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1740




L'ALLEGRO, IL PENSEROSO ED IL MODERATO

HWV 55
パストラル・オーデ 英語
初演:1740年2月27日、ロンドン、リンカーン・イン・フィールズ劇場
台本:ジェイムズ・ハリスおよびチャールズ・ジェネンズ
原作:ジョン・ミルトン《陽気な人》および《思い耽る人》

 この《陽気な人、思い耽る人そして穏健な人》という奇妙な題名(日本語訳名は様々です)の作品は、れっきとした劇場向けの英語の合唱を伴った声楽大作ですが、しかしオラトリオではなく、かといって普通のオードとも異なった、大変独特の性格を持った作品です。そしてヘンデルならではの魅力に満ちたユニークな傑作です。

 1739年の暮れから翌年初頭にかけて、ロンドンは音楽活動には非常に悪い状況に陥っていました。10月19日には英国がスペインに対して宣戦布告、戦争(ジェンキンズの耳戦争)が始まりました。加えて強烈な寒波の襲来。テームズ川が完全に凍りついたといいますから相当なものです
 ヘンデルは冬のシーズンを11月22日のリンカーン・イン・フィールズ劇場での《聖セシリアのためのオード》で開始、さらに12月13日から《エイシスとガラティア》を、新たに手を加えた形態で上演をしますが、結局歌手の病気とロンドン市民が寒さのために外出を控えてしまったことで、12月20日から翌年の2月21日まで劇場を閉鎖せざるをえなくなってしまいました。

 こうした厳しい状況の背後で、しかしヘンデルはある計画に猛烈な関心を示していました。英国の高名な詩人、ジョン・ミルトンの二つの対の詩、《陽気な人 L'Alegro》と《思い耽る人 Il Penseroso》(1632)を融合させて台本にし、これに音楽をつけて劇場作品にしようというのです。この奇抜なアイデアに、ヘンデルの創作意欲は湧き上がりました。
 この台本は、長らくチャールズ・ジェネンズの手によるものだと言われてきました。《ソール》、《メサイア》、《ベルシャザール》とヘンデルに優れた台本を与えたジェネンズがこの《陽気な人》にも深く関与していたのは確かです。
 しかし近年になって、ミルトンの二つの詩をまとめるという画期的な企画は、ジェネンズが考え出したものではなく、ヘンデルとジェネンズ共通の友人であったジェイムズ・ハリスという人物の発想だったと分りました。
 ハリスは1739年の12月、まずジェネンズに草案を見せ、ジェネンズがそれをヘンデルのもとに届け感想を尋ねます。ヘンデルはこれを大変気に入り、一気に作品が具体化したのです。
 ハリスは二つの詩を合わせ、郊外の田園を舞台にした第1部、都会を舞台にした第2部に振り分け、かなり細部までまとめたようです。これに対しヘンデルは、《思い耽る人》の部分があまりに多く連続していることに難色を示し、こうした点をジェネンズが手直ししたと考えられます。
 ヘンデルはまた、《陽気な人》と《思い耽る人》の融和を示す終結部分を必要と考えました。ここに来て、毎度おなじみのヘンデルとジェネンズの意見の相違が始まります。ヘンデルはこの終結もミルトンの詩、具体的には《荘厳な音楽で At a Solemn Musick》から取ることを考えていたようです。ところがジェネンズは、この融和の終結部分をミルトンの題材によることなく、自分で創作してしまったのです。これが第3部の《穏健な人》になります。
 ともかく、いつも通りヘンデルは集中して作曲に望んでいます。1740年の1月19日に開始、25日にはもう第1部を書き上げ、2月2日には第2部を、2月4日には第3部を完成。たったの17日!で書き上げてしまったのです。

 具体的な物語があるわけではありませんので、あらすじを作るのも難しいものです。大雑把に次のような感じです。
 第1部では、陽気な人と思い耽る人は、それぞれ相手を非難しあっています。陽気な人が美しく自由な女神を賛美すれば、思い耽る人は賢く聖なる女神を呼び求め、陽気な人が朝のひばりを歌えば、思い耽る人は夜の森のナイチンゲールを歌う、といった具合。第1部の最後はカリヨンの加わった田舎の踊りの陽気な情景と、それに続く心地よい眠りで締め括られます。第2部では舞台は都会に移ります。思い耽る人は荘厳な悲劇を、陽気な人は喜劇を求めるといった対立が続きます。最後は思い耽る人の憂鬱への賛美が、オルガンを伴った合唱で重厚に歌われます。第3部では、穏やかな人が極端な振る舞いを戒め、陽気さと物憂いの融合を主張、穏健を尊びます。
 第3部では、先のような製作の事情から、基本的に穏健な人のみの世界となっています。
 当時の思想からすると、理性でもって偏った行動を律する中庸さが尊ばれるべきで、作品はそうした観点で締め括られるべきだったのでしょう。しかしこの第3部は、ミルトンの原作に基づいた第1部と第2部に比べ、文学的な水準はもちろん、作品全体のバランスもあまり良い結果とはなっていません。


 《陽気な人、思い耽る人そして穏健な人》の音楽の構成は次のようになっています。
《陽気な人、思い耽る人そして穏健な人》の音楽設計表へ

 音楽は実に素晴らしいもの。第1部と第2部では陽気な人と思い耽る人が交互に歌っていきますので、その対比がおもしろくて飽きさせません。
 田園地方を舞台とした第1部では、この両者の直接対決がどれもおもしろいものです。
 まず最初に見られる両者のレシタティーヴ・アッコンパニャートからおもしろい。ここでそれぞれ相手を非難しあうのですが、それにつけられた音楽は、《陽気な人》にはやたら陰険な音楽を、《思い耽る人》には軽やかな音楽を、といった具合に、正反対の音楽をつけているのです。なんともユーモラスなやり方です。
 第10曲の陽気な人の"Mirth, admit me of thy crew"でひばりの飛ぶ朝の喜びを軽やかな弦の伴奏で歌っています。これに対し第11曲の思い耽る人の"Sweet bird"は、フルートがナイチンゲールの歌を模し、ソプラノが夜の森の静けさを称えます。ダル・セーニョのアリアですから、まさにバロック・オペラの伝統に則っているもの。メランコリックな美しさに満ちています。
 第13曲はホルン・ソロを伴う陽気な人の狩の歌。6/8拍子の躍動感とバスの力強さ、角笛の雄々しさが見事にまとまっています。これに対する第14曲は打って変わって晩鐘に耳を傾ける思い耽る人の歌。チェロとコントラバスのピッジカートとチェンバロが単純な四分音符の繰り返しで遠くから響く鐘の音を模しているのが印象的です。
 第1部では全体としては《陽気な人》の気楽な明るさが引き立っています。例えば第5曲のテノールが歌う"Haste thee, nymph"はとりわけあっけらかんとしたもの。「腹を抱えて holding both his side」という言葉のhoが伸ばされてスタッカートで歌われるので、まさにハハハ!と笑っているように聞こえます。これはそのまま合唱に引き継がれ、一同の大笑いとなります。
 第1部を締め括る第19曲の"O let the merry bells ring round"では、歌詞通りカリヨンが陽気に響き渡ります。この曲の最後が疲れ果てて寝てしまう静かな音楽で終るのもうまい作りです。
 都会生活を描いた第2部では、曲数が少なくなり、一つ一つの曲の規模が大きくなっています。
 陽気な人の曲では、まず舞台の豪華な催しを称える、イ長調 4/4 アッレーグロの快調な"There let Hymen oft appear"、シェイクスピアの劇を見に行こうと元気の良い"I'll to the well-trod stage anon"がどちらも楽しいもの。後者はハ長調 4/4 ポンポーゾ(華やかに)で、スタッカートの歯切れの良いバス声部と、ヴァイオリンの三連譜が活力感を出しています。オルフェウスの歌を称える"Orpheus' self may heave his head"や、トロンバ(トランペット)が輝かしさを加える"These delights if thou canst give"はどれも都会的な機敏さ、スマートさを持った明るく楽しい曲になっています。
 しかしこうした陽気な人の曲も、思い耽る人の最後の三つの曲の荘厳な美に圧倒されてしまっています。
 荘厳な合唱"There let thepealing organ blow"では、3回の合唱の後にそれぞれオルガンが即興演奏するようになっています。
 最後の合唱"And we with thee wioo choose to live"は、かなり意識して重厚なフーガを用いています。
 第3部の《穏健な人》は、先に述べたようにジェネンズのオリジナルで、当時の思想を反映したものとはいえ、他の2部のような対立もなく、ただ説教調に穏健を説くだけですから、起伏に欠けるのは否めません。ヘンデルもあまり筆が乗らなかったようで、もう一つ決め手に欠ける気がします。とはいえ、二重唱"As steals the morn"での真実と知性を尊ぶ、感情の融和の歌は、作品の集約として幅の広い豊かさがあるものです。

 初演では、陽気な人はトレーブル、ジョン・ビアード John Beard (テノール),ヘンリー・ラインホールド Henry Reinhold (バス)の三人が分担、一方思い耽る人はエリザベート・デュ・パルク Elisabeth du Parc (ソプラノ)が一人で担当しています。穏健な人はそれぞれの声種を担当したのでしょう。

 1740年2月27日のリンカーンズ・イン・フィールズ劇場での初演は、大寒波のために劇場に足を運ぶ人も多くはなかったようですが、3月14日までに計4回上演があったのですから、この状況下ではまずまず好評だったといえるのではないでしょうか。歌手は少年のトレーブル、テノールのジョン・ビアード、バスのヘンリー・レインホールドが陽気な人を分担、一方思い耽る人はソプラノのエリザベート・デュ・パルクが一人で担当しています。なお、この時には第1部と第2部の序曲として作品6のコンチェルト・グロッソのうちのどれかが、また第3部の前にはヘンデル自身の独奏によるオルガン協奏曲作品7‐1が演奏されました。

 ヘンデルがこの作品を気に入っていたことは間違いありません。彼は生前に何度も再演をしています。1741年の1月31日、2月7日と21日に行われた再演では、1月10日に初演された彼の最後のイタリアオペラ《デイダミア》にウリッセ役で出演していたアルト・カストラートのジョヴァンニ・バッティスタ・アンドレオーニが参加しています。"There, held in holy passion still"と"Far from all resort of mirth"が彼のために加えられていますが、彼は英語が話せないため、彼が歌うことになった既存の曲ともどもイタリア語に直されて歌われました(これらはその後オリジナル通り英語に戻されました)。
 《メサイア》の初演が行われたダブリン訪問の際にも《陽気な人》は上演されました(1741年12月23日、1742年1月13日、3月17日)。この時は、先のアンドレオーニのための追加曲は外され、数曲がスザンナ・シバー(コントラルト)のために手直しされています。
 1743年のコヴェントガーデン劇場での再演(3月18日)では、不評を反映してか、第3部をそっくりカットし、第2部の最後をあのトランペット付きのThese delights if thou canst giveになるよう改編しています。その上で、《聖セシリアの日のためのオード》を最後に演奏しています。この形態は1754年と55年の再演でも同様でしたから、ヘンデルの決定稿なのでしょうが、作品本来のバランスを崩してしまっていることから、現在では初演の形態を、1742年までの再演で用いられた形をもとに、追加変更曲を適宜選択して上演するようになっています。

 とにかくユニークな傑作です。

Christine Brandes, Lynne Dawson, David Daniels, Ian Bostridge, Alastair Miles
Ensemble Orchestral de Paris, Bach Choir
John Nelson
Paris, 24-29 June 1999
Virgin veritas 5 45417 2

 ここに挙げた他の全ての演奏が時代楽器を用いた演奏なのに対し、これはモダン楽器を使用したもの。当然ピッチも高く、音楽がずっと輝かしい印象になっており、それが好みを分けるところでしょう。
 ネルソンの指揮はヘンデルの音楽をしっかり把握した大変見事なもの。伸びやかさも躍動感も十分です。
 ソリストに珍しくカウンター・テナー(ダニエルズ)を起用し、4番、20番、32番は別ヴァージョンが用いられています。バスのマイルズは堂々とした明るい美声。通常ソプラノやテノールで歌われる29番のOrpheus' self may heave his headにバスのための別稿(29a)が用いられ、素晴らしい歌を聞かせてくれます。テノールのボストリッジは声も技術も高度ですが、やや生真面目過ぎます。

Gritton, Anderson, McFadden, Agnew, Davies
The King's Consort
King
London,5-12 February 1999
HYPERION CDA67283/4

テノールのアグニューは表情も多彩で聞かせます。それに比べると女声はやや不満が残ります。合唱の優秀さに驚かされます。
キングの音楽はさらっとした軽い風合いのもの。ただところどころそれが過ぎている気もします。
アンソニー・ヒックスによる英文の解説が大変分りやすく役に立つ優れものです。

Ginn, Kwella, McLauglin, Smith, Davies, Hill, Varcoe
English Baroque Soloists
Gardiner
London, January 1980
ERATO 2292-45377-2

20年以上の前の録音ですから、歌手の様式や技術、音色の透明感など今となっては不満が多いものの、ガーディナーの音楽はきちっとしたもの。現在の時代楽器演奏よりひなびた味が強いのがおもしろいです。
第1部ではトレーブルに2曲歌わせています。また22番の、チェロを伴った技巧的なBut oh! sad virginがカットされています。

Armstrong, Wetbrook-Geha, Baker, Kelley, Maddalena
Banchetto Musicale
Pearlman
Wellesley, Massachusetts, 12-14 June 1985
ARABESQUE Z6554-2

他の録音と比べると、ソリストもオーケストラもずっと落ちますし、録音もやたらオンマイクの耳が疲れるもの。
21番でアルト用の別稿(21b)を用いています。

Barbara Hannigan, Stephan MacLeod, Linda Perillo, Knut Schoch Barockorchester Frankfurt, Junge Kantorei
Joachim Carlos Martini

NAXOS 8.557057-58

Elsie morison, Jacque Delman, Elizabeth Harwood, Helen Watts, Peter Pears, Hervey Alan
The St Anthony Singers, Philomusica of London
David Willcocks
London, 1960
DECCA 460 287-2

驚いたことに、第3部の《穏健な人》を省略した《陽気な人と思い耽る人》の録音がありました。しかもこのディスクでは同じ指揮者による《聖セシリアの日のためのオード》の録音(これは7年後の録音)を併せているため、結果として1743年以降の上演の形態に近づいています。
本文で説明した通り、曲順がかなり入れ替わっています。
第1部では17番と18番が飛ばされています(第2部に回されています)。
第2部では、
20b-21b-Recitative(Thus, Night)-23-24-25-26-27-28-17-18-Recitative(But let my due feet never fail)-31-32-33-29-30
という順番になっています。20,21番の二曲はアルト用の別稿を使用しています。
当時としては先端を行く小編成の演奏(サーストン・ダートが参加しています)ですが、いかんせん40年以上前では演奏のスタイルが古いことは否めません。ただその限りでは、歌手も含め堅実な演奏だと思います。


IMENEO

HWV41
オペラ イタリア語
初演:1740年11月22日、ロンドン、リンカーンズインフィールズ劇場
台本:ポルポーラの同名のオペラへのシルヴィオ・スタンピーリャの台本を、おそらくヘンデル自信が改訂

 ヘンデルの2年半ぶりの新作オペラとなったのがこの《イメネーオ》です。
 この間のヘンデルは《サウル》を発表することで本格的にオラトリオの世界に踏み入っていました。さらに《エジプトのイスラエル人》を発表、もはや英語のオラトリオという潮流は間違いないものとなっていました。
 ヘンデルは1738年9月9日から20日にかけて《イメネーオ》の作曲(スケッチ)に取りかかっています。彼はこの時既に《サウル》の作曲も始めていたのですが、これを中断して《イメネーオ》に着手したわけなのです。しかしこれもまた中断。ヘンデルはまず《サウル》を完成させます(9月27日)。《イメネーオ》は実に2年間ほおっておかれ、1740年9月になってようやく作曲が再開されました。それだけヘンデルのオペラへの熱意も十分ではなかったのでしょう。結局《イメネーオ》は次の《デイダーミア》と共にヘンデルのオペラ活動の最後を飾るものとなってしまいました。
 海賊にさらわれたロズメーネをアテネ将軍イメネーオが救います。イメネーオは彼女との結婚を求めますが、ロズメーネにはティリントという恋人がいます。ロズメーネは父の意向もあり思いが引き裂かれます。その一方でロズメーネの妹クロミーリはイメネーオを愛しています。とまあ、ここまでの展開はわりとありがちなのですが、おもしろいことにフィナーレでロズメーネが選ぶのはイメネーオなのです!!!どうも不思議なエンディングになっています。
 《イメネーオ》には「英雄オペラ」への諧謔といった趣があります。特に第3幕はそうです。ヘンデルはこの作品でオペラの次の段階を模索していたのかもしれません。その一方で追い詰められたロズミーラの狂乱の場であるレチタティーヴォ・アッコンパニャートの"Miratela"は非常に素晴らしい音楽で、グイグイ引きこまれます。
 《イメネーオ》の初演は悲惨極まりないもので、彼はオペラという分野そのものを放棄せざるを得なくなっていきます。1740年11月22日の初演のあと、ロズメーネを歌ったフランス人ソプラノ、エリーザベト・デュパルクの不調のため続演が延び、12月13日に再演され、そしてこれでお終いでした。
 失敗の原因は主として財政状況の良くなかったヘンデルが十分な質の舞台を作れなかったといわれています。広告すら打てなかったそうですから、仕方ないでしょう。
 しかし音楽はなかなかに高水準です。特に第2幕でイメネーオとティリントのどちらか一方を選ばなくてはならず、板ばさみに苦悩するロズメーネを中心とした三重唱は注目でしょう。また第3幕は楽しい音楽が多くあります。。
 ヘンデルは1741年末から1742年にかけてのダブリン訪問(つまりは《メサイヤ》初演と同じ時)で、この《イメネーオ》を改訂し、1742年3月24日に演奏会形式で上演しています(Hymen ハイメンといわれます)。ロンドンと事情が違うせいもあるでしょうが、こちらは大成功となっています。

Ann Hallenberg, Johanna Stojkovic, Siri Karoline Thornhill, Kay Stiefermann, Locky Chung
Capella Augustina, Vokal Ensemble Köln
Andreas Spering
Köln, 1-7 September 2002
CPO 999 915-2

Wojcech Gierlach, Jacek Laszczkowski, Olga Pasiecznik, Marta Boberska, Andrzej Klimczak
Chamber Choir of the Warsaw Chamber Opera
Musicae Antiquae Collegium Varsoviense
Wladislaw Klosiewicz
Warsaw, November 1999
PRO MUSICA CAMERATA PMC 024/25

John Ostendorf, Julianne Baird, D'Anna Fortunato, Beverley Hoch, Jan Opalach
Brewer Chamber Orchestra, The Brewer Chamber Chorus
Rudolph Palmer
VOX 1154512

歌手は余り映えません。特にイメネーオ役には、ロズメーネが結局コロリといってしまうほどの男の魅力が欲しいのですが、オステンドルフは全く失格です。


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Appendix 1 Appendix 2


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