PORO
HWV28
オペラ イタリア語
初演:1731年2月2日、ヘイマーケット国王劇場
台本:
第二次アカデミーはなかなか軌道に乗りませんでした。聴衆のイタリアオペラ離れは著しく、もうそのままでは客席が埋まることはありませんでした。 ヘンデルは起死回生のためいくつかの対策を考えます。 まず最後の成功作である「シローエ」同様、メタスタージオの台本を取り上げました。メタスタージオはちょうどこの頃急速に人気を集め始めていましたから、ヘンデルが彼の「インドのアレッサンドロ」という台本に目をつけたのも不思議ではありません(実際同じ年ハッセが同じ台本を元にした「クレオフィーデ」を発表しています)。 しかしメタスタージオの高尚な啓蒙主義的な思想は、どうもヘンデルのお気に召さなかったらしく、レチタティーヴォを中心に徹底的に短縮を施し、さらに主眼を徳のある大王アレッサンドロから被征服者であるポーロに移しています。これによって話はかなり分かりづらくなってしまいますが、ヘンデルの命である優れた感情の描写には成功しています。 また音楽的にもポーロとクレオフィーデにケンカ(1幕フィナーレ)と和解(2幕冒頭)、さらには大団円に向けての愛の喜び(3幕フィナーレ)という三つの二重唱を効果的に配置、アリアにも新しい様式を取り入れたりと、意欲的に改革を行っています。 しかしもっと実際的な対策は、かつてのアカデミーの大スター、セネジーノを呼び戻すことでした。彼は前年11月に「シピオーネ」の再演で復帰を果たしていました(但しタイトルロールでなく、ルチェイオ)。ですから観客が戻ってきたのは、「ポーロ」という作品と言うよりは、ポーロを歌うセネジーノに負うところが大きいでしょう。 ともあれ初演は久々に成功。この年の暮れにも再演され、不遇な第二期アカデミー時代にあって例外的な計18回の公演を記録しました。
Banditelli,Bertini,Fink,Lesne,Naglia,Abbondanza
Europa Galante
Biondi
Milano,22-29 April 1994
OPUS111 OPS 30-113/115
イタリアの時代楽器演奏グループによるヘンデルのオペラ録音としては初めてのものだったので興味津々だったのですが、ビオンディはオペラの指揮に不慣れなようですし、歌手も特筆するほどでもないので、作品を知ることのできる程度に終わっています。
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