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HANDEL
1743




SAMSON

HWV 57
初演:1743年2月18日、ロンドン、コヴェントガーデン劇場
台本:ニューバラ・ハミルトン Newburgh Hamilton
原作:旧約聖書 士師記 第16章
   →ジョン・ミルトン John Milton 『闘士サムソン Samson Agonistes』(1671)


作曲と初演

(準備中)

 ヘンデルは、1741年9月14日に《メサイア》のスコアを完成すると、その直後から《サムソン》の作曲に取り掛かりました。そして驚くべきことに、《メサイア》初演のためにダブリンへと出発する前の10月29日にはあらかた書き上げてしまっていました。当時のヘンデルの充実振りが伺えます。
 ヘンデルは1742年8月にダブリンからロンドンへと戻った後、、《サムソン》を十分に練り直しています。最終的に1742年10月12日に完成させています。


原作、台本

(準備中)

 旧約聖書の士師記第13章から第16章に登場するサムソンは、非常に強烈な人物で、ことに第16章のデリラとの話は多くの芸術作品の源となりました。詳細は実際に士師記を読んでいただくとして、話の概要を。

 怪力無双のイスラエル人、サムソンは、敵方であるペリシテ人を多数殺害、彼らから恐れられていた。ある時、サムソンはデリラという女を愛した。それを聞きつけたペリシテ人の主君たちはデリラに、サムソンからその力の秘密を聞き出すよう命じる。だがサムソンもそう簡単に秘密を明かさず、デリラに三度偽りを答えた。しかしデリラから、嘘をを言う者が愛していると言うなんて、と毎日詰られ、ついにサムソンも、切ったことのない髪を剃り落とすと怪力を失う、と明かしてしまう。そして寝ている間に髪を落とされたサムソンは、ペリシテ人に捕らえられ、目をえぐられ枷に繋がれ、巨大な臼をひかされた。やがて、ダゴンの神への犠牲に捧げるため、サムソンは多数のペリシテ人の前に引き出され、嘲られる。だがサムソンの髪は既に伸び始めていた。怪力を取り戻したサムソンは、館の二本の柱を抱えてへし折り、多数のペリシテ人を道連れにして死んだ。

 この士師記の記述を基に、17世紀の英国の高名な詩人、ジョン・ミルトン(1608−1674)が『闘士サムソン』を著します(1671年出版)。


初演

 初演は、1743年2月18日、ロンドンのコヴェントガーデン劇場で行われました。  初演に出演した歌手たちは以下の人たちです。

SamsonJohn Beardtenor
DalilaCatherine Clivesoprano
MicahSusannah Maria Cibbersoprano
ManoaWilliam Savagebass
HaraphaHenry Theodore Reinholdbass
Israelite man /
Israelite Officer
Thomas Lowetenor
Israelite women /
Philistine women
Christina Maria Avolio
Miss Edwards
sopranos

(準備中)

 《サムソン》の初演では、男声がビアード、サヴェイジ、レインホールドといった『ヘンデル組』を中心としているのに対して、女声のクライヴ、シバーがともに女優というのが特徴です。
 タイトルロールを受け持ったジョン・ビアード(1717頃-1791)は、1732年から1759年までの長きに渡ってヘンデルと働いた、まさにヘンデルのテノール。彼が初演で歌ったヘンデル作品を列挙するだけでも長くなってしまいます。ヘンデルの時代はまだテノールが主役を務める機会は決して多くなかったことを考慮に入れると、いかにビアードが高い力量を持った歌手だったか量れます。イタリアオペラでも英語の声楽大作でも歌っていますが、中でもこの《サムソン》の1747年の《ジューダス・マカビアス》の両タイトルロールが重要。また《メサイア》には、1743年のロンドン初演以来、ヘンデルが直接関わった公演に限っても非常に多くの機会で歌っています。1759年にかのジョン・リッチの娘と結婚、1761年にリッチが亡くなるとコヴェントガーデン劇場の運営を継ぎました。
 《サムソン》では、スザナー・マリア・シバー(1714−1766)という人材の発掘が大きな成果でした。シバーは、高名な作曲家トーマス・アーン(,1710−1778)の妹スザナー・マリア・アーンで、声楽は学んでいたものの、歌手としては取り立てて目立つ存在でもなく、1734年に夫シオフィルス・シバーと結婚後はもっぱら女優として活躍していました。1742年春のダブリン楽旅に参加、《メサイア》初演と《ソール》特別公演で歌ってはいたものの、歌手としての技術的限界は否めませんでした。しかし《サムソン》でのマイカでは、彼女が女優で培った表現力が声楽的限界を超え、ヘンデルの友人で音楽に造詣の深いチャールズ・バーニーですら「オペラ歌手より感動的」と評するほどでした。シバーはこの後、1744年11月の《デボラー》再演でのジェイル、1745年3月の《ソール》再演でのデイヴィッドを歌っているほか、《メサイア》でも1743年3月の再演のほか何度もコントラルトを受け持っています。ちなみにシバーは1745年1月の《ハーキュリーズ》初演でのライカスでしたが、初日は調子が悪くほとんど歌えず、さらに同年3月の《ベルシャーザー》初演は直前に降板となりました。
 キャサリン・クライヴ(1711−1785) は、キティ Kitty という愛称で知られた当時のロンドンの高名な女優。ヘンデルは1737年に、彼女が出演する舞台のために英語の歌曲を1曲書いたことがありました。しかし彼女のダリラは評判にはならず、ヘンデルとの関わりは他にこの直後の1743年3月の《メサイア》ロンドン初演のみです。
 ウィリアム・サヴェイジ(1720−1789)は、少年時代にトレーブルとして《アタライア》、《アルチーナ》、《ジュスティーノ》、《ファラモンド》に出演、1739年4月の《エジプトのイスラエル人》ではカウンターテナーとして歌っていますので、この頃声変わりしたのでしょう。後にバスに転向、1740年の《イメネーオ》と1741年2月の《デイダミア》初演などで歌っています。
 ヘンリー・シオドー・レインホールド(?−1751)は、ドイツ系のバス。1736年5月の《アタランタ》初演から1750年3月の《シオドーラ》初演まで、長きに渡って、イタリアオペラでも英語の声楽大作でも、主役、脇役の両方で、ヘンデルの作品にきわめて多数出演しました。ことに《ソール》のタイトルロールは、1739年1月の初演こそ歌っていないものの、1740年3月から1750年3月までの再演はほとんどすべてレインホールドが歌ったと考えられています。他には1745年1月の《ハーキュリーズ》初演でタイトルロールを務めたことが特筆されます。

 初演は大成功を収め、3月31日までに8公演が行われました。

 《サムソン》はヘンデルの生前に何度も再演されました。
 1744年2月24、29日、コヴェントガーデン劇場での上演では、ダリラをエリザベート・デュパルクが歌いました。
 1745年3月1、8日、ヘイマーケットの国王劇場で上演。
 1749年3月3日から15日、コヴェントガーデン劇場で4公演。初演で脇役だったトーマス・ロウ(1719−1783)がサムソンに昇格しています。また、1740、1750年代のロンドンで活躍した二人のイタリア人女声歌手、ジューリア・フラージがダリラ、カテリーナ・ガッリがマイカを歌っています。
 1750年4月4、6日、コヴェントガーデン劇場で上演。ロウがタイトルロール、フラージがダリラを歌い、ガッリが脇役に退き、マイカを高名なアルトカストラート、ガエターノ・グァダーニ(1728−1792)が歌いました。
 1752年3月6日から13日まで、コヴェントガーデン劇場で3公演。ビアードがサムソンに復帰。
1753年4月4日から11日まで、コヴェントガーデン劇場で3公演。フラージがダリア、グァダーニがマイカ。
 1754年3月29日、コヴェントガーデン劇場(1公演のみ)。
 1755年2月26日と3月7日、コヴェントガーデン劇場。ビアードのサムソン、フラージのダリラ。マイカを歌ったコントラルトのイザベラ・ヤングは、音楽一家として知られるヤング家の一人で、ヘンデル作品に多く出演したセシリア・ヤングの姪。
 1759年3月14日から21日まで、コヴェントガーデン劇場で3公演。ビアードのサムソン、フラージのダリラ、ヤングのマイカ。


音楽

(準備中)

 通常、短期集中で作曲するヘンデルが、ダブリン訪問による中断期間を挟んで作曲時期が二期に渡ったためでしょう、《サムソン》はヘンデルの声楽大作の中でもとりわけ規模の大きなものです。
 一方で、


あらすじ

登場人物
サムソン[注]
マイカ サムソンの友人
マノア サムソンの父
ダリラ サムソンの妻
ハラファ ガザのペリシテ人
ほか

注 Samsonは英語の発音では『サムスン』の方が近いのですが、ここでは一般的な表記に従っておきます。

第1幕
 盲目となったサムソンが鎖に繋がれている。今日はペリシテ人が信じるダゴンの神の祭の日なので、サムソンも苦役から解放されるとホッとしている。ペリシテ人たちが祭りに喜び歌う中、サムソンは惨めな我が身を嘆く。イスラエル人たちが現れ、サムソンの友人マイカはサムソンの変わり果てた姿に驚く。サムソンは自らの秘密をダリラに明かしたことを悔いる。マイカは、捕らわれの身と盲目とどちらをまず嘆くべきなのか、との問いに、サムソンは、光を失った盲目の身の絶望を語る。イスラエル人たちは、光をもたらした神を讃え、サムソンに光を与えるよう祈る。しかしサムソンは、光が戻っても恥は雪げぬと落胆している。サムソンの父マノアが息子を捜しに来て、変わり果てたその姿に激しく驚く。一人のイスラエル人の男が、人のはかなさを嘆き、神に人とは何かと問う。マノアは、かつては息子の英雄的行為に喜びの歌を歌ったが、今は悲しみの歌を歌わねばならない、と嘆く。サムソンは、自らの行為を恥じつつ、なおもダゴンの神への敵意を露にし、イスラエルの神に復讐を願う。マノアはサムソンをなだめるが、サムソンは生き長らえることに疑問を感じ、死で苦しみが終わることを願う。それを受けてマイカは天上の喜びについて語り、イスラエル人たちがサムソンが昇天し死に勝利するでするよう祈る。

第2幕
 誘惑に負けたことを嘆くサムソンに対し、父マノアは神を信じるよう諭す。なおも死を願うサムソン。マイカはヤハウェにサムソンへの救いの手を求める。
 サムソンの妻ダリラが乙女たちを伴い現れる。彼女は、サムソンを助けることで償いにしたいと申し出るが、サムソンは自分を裏切った妻を激しく罵る。だがダリラは、サムソンが彼女の執拗な問いに屈したことを咎め、さらに雄が戻らず心配するキジバト[注1]の雌は、雄が戻れば喜びは倍になると、サムソンの気持ちを揺さぶろうとする。だがサムソンはダリラの誘惑の呪いを激しく非難する。ダリラはなおもサムソンに愛の幸福を説き、乙女もそれに加わる。ダリラはサムソンに、手に触れたいと願うが、サムソンはこれを拒み、お前を許す代わりに立ち去れと彼女を退ける。怒ったダリラは本性を表し、二人は罵り合い、そしてダリラは去っていく。イスラエルの男が、女は悪を好み、自らへの愛に支配されている、と歌う。サムソンは、真の妻を見つけた男は幸せだ、とぼやき、イスラエルの民は、男は女によってかき乱されることはない、と歌う。
 ガザ[注2]からやって来た傲慢な男ハラファが、サムソンと力比べをしたかったが盲目の捕らわれの男と戦いたくない、とサムソンを馬鹿にする。腹を立てたサムソンは、ハラファを卑怯者と罵り、対するハラファはイスラエルの神など信じて無駄と嘲る。マイカはハラファに、双方の神のどちらが真の神か、戦って決着をつければよいとハラファを挑発する。イスラエル人たちはヤハウェに祈る。ハラファとペリシテ人はタゴンの神に助力を願う。双方の人々がそれぞれの神を讃える。

第3幕
 ハラファはサムソンに、ダゴンの神の祭りに出るよう求めるが、サムソンは異教の祭りで見世物にされるなどとんでもないと断る。ハラファは、これ以上神の怒りを招く気か、とサムソンに警告し、去って行く。不安を隠せぬマイカ。だがサムソンは、落とされた髪が再び伸びてきたことを感じる。イスラエル人は神にサムソンへの助力を願う。
 ハラファが戻り、ペリシテ人の主君がサムソンを連行する命令を出したと告げる。だがサムソンは自らの意思で敵方に向かうことにし、イスラエル人の同行を断り、異教徒が神々が滅びるであろうことを告げる。マイカらイスラエル人はサムソンを見送りながら、イスラエルの神がついていると励ます。
 息子の解放を探るマノアがやって来るが、ペリシテ人の歓声に事態を理解する。マノアは、わが子への思いを歌う。マイカは希望を捨てない。
 突然、大音響が轟き、ペリシテ人の悲鳴が響き渡る。イスラエル人の使者が駆けつけ、サムソンがペリシテ人の集まった建物を破壊し、敵を道連れにして死んだことを報告する。マイカはイスラエル人にサムソンの死を悼むよう告げ、イスラエル人は嘆き悲しむ。マノアは息子の遺体を捜しに行く。
 サムソンの遺体が運ばれてくる。イスラエル人がサムソンを迎え、マノアはサムソンの栄誉を讃える。イスラエル人が天使たちに、サムソンを讃える音楽を求め、幕となる。

注1 turtle = turtledove キジバト。キジバトのつがいは、強く結ばれた夫婦愛の象徴。
注2 ガザはペリシテ人の主要都市。


参考資料

George Frideric Handel / SAMSON / Miniature score / Kalmus K01319 / ISBN 0-7692-6874-9
HÄNDEL / SAMSON / Klavierauszug / EDTION PETERS Nr.3645

HANDEL'S DRAMATIC ORATORIOS AND MASQUES / Winton Dean / OXFORD UNIVERSITY PRESS / ISBN 0-19-816184-0
ヘンデル / 三澤 寿喜 / 音楽之友社 / ISBN 9784276221710
ヘンデル / クリストファー・ホグウッド(三沢 寿喜 訳) / 東京書籍, 1991
ヘンデル / 大音楽家人と作品 15 / 渡部 恵一郎 / 音楽之友社, 1966

Thomas Cooley, Sophie Daneman, Franziska Gottwald, William Berger, Wolf Matthias Friedrich, Michael Slattery
NDR Chor, FestspielOrchester Göttingen
Nicholas McGegan
Dresden, 5-6 June 2008
Carus 83.425(SACD hybrid

たいへん優れた演奏。長年ゲッティンゲンのヘンデル・フェスティヴァル音楽監督を務めるマッギガンの指揮する《サムソン》は、意外なほどガッチリした骨太のヘンデル。第3幕における悲壮感、しみじみとした感動、そして最終曲の高揚感は、ライヴということもあって、これが一番。キャストは全般に優秀。クーリーのサムソンは英雄的力強さには欠けるものの、若く悩めるサムソンも悪くありません。合唱がドイツの放送局の団体ということで、精度は高くないものの力強く、またアルトが全員女声のためカウンターテノールを入れた合唱とはだいぶ音色が異なります。
SACD3枚ながらカットは多め。丸ごとカットされているのは、第1幕のマイカの Then long eternity、第2幕のマノアの Just are the ways 、第2幕のサムソンの My strength is from the living God 。第2幕のダリラの With plaintive notes は前半のみ。同じくダリラの To fleeting pleasures は、第2節まで繰り返した後、1回だけ Her faith and truth を繰り返し。また第1幕の序曲 Sinfonia がリピート不履行などですこし短縮されています。レチタティーヴォは、通常カットされる箇所はすべてカット、それ以外にも数箇所のカットがあります。計2時間47分ほど。
ドレスデンの聖母教会での演奏。

Marc LeBrocq, Sinéad Pratschke, Michael Chance, Raimund Nolte, David Thomas
Maulbronner Kammerchor, Barockorchester der Klosterkonzerte
Jürgen Budday
25-26 September 1999, Maulbron
K&K Verlagsanstalt KuK62

基本的にドイツ的なカッチリとしたヘンデル。
CD2枚にギリギリ収まる程度までカットが入っています。

Thomas Randle, Lynda Russell, Catherine Wyn-Rogers, Michael George, Jonathan Best, Mark Padmore, Lynne Dawson, Matthew Vine
The Sixteen, The Symphony of Harmony an Invention
Harry Christophers
London, 11-20 November 1996
COLLINS 70382

演奏の素晴らしさと、全曲で約3時間25分という分量から、一番に推すべき録音。クリストファーズの瑞々しくも神経の行き届いた演奏、ランドルの逞しいサムソンが上手く噛み合って相乗しています。脇役のイスラエル人がえらい上手いと思ったらなんとパドモア。ラッセルのデリラが本当に貞淑な妻に聞こえるのが贅沢な不満か。
レチタティーヴォも含めてノーカット。また第2幕のペリシテ人の合唱の To song and dance we give the day の前に、ペリシテ人の To song and dance we give the day を追加しています。
現在は、The Sixteen が自主レーベル CORO で再発しています。

Rolf Johnson, Alexander, Kowalski, Scharinger, Miles
Concentus Musicus Wien
Harnoncourt
Wien, May 1992
TELDEC 9031-74871-2

カットは多め。
ウィーンのムジークフェラインザールでのライブ録音。

Robert Tear, Helen Watts, Janet Baker, John Shirley-Quirk, Benjamin Luxon, Norma Burrowes, Felicity Lott, Philip Langridge, Alexander Oliver
London Voices, English Chamber Orchestra
Raymond Leppard
October 1978, London
ERATO 2292-45994-2

3時間32分。




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Appendix 1 Appendix 2 Appendix 3


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