ARIANNA IN CRETA
HWV32
オペラ イタリア語
初演:1734年1月26日、ロンドン、ヘイマーケット国王劇場
台本作家:?(おそらく後述するピエトロ・パリアーティの台本を改編したもの)
原作:レオナルド・レーオ作曲「アリアンナとテーゼオ」のためのピエトロ・パリアーティの台本(1721、ナポリ)
→ニコラ・ポルポラの同名の作品(台本はパリアーティの物を流用。1727、ヴェネツィア)
1733年の夏、ヘンデルはオックスフォードへ楽旅をしています。ヘンデルが上演したのは、7月5日の「エスター」を皮切りに、7日に「エスター」、8日にユトレヒト・テ・デウム、10日に「アタライア」の初演、11日に「エイシスとガラテア」と「アタライア」、そして12日に「デボラー」。なかなかに精力的な活動をこなしています。
一方、ロンドンの音楽界の状況はヘンデルにとって悪くなる一方でした。ヘンデルに対抗する勢力が新しいオペラ団体を結成しようとしていたのです。この後ろ盾になっていたのが、ウェールズ王子でした。国王に激しい反感を持っている王子は、その当てつけから、国王の援助を受けているヘンデルのアカデミーにも敵意を剥き出しにしていました。こうした背景から、ヘンデルのアカデミーに対抗する新たな団体、いわゆる「貴族オペラ」が結成へと向かって行ったのです。セネジーノらの有力歌手も貴族オペラへ移って行きました。貴族オペラは1733年12月29日に、ポルポラの「アリアンナ」で幕を開きます。
こうした暗雲立ち込める状況下、ヘンデルは新しいシーズンへの新作を作曲していたわけです。これが「アリアンナ・イン・クレータ(クレタのアリアドネ)」になります。
アリアンナとは、ギリシャ神話のアリアドネのことです。ラビリンスの怪物退治の物語は結構有名でしょうが、簡単に説明します。
アテネは毎年クレタに少年少女それぞれ7人の生け贄を捧げなければなりませんでした。彼らはミノタウロスという化物に食べられてしまう運命でした。この怪物、クレタ島の王ミノスがポセイドンを裏切ったために、仕返しにポセイドンがミノス王の妃パーシパエに呪いをかけて生ませた牛の頭に人の体という生き物。処置に困ったミノス王によって迷宮の奥深くに閉じこめられたのです。そんな悲惨なアテネの状況に立ち上がったのが若き英雄テーセウスでした。彼はミノタウロスを退治するためにあえて生贄の一人となりクレタへと向かいます。ところが彼にクレタの王女アリアドネが恋してしまいます。彼女は彼の命を救うため、武器となる短剣とそして糸玉を渡します。迷宮の中で糸玉を解きながら進み、帰る時はそれを頼りに出口にたどり着く、という訳です。
こうしてテセウスはミノタウロスを倒すことができました。そして二人はアテネに向かい、幸せになりました…とはなりませんで、ナクソス島でテセウスとアリアドネは別れ別れになって(その理由は話によって様々)しまいます。
ヘンデルのオペラでは、こうした背景を元に、物語は当然のことながら様々に話が変えられたり付け加えられたりしています。
テーゼオはクレタで人質となっていたアリアンナをギリシャへと連れて帰る役目のため、クレタへの送られるミノタウロへの生贄達とともにクレタへ到着します。アリアンナは実はミノス王の娘なのですが、子供の頃さらわれてギリシア人として育っていたのです。しかし当の本人もそれを知りません。生贄の一人、カリルダが最初の犠牲となることが決まります。ミノタウロを退治しようとテーゼオは彼女のために戦うことを申出ます。しかしこのカリルダへの英雄的行為に嫉妬したアリアンナは激しく動揺します。カリルダを愛するアルチェステはテーゼオに彼女を愛しているのか尋ねますが、もちろんテーゼオは否定します。アルチェステはアリアンナにテーゼオの言ったことぉ伝えようとしますが、アリアンナは誤解しテーゼオが不実だと思いこんでしまいます。ミノス王とタウリーデの話からアリアンナは迷宮からの生還する術を知ります。アリアンナはカリルダと話ますが、テーゼオとの仲をさらに疑うことになります。テーゼオに怒りをぶつけるアリアンナ。しかしテーゼオは彼女の愛を確信しています。カリルダはタウリーデから求婚され、アルチェステは彼女に共に逃亡します。怒り狂うタウリーデ。ミノス王はアリアンナをミノタウロの生贄に命じます。アルチェステはカリルダにアリアンナとテーゼオが愛し合っていることを教えます。アリアンナが自分の身代わりになってしまうと悟ったカリルダは死を選ぼうとします。迷宮の中でテーゼオはミノタウロを退治することに成功します。アリアンナに再開し、二人は愛を確かめあいます。テーゼオとタウリーデは決闘し、タウリーデが破れます。ミノス王はアテネ人を自由にします。テーゼオはアリアドネが彼の娘である事を告げ、二人は結ばれます。アルチェステとカリルダも結ばれ、一同の喜びで幕となります。
ヘンデルは貴族オペラに対抗するため1733/34のシーズンにはかなり周到な用意をしています。10月5日に「アリアンナ」を書き上げると、10月30日(国王の誕生日)という早い時期にシーズンを開始しています。一方の貴族オペラは12月29日にシーズンが始まっています。面白いことに、貴族オペラ側が柿落としに選んだのも同じアリアドネものでした(ポルポラ作曲の「アリアンナ・イン・ナッソ(ナクソスのアリアドネ)」)。ヘンデルは11月13日から人気作「オットーネ」を再演するなどして様子を覗っています。完成から3ヶ月近くもたった1月も末になって「アリアンナ」はようやく初演されたのです。
大スター、セネジーノが再びヘンデルと手を切り、そればかりかライバルの一座に移ってしまったことはヘンデルにとって打撃だったことは間違いありません。
ヘンデルが獲得した新たなスターは、ジョヴァンニ・カレスティーニというまだ若い歌手(当時28歳くらい)でした。彼は既に1730年に、人気の出ないベルナッキに代るアルト・カストラート候補として挙げられていました。このときは結局セネジーノが復帰するのですが、今回はまさに彼に救いを求める以外手がなかったのです。彼についてはあまりよく知られていませんが、伝えられる評からするとかなり高度な装飾歌唱の技術を持っていたことだけは間違いありません。
カレスティーニのお披露目の新作ということで、当然のことながらヘンデルは彼の魅力を最大限引出そうとしています。
面白いことに、テーゼオは幕開け早々一番に登場しているというのに、アリアは四番目まで待たされます。聴衆が彼の歌を固唾を飲んで待っているところで最初に歌うアリア"Nel pugnar col mostro infido"がまた面白いもので、序奏に続く9小節はまるで喉ならしのようなもの。ここで彼の声の魅力で聴衆を惹きつけた後、アリアで華やかなコロラトゥーラを誇示し酔わせる、という訳です。もちろん、ダ・カーポの後二度目の9小節は一段ときらびやかな装飾をつけて歌われたでしょう。
第2幕冒頭もなかなか面白い作りをしています。テーゼオのアリア"Sol ristoro"は、レチタティーヴォ・アッコンパニャートを伴ったアリエッタ(楽譜にはアリアやアリエッタとはなっておらず、レチタティーヴォ・アッコンパニャートの一部となっています)で、この美しさはまさにヘンデルならでは。ここでテーゼオは眠りこんでしまい、レチタティーヴォ・アッコンパニャートでソンノ(文字通り“夢”という役)がテーゼオに忠告します。再びアリエッタの音楽がオーケストラに現れますが、すぐにアレグロに転じテーゼオは目覚め、怪物を倒すと意気込みます。そしてアルチェステとのレチタティーヴォ・セッコを挿んでの次のアリア"Salda quercia in erta balza"(これはもちろんダ・カーポ形式の堂々たるアリア)の勇壮なこと!この配置、そして音楽と実にうまく作ったもので、ヘンデルの面目躍如たるものです。
プリマドンナのアリアンナ役はヘンデルに忠実なアンナ・マリア・ストラーダでした。彼女のアリアでは第1幕の最後のアリア、"Sdeno,amore"が、アリアンナの揺れ動く気持ちを付点を用いて見事に表しています。また第2幕の幕切れのアリア"Se nel bosco resta solo"の切々とした歌もすばらしいものです。
ドゥラスタンティが歌ったタウリーデ役では、第2幕のアリア"Qual Leon, che fere irato"が、2本のホルン6/8拍子にのってが実に勇壮です。
しかし他の歌手はどうもあまりたいしたことがなかったようです。
公演は、カレスティーニへの関心もあってかなりの人気を博しました。1月26日の初日から4月の20日までに16回の上演がありました。
翌1734年の11月27日から「アリアンナ」は再び上演にかけられます(年内に5回)。このときヘンデルはコヴェントガーデン劇場に移動しており、後の「アリオダンテ」や「アルチーナ」と同様、マリー・サレのためにバレを追加しています。
Daneman, Brandes, Brummelstroete, van de Sant, Lane, Cutlip
Philharmonia Baroque Orchestra, San Francisco
McGegan
Göttingen, 27 May-1 June 1999
Göttinger Händel-Gesellschaft
ゲッティンゲンのヘンデル・フェスティヴァルでのライブ録音。会員向けの販売のみで、市販はしていません。ただ、入会寄付金を払いさえすれば誰でも手に入れられます。
マッギガンの指揮は安心して聞けるもの。しかし残念ながら歌手が昨今の水準からするとあまり高いものではなく(特にタウリーデのヴァン・デル・サンテにはかなり不満が残ります)、存分に楽しめるものとはなっていません。
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