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HANDEL
1709




AGRIPPINA

HWV6
オペラ イタリア語
初演:1709年12月26日(?)、ヴェネツィア、サン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場
台本:ヴィンチェンゾ・グリマーニ Vincenzo Grimani

 おおよそ3年半のイタリア滞在の間にヘンデルが発表したオペラはたったの2作でした。
 これには様々な事情があります。おそらく一番の理由は、彼が主としてローマに滞在していたことでしょう。ヘンデルはベネデット・パンフィーリ、ピエトロ・オットボーニという二人の枢機卿、さらにフランチェスコ・ルスポーリ侯爵らの援助を受け自由な音楽活動をしていました。結局ヘンデルはイタリア滞在の半分以上をローマで過ごしているのです。当時の教皇領ではオペラ上演は禁じられていましたから、オペラを作曲する機会はなかったのです。
 もっともヘンデルがどうしてもオペラの上演に携わりたければ、ヴェネツィアやナポリなどに腰を据えて活動することもできたのですから、ヘンデル自身オペラを中心とした、多忙ながらもあまり実入りの良くない生活よりも、貴族のもとでの音楽活動を好んでいたのでしょう。
 ただオペラは2作とはいえ、ローマでは彼はオラトリオ《復活》を初めとする声楽大作と、実に多数の世俗カンタータなどを作っており、それらからヘンデルが十分にイタリアの音楽、歌を吸収したことは間違いありません。


初演までの経緯

 ヘンデルはドイツに戻る直前の1709年の11月終りか12月初め頃、ヴェネツィアに立ち寄ります。御存知の通りヴェネツィアはナポリと並ぶオペラの中心都市で、当時は多数の劇場がひしめき合っていました。
 この時のヘンデルのヴェネツィア訪問が、《アグリッピーナ》を作曲するためだったのかどうかは実ははっきりしません。ヘンデルは以前にもヴェネツィアを訪問していますが、オペラは作曲していません。また《アグリッピーナ》がヴェネツィアで作曲されたことはほぼ間違いないと思われます。つまり、ヘンデルは、事前にオペラを作曲してヴェネツィアに携えたのではなく、ヴェネツィアに到着してから、おそらく12月の初めから《アグリッピーナ》の作曲にとりかかったのだと考えられるのです。
 《アグリッピーナ》の台本を書いたのは、ヴィンチェンゾ・グリマーニという枢機卿でした。グリマーニという名前にピンとくる人もいるでしょうが、グリマーニ家はヴェネツィアの名門貴族です(ドニゼッティの《ルクレツィア・ボルジャ》の冒頭の場面もグリマーニ家の館の前)。グリマーニ家はヴェネツィアでのオペラの人気に目をつけ、1639年、入場料をとって一般に解放する形態としてはヴェネツィアで(つまりは世界で)二番目となるオペラ劇場、サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ劇場の経営に乗り出しています。グリマーニ家所有の3番目の、そしてヴェネツィアでも最も大きく豪華な劇場として1677年12月に開場したのがサン・ジョヴァンニ・グリソストモ劇場で、1709年当時、ヴィンチェンゾ・グリマーニがその所有者でした。
 ヘンデルとヴィンチェンゾは旧知の仲(おそらくローマで)だったと思われます。ヘンデルの実力を知ったヴィンチェンゾが自分でヘンデルのためにオペラの台本を書いたと考えても不思議ではないでしょう(一説によると、ヴィンチェンゾは1708年11月4日にナポリのパラッツォ・レアーレで上演されたニコラ・ポルポラのオペラ《アグリッピナ L'Agrippina》を見て、この物語をヘンデルに作曲させようと思ったとも言います。真偽は定かではありません)。
 仮説として、ヘンデルがヴィンチェンゾに招かれヴェネツィアを訪問、そこで彼が書いた台本を渡され作曲を依頼され、急遽作曲にあたった、と推測することも可能なわけです。


史実の人々

 クラウディオ、アグリッピーナ、ネローネ、オットーネ、ポッペーア、さらにナルチーゾ、パッランテといった登場人物は全ていわゆるローマの帝政時代、西暦50年頃に実在していた人たちです。
 歴史上の彼らについて、当時の知識人たちは良く知っていたはずで、台本もそうしたことを考慮して作られているはずです。
 現代の日本人には、こうしたローマ帝国の人たちは、名前くらいは知っているけれどどういう人たちなのかは良く知らない、といったところでしょう。幸いなことに、彼らについては本もサイトも大変豊富で、調べるのはそう難しいことではありません。むしろ多すぎて困るくらいでしょう。
 ただ、実在した彼らの人生はあまりにも壮絶なもので、知ることでかえってここでの物語(一応ハッピーエンドです)のイメージから離れてしまうかもしれません。  ですので、ヘンデルの《アグリッピーナ》を楽しむにあたり、そうした歴史上の情報を知っておきたいと思うか、あるいは別に知らないでもいいと思うかは、皆さんのご判断にお任せするとしましょう。知りたいという方はこちらをクリックしてみてください。

歴史上のアグリッピナ


あらすじ

第1幕
ローマ皇帝クラウディオの妻、アグリッピーナは、夫が海で遭難したとの知らせに、溺愛する息子ネローネを皇帝につかせる決心をしている。彼女はクラウディオの側近、パッランテとナルチーゾの二人を、半ば誘惑するようにして協力を求める。ネローネは民衆に施しをして人気取りを画策。そしてカンピドーリオでクラウディオに代わって皇帝の座につこうとしたまさにその時、クラウディオの帰還が報らされる。皇帝は、オットーネによって間一髪で救出されたのだった。先に戻ったオットーネによると、クラウディオは次期皇帝の座をオットーネに約束したという。アグリッピーナたちは驚き悔しがる。しかし、事情を知らないオットーネは、皇帝になるよりもポッペーアの愛を得たいとアグリッピーナに打ち明けてしまう。皇帝もポッペーアを愛していることから、アグリッピーナは一計を案ずる。アグリッピーナはポッペーアに、オットーネは皇帝になりたいがために、ポッペーアをクラウディオに渡すつもりだ、と偽る。嘆き怒るポッペーア。アグリッピーナはさらに、クラウディオの嫉妬を利用して、オットーネに仕返しをするのだ、と提案。ポッペーアは、やって来たクラウディオに、オットーネを懲らしめるよう頼んでしまう。

第2幕
クラウディオの凱旋祝賀に人々が集まる。オットーネはクラウディオに、次期皇帝の約束について願い出る。しかし皇帝のみならず、誰もがオットーネを裏切り者と非難する。全員に見捨てられたオットーネは、訳が分からず絶望する。
ポッペーアは、一人になると、オットーネが無実であることを期待し始めている。彼女は寝たふりをして、現れたオットーネの言い分を聞く。オットーネは無実を主張、ポッペーアはアグリッピーナの計略に感づく。そして今度はポッペーアが、ネローネを陥れる策を練り、そのためにクラウディオの訪問を受け入れる。
一方、なおも不安の消えないアグリッピーナは、パッランテとナルチーゾにさらに陰謀を働きかける。そしてクラウディオには、今日にもネローネを皇帝にするように無理やり約束させてしまう。渋々クラウディオが認めたことで、彼女は大いに喜ぶ。

第3幕
ポッペーアの部屋。彼女はオットーネに、何があっても我慢するように言って部屋に隠す。次にやってきたネローネも同様に別の場所に隠す。そして何も知らず逢い引きに来たクラウディオに、懲らしめてほしかったのは、オットーネではなくネローネだった、と言い張り、その証拠にと、隠れていたネローネを誘き出す。クラウディオは激怒。ネローネは逃げ帰ってしまう。クラウディオも追い返すと、ポッペーアとオットーネは作戦成功に喜び合う。
ネローネはアグリッピーナに泣きつくが、母親からは軽率な行動を叱られる。一方パッランテとナルチーゾは、クラウディオに、アグリッピーナがネローネを皇帝にしようとしたことを明かしてしまう。クラウディオはアグリッピーナを非難するが、彼女は自分に非はないと反論。関係者が集められる。クラウディオは初めポッペーアとネローネの結婚を命ずるが、オットーネは、皇帝になるよりもポッペーアと結婚したいと訴え、またネローネは結婚よりも皇帝になることを望む。結局、ネローネが皇帝になり、ポッペーアとオットーネが結ばれ、喜びのうちに幕となる。


音楽

 音楽の素晴らしさには、聞きながらただただ驚嘆するばかりです。どの場面もどのアリアも実に高水準。それもそのはず、彼がイタリア滞在中に作曲した声楽作品から多くが転用され使われいるのです。つまり、ヘンデルのイタリア時代の集大成なのです。

 アグリッピーナのアリアはどれも彼女のしたたかな性格を反映したもので、単に美しい声を堪能できるといったものには終わらせず一ひねりしているのがおもしろいところです。
 とりわけ異彩を放っているのが、第2幕の Pensieri, voi mi tormentate です。ここでは弦の落ちつかない引き攣ったような伴奏に悲しげなオーボエが伴い、オットーネを計略にはめたものの決して安心できないアグリッピーナの落ち着かない心情を見事に描いています。Bの部分で激しく天に救いを求める対比も見事です。
Ho un non sò chenel cor は、アグリッピーナが歌う部分はコンティヌオを全て外し、歌をTuttiで重ねるようにしています(実際にはヴァイオリンとヴィオラを重ねるでしょう)。そして歌と歌の間にオーケストラ全部を使った合手を入れることで、何とも不敵な自信を描いています。
 第2幕を締め括るOgni vento ch'al porto lo spinga(G、3/8)は、クラウディオにネローネを今日皇帝にすると約束させて喜ぶ、アグリッピーナにとっては最も平安な美しさに満ちたアリアですが、それでもBの部分ではh(ロ短調)の色彩が強くなり、彼女が決してまだ安心しきっていない ことがうかがわれます
 一方ポッペーアのアリアは、どれも若い娘らしいもの。登場のアリア Vaghe perle での、鏡の前で化粧して自分の美しさを引き立たせようとする無邪気さ、アグリッピーナにオットーネへの疑念を吹きこまれて歌う Fa quanto vuoi での怒りなどにそうした特徴が良く現れています。
 最も優れたアリアとして、オットーネが絶望に落とされた後にポッペーアが歌う Blla pur nel mio diletto が挙げられるでしょう。本当はオットーネが無実だったらいいのに、という希望を歌っているのですが、しかし音楽は苦悩する重苦しさとは正反対の、付点を多用した弾むようなもの。ポッペーアの愛の苦しみも仕返しをしてスッキリした後だからこそ、といった、若い娘の愛らしさと残酷さの微妙なバランスが見事に音楽になっているように思われます。この曲は物語の流れの転換点として重要なものです。
 第3幕にネローネを罠に落とし入れた後、オットーネとの愛の喜びに浸って歌う Bel piacere è godere fido amor! はかなり手の込んだ作りをしています。ト長調、3/8なのですが、ところどころに2/4が挟みこまれています。加えて歌が入るとバッシ(通奏低音)が黙ってしまい、ヴァイオリンとオーボエが歌とほぼユニゾンで重なります。この独特の作りから、ポッペーアの愛の勝利への自信がたっぷり感じられます。

 影の主役とも言うべきオットーネは、第2幕で重要な役を担います。
 アグリッピーナの策にはまり絶望する場面は、全曲のクライマックスとも言うべきドラマティックな見せ場になっています。レチタティーヴォ・アッコンパニャート Otton, Otton では、いきなりC-D-F-Ab-Bという壮絶な和音(これは当時の人たちにとってはかなりの不協和音に響いたはずです)が鳴り響き、彼の受けた衝撃を表しています。続くアリア Voi che udite il mio lamento は、伴奏の大半が八分音符で、オットーネの苦い気持ちが音楽となっています。
 先に挙げたポッペーアのアリアを挿んで、打ちひしがれたオットーネは2本のフルートの美しい伴奏の Vaghe fonti を歌います。この曲はは本来ダ・カーポ・アリアのAの部分となっており、寝たふりをしているポッペーアを見つけ(レチタティーヴォ・セッコが挿まれます)た後、Bの部分が歌われますが、これもポッペーアのオットーネへの非難の言葉(レチタティーヴォ)が二度挿まれ、そして結局Aに戻らず終ります。そして二人のレチタティーヴォの会話(その間に賢いポッペーアはアグリッピーナの計略に感付きます)の後、バッシの伴奏だけのキッパリとしたオットーネの無実の表明でまでが一続きで描かれています。この長い構成によって、ポッペーアの疑念の矛先の変化という難しい場面を、説得力をもって表現することに成功しています。

 クラウディオのアリアは全体に低い音が多用されており、結構難しいもの。Cade il mondo ではいきなり低いCまで下がります。これは現在の一般的なピッチだと低いBナチュナル!に相当するので、いかにバスといえど大変。クリュサンダー版では全音高く移調されており、この調で演奏されることの方が多いようです。

 ネローネには第3幕に、いかにもカストラートらしい高技術なアリアが2つ与えられています。ポッペーアの部屋で、彼女にこれから騙されるとも知らず喜んで歌う Coll'ardor del tuo bel core と、アグリッピーナに軽率な行動を叱られ、玉座だけを考えようと歌う Come nube che fuggedal vinto です。
 また第1幕で民衆に施しをする場面でのアリオーソ Qual piacer a un cor pietoso での、露骨なまでのわざとらしさは愉快です。

 ヴェネツィアで作られただけに、《アグリッピーナ》には、多くのダ・カーポ・アリアに加え、単一構成のアリエッタやアリオーゾ、短い重唱やコーロ、さらにオーケストラだけのプレリュードなどがうまく活用され、劇としての進行がずっと滑らかになっています。ナルチーゾやパッランテ、レズボといった脇役が生き生きと振舞えるのも、ヴェネツィア派の多彩な劇表現の名残でしょう。

 ロンドンでヘンデルはイタリアで吸収した音楽語法を発展させ、一段と深みのあるスケールの大きな作品を作ることになります。《アグリッピーナ》は、それに比べると、良くも悪くもヴェネツィアという民衆の快楽に育まれた音楽世界の軽妙さが優っている音楽となっています。ヘンデルはそこへ彼がイタリアで学んだ多くの音楽を注ぎ込み、そしてロンドンでの作品の源泉にもしているのです。


初演と創唱者たち

 初演のキャストは次のような面々でした。

AgrippinaMargherita DurastantiSoprano
ClaudioAntonio Francesco CarliBasso
PoppeaDiamante Maria ScarabelliSoprano
OttoneFrancesca Maria Vanini-BoschiContralto
NeroneValeriano PellegriniSoprano castrato
PallanteGiuseppe Maria BoschiBsso
NarcisoGiuliano AlbertiniAlto castrato
LesboNicola PasiniBasso
Giunone?

 オットーネが女声だったというのがちょっと意外です。
 このうち、ボスキ夫妻とドゥラスタンティはロンドンでもヘンデルのオペラに登場することとなります。とりわけジュゼッペ・ボスキは、第一次アカデミー時代に不可欠のバス(彼の声は今で言うバス・バリトンだったと思われます)として、実に1728年の《トローメオ》まで活躍しました。またドゥラスタンティも1724年までロンドンで歌った後、1734年には“貴族オペラ”にごっそりスター歌手をもっていかれた穴を埋めるために再びロンドンに登場しています。

 初演は大成功を収め、全部で実に27回の上演がありました。
 なお、初演日は、もし《アグリッピーナ》がシーズンの初演目であれば12月26日ですが、2番目の演目だとすると1710年の1月となるでしょう。

 ヘンデルの原点を見る上で非常に重要で、かつ思いっきり楽しめる作品です。


参考文献

George Frieric Handel AGRIPPINA Full Score, Kalmus, K01254 ISBN 076926890-0

Handel's Operas 1704-1726 Revised Edition, Winton Dean and John Merrill Knapp, Clarendon Press, 1987, 1995
Handel Donald Burrows Oxford University Press, 1994
ヘンデル クリストファー・ホグウッド(三沢 寿喜 訳) 東京書籍, 1991
ヘンデル 大音楽家人と作品 15 渡部 恵一郎 音楽之友社, 1966

Alexandrina Pendatchanska, Marcos Fink, Sunhae Im, Bejun Mehta, Jennifer Rivera, Neal Davies, Dominique Visse, Daniel Schmutzhard
Akademie für Alte Musik Berlin
René Jacobs
July 2010, Berlin
harmonia mundi HMC 952088.90

初演前の初期稿を多く採用した演奏です。
歌手、オーケストラとも大変優秀な演奏。ただしだいぶ辛口の演奏で、滑稽な《アグリッピーナ》に慣れ親しんでいるとちょっと驚かされるかもしれません。
なお上記 HMC 952088 は、ヨーロッパで流通している特典DVD付きのもの(ベルリンでの上演のメイキング、インタビューなど)。日本では基本的に通常仕様盤 HMC 902088 しか流通していません。

Annemarie Kremer, Piotr Micinski, Renate Arends, Quirijn de Lang, Michael Hart-Davis, Clint van der Linde, Robbert Muuse, Jan Alofs
Combattimento Consort Amsterdam
Jan Willem de Vriend
Eva Buchmann
Bratislava, 22 & 23 October 2004
Challenge CLASSICS CCDVD72143 (DVD PAL)

ネローネがテノール、オットーネがバリトンに移されています。


Véronique Gens, Nigel Smith, Ingrid Perruche, Thierry Grégoire, Philippe Jaroussky, Bernard Deletré, Fabrice Di Falco, Alain Buet
La Grande Ecurie et La Chambre du Roy
Jean-Claude Malgoire
Tourcoing, 21/25 March 2003
DYNAMIC 33431(DVD)


DYNAMIC CDS 431/1-3

2003年のトゥルコワンでのライブ。
ヴェロニク・ジャンスのアグリッピーナと、フィリップ・ジャルースキのネローネの母子が非常に強力。他のキャストも上々。
マルゴワールのひねりの入った音楽は、《アグリッピーナ》の斜に構えた面白さにあっています。
第1幕のポッペーアの Se giunge un dispettoは装飾の少ないバージョン。第2幕のクラウディオの Cade il mondoは全音高いdで演奏、ネローネの Sotto il lauroはeのもの。
曲のうち、完全にカットされているものは、第2幕のポッペーアの Col peso del tuo amor、第3幕のオットーネの Pur ch'io ti stringa al sen、ジュノーネのV'accendano le tede i raggi delle stelle の3曲。ダカーポアリアのAの部分のみ演奏のものが、第1幕のアグリッピーナの Tu ben degno sei dell'alor、ポッペーアの Fà quanto vuoi、第2幕のアグリッピーナの Nulla sperarda me、ネローネの Sotto il lauro、ナルチーゾの Spereròpoichè mel dice(前奏にリトルネッロを転用)。第2幕のアグリッピーナの Pensieri は、ダルセーニョされずA-Bのみ。第3幕のアグリッピーナの Se vuoi pace, oh volto amato はダカーポ後のリピートとフェルマータ前のオーケストラ部分をカット。
マルゴワールの常で、ダカーポアリアのほとんどで、Aに戻るときに冒頭部分を数小節はしょってすぐ歌につなげています。その他、レチタティーヴォ・セッコにもかなりのカットがあります。

Della Jones, Alastair Miles, Donna Brown, Michael Chance, Derek Lee Ragin, George Mosley, Jonathan Peter Kenny, Julian Clarkson, Anne Sofie von Otter
English Baroque Soloists
John Eliot Gardiner
London, November 1991 & March 1992
PHILIPS PHCP-11002/4 (Japanese domestic)

アラステア・マイルズのクラウディオが大変素晴らしく、これにデラ・ジョーンズのアグリッピーナが続きます。ドナ・ブラウンのポッペーアやマイケル・チャンスのオットーネもまずまず。
第1幕の幕切れのポッペーアの Se giunge un dispetto は装飾の多いバージョンを使用。第2幕のクラウディオの Cade il mondo は全音高いdで演奏。幕切れの部分は楽譜では、コーロ、ジュノーのアリア、そしてバレに続く、となっています。このバレの音楽は残されていないので、ここでは《ロドリーゴ》の序曲から音楽が採られ演奏されています。
この国内盤の台本訳はだいぶ問題がありますので、ご注意を。

Sally Bradshaw, Nicholas Isherwood, Lisa Saffer, Drew Minter, Wendy Hill, Michael Dean, Ralf Popken, Gloria Banditelli
Capella Savaria
Nicholas McGegan
Gottingen, 17-20 June 1991
HARMONIA MUNDI FRANCE HMU 907063.65

1991年のゲッティンゲンのヘンデル・フェスティヴァルと連動しての録音。
ドルー・ミンターの滑らかなオットーネが一番良いでしょう。全般に女声が今一つ。
マッギガンの指揮は、様式をしっかり守ったものながら、個性不足。
第1幕のポッペーアの Se giunge un dispetto は装飾の多いバージョン。クラウディオの Cade il mondo は、オリジナル通りcで歌われています。ネローネの第2幕の Sotto il lauro che hai sul crine は変ロ長調のヴァージョン。幕切れは、ジュノーの場面を先にしてコーロで締め括り、バレの音楽は省略されています。

Barbara Daniels, Gunter von Kannen, Janice Hall, David Kübler, Claudio Nicolai, Ulrich Hielscher, Eberhard Katz, Carlos Feller
London Baroque Players
Arnold Östman
Michael Hampe, Mauro Pagano
Schwetzingen, 1985
Euroarts 2054538(DVD)




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