1721 |
HWV13
オペラ イタリア語
初演:1721年4月15日、ロンドン、ヘイマーケット国王劇場
台本:パオロ・アントーニオ・ロッリ
1720年、オペラブームが加熱し、ヘンデル一人ではオペラの創作が間に合わなくなり、王室音楽アカデミーはイタリアから大家ボノンチーニを招きます。これは後々政治抗争をも巻き込んだ対立になっていくのですが、とりあえずこの時点ではアカデミーは二人が一幕ずつ作曲したオペラを上演する構想をうちたてました(当時よくあったことです)。ボノンチーノが第2幕を、ヘンデルが第3幕を担当することになりました。残った第1幕は、コヴェントガーデンのオーケストラのチェリスト、フィリッポ・アマデイが書いたそうです。
どういう理由で分担作曲になったのかは諸説あります(時間の問題というのが一番実際的でしょう)が、これが両者のいらぬ対抗意識に油を注いだことは間違いないでしょう。
Baird,Mills,Matthews,Fortunato,Lane,Urrey,Ostendorf
Brewer Baroque Chamber Orchestra
Palmer
New York,1991
Newport Classic NPD 85540/2
ボノンチーノの作曲した第2幕と、ヘンデルの作曲した第3幕を収録しています。
HWV14
オペラ イタリア語
初演:1721年12月9日、ロンドン、ヘイマーケット国王劇場
台本:パオロ・アントーニオ・ロッリ
大御所ボノンチーニがロイヤル・アカデミーに加わると、さすがのヘンデルのオペラも順調なままには行かなくなってしまいました。ボノンチーニの作品は2シーズンで実に63回も上演されるほど好評で、全くヘンデルはかなわない状況でした。
この「フロリダンテ」も、ヘンデルはかなり自身を持っており、セネジーノ他の豪華キャストを配したにもかかわらず、十分な成功を収めることは出来ませんでした。その原因は、同時期にボノンチーニの名作「グリセルダ」が圧倒的な成功を収めたからに他なりません。
もちろんだからといってヘンデルの作品の価値が下がるわけではありません。
ただ失敗が単に運が悪かったのだけかというと、そうとばかりは言えない気もします。というのも、「フロリダンテ」の台本はヘンデルの全オペラの中でも異例なほど激しい設定を持っているからです。
王女エルミーラと凱旋してきた英雄フロリダンテは再会を喜びますが、国王オロンテはフロリダンテに王女と結婚させる約束を反故にし彼を追放するばかりか、今度は自分が彼女に求婚します。オロンテは彼女の実の父ではなく、王家を皆殺しにした簒奪者で、正当な王権を受け継ぐために彼女を生かしていたのです。恋人たちは逃亡を図りますが捕らえられます。あわや処刑という時にクーデターが起こり、めでたしになります。
こういう物語ですから、ケバケバしいアリアは余りありません。むしろ苦悩するエルミーラのアリアのように、渋いものがどれも見事です。つまりこの作品は話が分らなくても楽しめてしまうような外面性が乏しく、内省的に充実している作品なのではないでしょうか。
いずれにせよ、今日から見るとむしろ水準は高い作品のように思えます。
ちなみにボノンチーニは1722年に起きた政治闘争に巻き込まれる形でイギリスを離れます。彼は再度ロンドンに現われますが、その時は既にヘンデルの黄金時代でした。
Minter,Zadori,Gati,Moldvay,Markert,Farkas
Capella Savaria
McGegan
Gottingen,4 & 5 June 1990
HUNGAROTON HCD 31304-06
おなじみマッギガンによる演奏。彼は派手さはないですが、決して様式を踏み外さないので実に安心して聞くことができます。歌手も上々です.ただ、ガティのオロンテが実に堂々としているのに比べると、ミンターのフロリンダンテは少々貫禄負けしています。