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サムエル記におけるサウルとダビデ


 《ソール》を楽しむにあたって、旧約聖書のサムエル記から参考になると思われる事柄を簡単にまとめておきます。
 さらに詳しい内容は、専門の本などを御覧ください。

サムエル

   サウルの師、サムエルはユダヤの預言者、士師です。
 サムエルが生まれた頃、イスラエルの人々はペリシテ人(おそらくクレタ島由来の海洋民族が地上に上ってきた民族)との抗争に劣勢となり、存亡の危機に陥っていました。祭司エリのもとで成長し、ヤハウェの声を聞いたサムエルは、この危機に指導力を発揮し、イスラエルの民をまとめ、鉄器などの高度な文明を持っていたペリシテ人を打ち破り領土から追い払うことに成功しました。
  優れた指導者であったサムエルとはいえ、老齢になると後継問題が浮上してきます。彼の二人の息子は士師でしたが、不正をして不適格だったのです。そこで長老たちはイスラエルにも王を擁くことを提案します。サムエルは反論しますが、結局ヤハウェ(=イスラエル人の神)の忠告もあって、王を立てることに同意します。

サウル

 ヤハウェの考えに従い、サムエルは王となる人物を捜します。そして出会ったのがサウルでした。
 サウルはイスラエルの小さな部族ベニヤミン族の裕福な家の生まれでした。若き日のサウルについては「イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった」とか「肩から上の分だけ、民の誰よりも背が高かった」といった記述があり、上背のある格好の良い青年として描かれています。

 サムエルとサウルの出会いについては、二種類の異なる伝承が平地されています。
 彼はいなくなったロバを捜して見つからず困っていました。と、ある町にサムエルが滞在しているという話を聞き、彼は相談をしに行きます。するとサムエルは彼を食事に招き、翌朝サウルが選ばれた王であることを告げ、油を注ぎます。その帰途、サウルは預言者たちと会うと、自身も恍惚となって預言するようになったのです。
 もう一つの伝承では、サムエルは人々を集め、くじ引きによってサウルを選び出したことになっています。サウルは荷物の間に隠れていましたが、サムエルに見つけられ、人々は王様万歳と喜びます。

 サウルがその指導力を発揮したのは、アンモン人がヤベシュ・ギルアドという町に攻めてきたときでした。町は降伏の意思を示したのに対し、アンモン人は住民の右目を抉り取るという残忍な要求を突きつけてきたのです。
 この知らせを聞いたサウルは怒り、牛を切り分け、それをイスラエルの各部族に送りつけ、サウルとサムエルに従わない者の牛は皆こうなる、と半ば脅しのような命令をしたのです。これが効を奏して部族は結集、見事にヤベシュ・ギルアドを奪い返しました。
 この勝利によって、サウルは民衆の支持を集め、ギルガルで全ての部族の前で正式にイスラエルの王につきます。ヤハウェを絶対視するイスラエルにとっては史上初の君主なのです。

 しかしサウルには様々な問題が残っていました。第一に、ペリシテ人は降伏したわけではなく、依然として脅威として目の前にあったこと。第二に、戦いを続けていくことは人的にも経済的にも極めて負担が大きいこと。またペリシテ人は優れた文明を持ち、鉄器が使え、統率された軍隊を持っていました。イスラエルの兵にはろくな武器がありませんでした。
 サウルは三千人の兵を集め、ペリシテ人に攻撃を仕掛けます。当然ペリシテ人も大群を繰り出して反撃に出、ミクマスという町を占領します。イスラエル人は恐れをなして身を隠してしまいます。
 ここでサウルは、サムエルから七日間待てと命令を受けていたにもかかわらず、遅れたサムエルを待ちきれず、自分の判断で重要な捧げものの儀式を執り行ったのです。これにサムエルは激しく憤慨し、サウルを非難します。
 さて、ペリシテ人との戦いは、ヨナタンによる奇襲が成功してペリシテ人の軍勢が崩れ、勝利を収めることができました。
 サムエルとサウルの対立はもう一つ後に登場します。イスラエル人の出エジプト以来の宿敵とも言うべきアマレク人の処遇でした。
 サムエルはアマレク人を、人も家畜も全て殺してしまうよう命じたのに、サウルはアマレク人の王アガクの命を救い、家畜も全部は殺さずにいたのです(この背景には明らかにサウルたちの置かれていた苦しい状況が見え隠れしています)。これを知ったサムエルは激怒し、アガクを殺し、サウルはヤハウェの教えに反していると非難、サムエルはサウルと決別してしまったのです。

ダビデとサウル

 サウルを見限ったサムエルは、ベツレヘムのエッサイのところに新たな王がいるというヤハウェの声に従い、ベツレヘムに向かいここで羊飼いの少年ダビデと出会い、サムエルは彼に油を注ぎました。ダビデはエッサイの末っ子で、羊飼いでした。
 さて、王となったサウルとダビデの出会いについては、サムエル記でも複数の伝承がそのまま並置してあります。
 ある話では、サムエルと決別した頃からサウルは気分がふさぐことが多くなり、家来の勧めで竪琴をうまく奏でる羊飼いの少年ダビデを呼びことにしました。彼の竪琴を聞くとサウルの気分も回復し、サウルはダビデをかわいがりました。
 別の話では、イスラエル人はペリシテ人の諍いの時に現れます。イスラエル人はペリシテ人と谷を挟んで対峙していました。するとペリシテ人中からゴリヤテという大男が進み出て、イスラエルの若者と一騎打ちを要求します。ちょうどその頃、ダビデは戦いに加わっていた兄にパンを届けに戦場を訪れていました。彼はサウルに自分が一騎打ちに応じると進み出ます。ダビデが涸川から拾った石を石投器で投げると、石はゴリヤテの額を打ち、ゴリヤテは倒れてしまいます。すかさずダビデはゴリヤテの腰から剣を奪うと、その首を打ち落としてします。目の前で大男ゴリヤテが若造に殺されてしまったペリシテ人たちは動揺し、散り散りに敗走します。

 ゴリヤテに勝利したダビデをサウルは大変気に入り、ダビデを気に入り、サウルの息子ヨナタンもダビデと深い友情で結ばれます。
 戦いから帰ると人々はサウルを讃えますが、しかしサウルは千、ダビデは万の敵を倒したと比較して讃えるもので、サウルは不機嫌になり、ダビデを恐れるようになります。
 竪琴を奏でるダビデに二度も槍を投げても、彼はうまく逃げてしまいます。ダビデを遠ざけるため危険な戦いに遣わしても、連戦連勝。
 サウルはダビデに長女メラブを与えると約束しますが、しかしサウルの気が変わり、メラブを他の男の妻に与えてしまいます。サウルのもう一人の娘、ミカルはダビデを愛していました。サウルは部下を通して、ミカルと結婚するなら、ペリシテ人百人分の包皮を持って来いと命じます。サウルは、ダビデがペリシテ人の手によって倒れることを望んだのです。しかしダビデはすぐさまペリシテ人を二百人分の包皮をもって帰ります。
 サウルは、ヨナタンの説得によって一度は怒りを和らげますが、ダビデの名声への嫉妬は抑えがたく、ついに家来にダビデを家で殺すよう向かわせました。不安を感じたミカルはダビデを窓から逃がし、寝床には身代わりの人形を寝かせ、難を逃れます。

 ダビデはサムエルのもとを訪れますが、すぐにサウルからの追っ手が迫ってくるので逃げざるをえません。彼が頼れる人は唯一ヨナタンです。ヨナタンはサウルが本気でダビデを殺そうとしているとは思っていませんでしたが、新月祭にダビデが欠席した時、ヨナタンがダビデを匿っていることに気づき激怒したサウルはヨナタンにまで槍を投げつけます。ヨナタンもサウルがダビデを本気で殺そうとしていることを確信します。
 ヨナタンはダビデの隠れる草原で別れを告げ、ダビデは放浪の身となります。

 この後サムエル記ではさすらいの身のダビデが描かれます。
 ダビデはエルサレム近郊ノブの祭司アヒメレクを訪れ、パンを分けてもらい、ゴリヤテの剣を与えられます。後にこれを聞いたサウルは、ノブの町の人々を皆殺しにしました。
 サウルの怒りが収まるのは、ある事件でのこと。サウルが陣で寝ているところをダビデは忍び込み、サウルの枕元から槍と水筒だけを取り引換えします。そして離れた山の上からサウル軍の指揮官アブネルを呼び、自分は陣に忍び込んだのにサウルを殺さず出てきたと槍と水筒を示します。そしてサウルに、なぜ自分を執拗に追い続けるのかと問いかけると、サウルは間違いを認め、立ち去りました(この話には、洞窟の中で衣服の端を切り取ったという有名な異話があります)。

サウルの死

 ペリシテ人との抗争が再び激化する気配となりました。不安に駆られたサウルは何とかしてヤハウェの導きを得ようとしますが、うまくいきません。ついに彼は自分で禁じた占いをえるため、変装してエンドルという町の巫女を訪れます。サウルを見抜いて慄く巫女を説得し、亡くなったサムエルを呼び出させます。しかしサムエルの口から出た言葉は、ヤハウェは既にサウルを見放した、というもの。サウルはその場に倒れ、巫女に介抱される始末でした。

 イスラエルの軍勢はギルボア山で大敗、ヨナタンらサウルの三人の息子は殺害されます。サウルも深手を負い、従者に殺すよう命じますが、誰も従わなかったので、自ら剣の上に倒れ自害します。翌日、ペリシテ人たちはサウルたちの死体の首を刎ね城壁に曝しました。  その数日後、ダビデのもとに戦場から来た一人の男が、イスラエル軍の敗走と、サウルとヨナタンの死を告げました。ダビデがなぜそのことを知っていると尋ねると、瀕死の王から殺してくれと頼まれたので殺し、そして冠と腕輪をここに持ってきたと答えました。それを聞いたダビデは嘆き悲しみ、ヤハウェの油が注がれたものを殺したとは、とこのアマレク人を処刑するよう命じました。
 ダビデは「弓」と題された哀歌を作りました。

 この後、ダビデがイスラエルの王に即位し、その統治の様子を晩年まで追っています。