammerchor
Rene Jacobs
Berlin, November 2004
Harmonia Mundi France HMC 901877.78

Neal Davies, Andreas Scholl, Mark Padmore, Susan Gritton, Nancy Argenta, Paul Agnew, Jonathan Lemalu
Gabrieli Consort & Players
Paul McCreesh
London, October 2002
ARCHIEV PRODUKTION UCCA-1036/8 (Japanese domestic)

現時点ではこれが最も優れた演奏です。デイヴィッドを歌うアンドレアス・ショルとジョナサンを歌うマーク・パドモアが圧倒的で、この二人だけでも他の録音を大きく引き離しています。特にショルのデイヴィッドはグーの音も出ないほど素晴らしい出来です。それだけに、第3幕の哀歌での Brave Jonathan his Bow ne'er drew を歌っていないのはちょっと残念です。ソールを歌うニール・デイヴィスはちょっと声が軽めで、悪くはないものの存在感は今一つ。
ポール・マクリーシュの演奏は強い統率力で引き締まったもの。寒色系の音楽作りがところどころ音楽が要求するものとの距離を感じてしまうところもあるとはいえ、全体としては非常に優れているでしょう。
冒頭のシンフォニーでの Organo ad libitum を珍しく演奏しています。
第3幕の哀歌の扱いは、O let it not in Gath be heard はテノール、From this unhappy Day はソプラノ、Brave Jonathan his Bow ne'er drew はソプラノ用のオーボエ付きの短いもの、In sweetest Harmony they liv'd はソプラノ。

Alastair Miles, Derek Lee Ragin, John Mark Ainsley, Lynne Dawson, Donna Brown
English Baroque Soloists, Monteverdi Choir
John Eliot Gardiner
Göttingen, June 1989
PHILIPS 426 265

ゲッティンゲンのヘンデル・フェスティヴァルでのライブ録音。
1980年代のヘンデル演奏の中では優れたものの一つで、発売時には圧倒的な出来栄えに感じられたものです。しかし、その後十数年のヘンデル・ブームの隆盛の後の今聞きなおすと、物足りなく感じる部分も出てきました。
ライヴ録音なのでエリオット・ガーディナーのヘンデルの録音の中では窮屈さは少ない方ですが、それでもさらなる彫りの深さや熱気が欲しいところです。
歌手では、マイカルを歌うリン・ドーソンとソールを歌うアラステア・マイルズは秀でています。特にマイルズの深々としたバスの声(しかも装飾歌唱がうまい)は実に見事、バリトンで歌われることの多いソールですが、こうした優れたバスでこそ生きる役です。ジョン・マーク・エインズリーのジョナサンも悪くありません。一方、デレク・リー・レギンのデイヴィッドとドナ・ブラウンのメラブはかなり落ちます。
カリヨン・シンフォニーでは、後から太い響きのベルを重ねることで立体的な美しさを出しています。
基本的にノーカットです。第2幕のシンフォニーのうち、Largo と Allegro の繰返しだけ省略しています。
第3幕の哀歌の扱いは、O let it not in Gath be heard は大祭司、From this unhappy Day はメラブ、Brave Jonathan his Bow ne'er drew はデイヴィッド、In sweetest Harmony they liv'd はマイカル。

Stephaan MacLeod, David Cordier, Knut Schoch, Barbara Schlick, Claron McFadden, Marcel Beekman, Gotthold Schwarz
Barockorchester Frankfurt, Junge Kantorei
Joachim Carlos Martini
Eltville am Rhein, May 1997
NAXOS 8.554361/63

収録内容はこれが最も多いものです。
時代楽器を使用した本格的な演奏ながら、ヨアヒム・カルロス・マルティーニの指揮には今一つ強い個性が感じられません。ソールを歌うステファン・マクリオードは、声はともかく、感情表現が浅くて残念です。
このCDでは、他で聞けない珍しい音楽がいくつか聞けます。第1幕のデイヴィッドのアリア Fly, malicious Spirit、第2幕のシンフォニーの Gavotte (しかも後半までリピート)、第3幕の大祭司の Ye men of Juday のアリアの稿は、いずれも今のこれが唯一の録音。また、メラブのアリア Capriciou Man で、誤りとされるダルセーニョをあえて実行しています。
第3幕の哀歌の扱いは、O let it not in Gath be heard は大祭司、From this unhappy Day はメラブ、Brave Jonathan his Bow ne'er drew はデイヴィッド、In sweetest Harmony they liv'd はマイカル。

Gregory Reinhart, Matthias Koch, John Elwes, Vasilika Jezovsek, Johannes Kalpers
Collegium Cartusianum, Kölner Kammerchor
Peter Neumann
Köln, 11 June 1997
MDG GOLD 332 0801-2

ペーター・ノイマンは、ドイツ風のガッシリとした音楽に鋭いリズムを生かしたもので、英国風のヘンデルとは異なった主張をしています。
歌手は、とりたてて大きな問題がある人もいない代りに、ソール役のグレゴリー・ラインハート、デイヴィッド役のマティアス・コッホ、ジョナサン役のジョン・エルウィスと、いずれも決め手に欠けます。
第2幕のレチタティーヴォ O strange Vicissitude! とデイヴィッドのアリア Such haughty Beauties rather move、さらにその後のレチタティーヴォ My Father comes がカットされています。
第1幕の大祭司のレチタティーヴォThis but the smallest part of Harmony とアッコンパニャート By thee this Universal Frame は本編には収めず、補遺として収録しています。
第1幕のデイヴィッドの O King, your Favours with delight I take はAの部分のみ。 第3幕の哀歌の扱いは、O let it not in Gath be heard はテノール、From this unhappy Day はソプラノ、Brave Jonathan his Bow ne'er drew はデイヴィッド、In sweetest Harmony they liv'd はソプラノ。

Stephen Varcoe, Michael Chance, Marc LeBrocq, Nancy Argenta, Laurie Reviol
Die Hannoversche Hofkapelle, Maulbronner Kammerchor
Jürgen Budday
Maulbronn, 28 & 29 September 2002
K&K VERLAGSANSTALT LC 11277

ユルゲン・ブッダイの指揮するマウルブロンでのヘンデルのシリーズの一つ。
オーケストラも合唱もひなびたもので、技術的な問題もあるのか快速なテンポで飛ばすことなぞなく、最近のスピーディーでダイナミックなヘンデルを聞いた後だとかなりのんびりした印象があります。そうした素朴なヘンデルを聞きたいという人向け。
歌手はベテランが多数。ソールを歌うスティーヴン・ヴァーコーやマイカルを歌うナンシー・アージェンタは、さすがに声に年齢が出ているのが気になるとはいえ、悪くありません。一方デイヴィッドを歌うマイケル・チャンスは声の揺れがかなり問題。ジョナサンを歌うマルク・ルブロックも単調。
カットが結構入っています。
丸々カットされているのは、冒頭のシンフォニーのうち Andante larghetto、第1幕の大祭司のレチタティーヴォ Go on, illustrious Pair! とアリア While yet thy Tide of Blood runs high、大祭司のレチタティーヴォThis but the smallest part of Harmony とアッコンパニャート By thee this Universal Frame、第2幕のレチタティーヴォ O strange Vicissitude! とデイヴィッドのアリア Such haughty Beauties rather move、第3幕の O let it not in Gath be heard。
第2幕のシンフォニーのうち Largo と Allegro は繰返しなし。
第3幕の哀歌の扱いは、From this unhappy Day はソプラノ、Brave Jonathan his Bow ne'er drew はデイヴィッド、In sweetest Harmony they liv'd はソプラノ。

Dietrich Fischer-Dieskau, Anthony Rolf Johnson, Paul Esswood, Julia Varady, Elizabeth Gale, Helmut Wildhaber, Matthias Hölle
Concentus Musicus Wien, Konzertvereinigung Wiener Staasopernchor
Nikolaus Harnoncourt
Wien, 28 April 1985
TELDEC 4509-97504

ウィーンのムジークフェラインザールでのライヴ録音。
アーノンクールらしい隈取のきついヘンデルで、ちょっと好みが分かれそうです。
フィッシャー=ディースカウのソールが目玉でしょう。たしかに圧倒的な存在感がありますが、ヘンデルの音楽とは異質な印象が拭えません。ヴァラディも同傾向。エスウッドとロルフ・ジョンソンは良いと思います。
ライヴということでカットがかなり多くっています。
丸々カットされているのは、第1幕の大祭司のレチタティーヴォ Go on, illustrious Pair! とアリア While yet thy Tide of Blood runs high、大祭司のレチタティーヴォThis but the smallest part of Harmony とアッコンパニャート By thee this Universal Frame、大祭司のアリア O Lord, whose Providence、第2幕のレチタティーヴォ O strange Vicissitude! とデイヴィッドのアリア Such haughty Beauties rather move、第3幕の哀歌の Brave Jonathan his Bow ne'er drew。
部分的なカットでは、第1幕のデイヴィッドの O King, your Favours with delight I take はAの部分のみ、第2幕のジョナサンのアリア Sin not, O King は1番のみ、シンフォニーのうち、Largo と Allegro は繰返しなし、合唱 O fatal concequence of Rage に2箇所のカット。
第3幕の哀歌の扱いは、O let it not in Gath be heard はジョナサン、From this unhappy Day はマイカル、In sweetest Harmony they liv'd はメラブ。
また、現在では合唱曲と考えられている第1幕の Along the monster athiest strode も三重唱で歌われています。

Donald McIntyre, James Bowman, Ryland Davies, Sheila Armstrong, Margaret Price, John Winfield, Stafford Dean, Gerald English
Charles Mackerras
Leeds, May 1972
ARCHIV PRODUKTION 447 696-2


ISRAEL IN EGYPT

HWV 54
オラトリオ 英語
初演:1739年4月4日、ヘイマーケット国王劇場
台本:?(チャールズ・ジェネンズ?)


作曲

本来は2部の作品を予定していた。
第2部(後の第3部)〈モウジズ(モーセ)の歌〉の草稿を1738年10月1日から11日までに書き、次いで、第1部(後の第2部)〈出エジプト〉の草稿を、10月15日から20日までに書いている。〈出エジプト〉の総譜は10月28日に、〈モウジズの歌〉の総譜は11月1日に完成。
 作曲過程で、ヘンデルは〈出エジプト〉に先立つ第1部を構想、全体を3部からなる作品にした。


初演

 1739年4月4日、国王劇場。4月17日までに3回の公演。

エリザベート・デュパルク Elisabeth Duparc (ソプラノ)
ウィリアム・サヴァイジ William Savage (カウンターテノール)
ジョン・ビアード John Beard (テノール)
ギュスターヴズ・ウォルツ Gustavus Waltz (バス)
ヘンリー・セオドア・ラインホルド Henry Theodore Reinhold (バス)
そしてロビンソンという少年。

 失敗に終わる。劇場で聖書の言葉を直接使った音楽を上演したため、反発が大きかったと思われる。

 4月11日の上演では、デュパルクのために4曲アリアを補充。1曲は、《アタライア》の Through the land、他の3曲は、《エスター》の1737年稿で用いられたイタリア語のアリア。


再演

1740年4月1日、リンカーンズ・イン・フィールド劇場
1回のみ。ほぼ初演と同じ形態。

1756年3月17日、コヴェントガーデン劇場
第1部を差替え。《ソロモン》や《機会オラトリオ》から転用。
3月24日と合わせて2階の上演。

1757年3月7日、コヴェントガーデン劇場
1回のみ。

1758年2月24日、コヴェントガーデン劇場
1回のみ。



3部の稿を用いているもの


Rosemary Joshua, Atsuko Suzuki, Gerhild Romberger, Kobie van Rensburg, Simon Pauly, Thomas Hamberger
Concerto Köln, Chor des Bayerischen Rundfunks
Peter Dijkstra
München, November 2008
900501

Laura Albino, Nils Brown, Jennifer Enns Modolo, Peter Mahon, Eve Rachel McLeod, Jason Nedecky, Bud Roach, Jennie Such, Sean Watson
Aradia Ensemble
Kevin Mallon
Toronto, 3 - 10 January 2008
NAXOS 8.570966-67

Susanne Cornelius, Antonia Bourvé, Tim Mead, Bernhard Berchtold, Klemens Sander, Mika Kares
Orchester der Deutschen Händel-Solisten, Chamber Choir of Europe
Anthony Bramall
Karlsruhe, 27 February 2006
BRILLIANT CLASSICS 93131

Vasilika Jezovsek, Dorothee Mields, Annette Markert, James Gilchrist, Christian Immler, D'Arcy Bleiker
NDR-Chor, Dresdner Barockorchester
Hans-Christoph Rademann
Hamburg, 10 March 2001
NDR KLASSIK EDITION VOLUME 20

Susan Gritton, Libby Crabtree, Michael Chance, Robert Ogden, Ian Bostridge, Stephen Varcoe, Henry Herford
The Choir of King's College, Cambridge, The Brandenburg Consort
Stephen Cleobury
Cambridge, 4-7 & 18-20 July 1995
DECCA 452 295-2

Nicola Jenkin, Sally Dunkley, Caroline Trevor, Neil MacKenzie, Robert Evans, Simon Birchall
The Sixteen, Orchestra of The Sixteen
Harry Christophers
Hampstead, March 1993
COLLINS 70352

現在は、第1部〈ヨセフの死へのイスラエル人の嘆き〉を除いた2部の形で、The Sixteen の自主製作レーベル CORO から再発されています。

Nancy Argenta, Emily Van Evera, Timothy Wilson, Anthony Rolfe Johnson, David Thomas, Jeremy White
Taverner Choir & Players
Andrew Parrott
London, August-September 1989
Virgin VERITAS 5 61350 2



2部の稿を用いているもの


Julia Doyle, Martene Grimson, Robin Blaze, James Oxley, Peter Harvey, Stephan MacLeod
Arsys Bourgogne, Concerto Köln
Pierre Cao
Luxembourg, Paris & Dijon, October 2009
Eloquentia EL1022

Miriam Allan, Sarah Wegener,David Allsopp, Benjamin Hulett, Steffen Balbach, Daniel Raschinsky
Hannoversche Hofkapelle, Maulbronner Kammerchor
Jürgen Budday
Maulbronn, 26 & 27 September 2009

Ruth Holton, Elisabeth Priday, Donna Deam, Ashley Stafford, Michael Chance, Patrick Collin, Jonathan Peter Kenny, Nicolas Robertson, Philip Salmon, Paul Tindall, Andrew Tusa, Julian Clarkson, Christopher Purves
English Baroque Soloists, Monteverdi Choir
John Eliot Gardiner
Göttingen, 4, 7 June 1990, London, 20 June 1990
PHILIPS PHCP-5311-2 (Japanese domestic)

余白に戴冠アンセムから、〈祭司ザドク〉 HWV 258と、〈王は主の力によって喜び〉 HWV 260 を収録。

Christopher Royall, Ashley Stafford, Paul Elliott, Jean Knibbs, Marilyn Troth, Daryl Greene, William Kendall, Stephen Varcoe, Charles Stewart Monteverdi Orchestra, Monteverdi Choir
John Eliot Gardiner
London, October 1978 ERATO R25E-1050-51 (Japanese domestic)

余白に、本来の第1部〈ヨセフの死へのイスラエル人の嘆き〉の原曲である〈キャロライン王日のための葬送アンセム〉を収録。




1705 1706 1707 1708 1709
1711 1712 1713 1715 1718
1719 1720 1721 1723 1724
1725 1726 1727 1728 1729
1730 1731 1732 1733 1734
1735 1736 1737 1738 1739
1740 1741 1742 1743 1744
1745 1746 1747 1748 1749
1750 1751 1752 1757
Appendix 1 Appendix 2 Appendix 3


ヘンデル御殿のホームページに戻る

オペラ御殿 メインメニューに戻る