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ROSSINI 1819-1




MOSÈ IN EGITTO
Napoli, Teatro San Carlo, marzo 1819

初演:1819年3月7日、ナポリ、サンカルロ劇場


《エジプトのモゼ》 1819年稿での改編

 1818年3月5日に初演された《エジプトのモゼ》が、翌1819年の四旬節でも取り上げられることになり、その際にロッシーニは第3幕の手直しを図っています。つまり、今日たいへんに有名な、紅海を前にしてモゼが祈る Dal tuo stellato soglio を加えたのです。この曲はたいへんに好評で、《エジプトのモゼ》は3月7日から23日まで連日上演されました。
 また、この時の上演では、第2幕のアマルテアのアリア(N.7) La pace mia smarrita がカットされました。この曲は1812年の《バビロニアのチーロ》のアリアを転用したもので、様式的にも《エジプトのモゼ》の中では異質でした。おそらく初演時に不評で、あるいは上演の早い段階で外されていたのかもしれません。


《エジプトのモゼ》 1819年稿のあらすじ

ファラオーネ エジプトの王 バス
アマルテア ファラオーネの妻 ソプラノ
オジリデ 王位継承者[ファラオーネの息子] テノール
エルチア ヘブライの娘、オジリデの秘密の妻
マンブレ [エジプトの大祭司]
モゼ [ヘブライの預言者]
アロンネ [モゼの兄]
アメーノフィ [アロンネの姉]

 エジプトのファラオは、捕囚しているヘブライの民を、一旦は解放すると約束したものの、その後それを撤回した。そのため、モゼはヤハウェ(イスラエルの唯一絶対神)に祈り、エジプトを暗闇にしてしまった。

第1幕
 王宮。エジプトの民は暗闇の恐怖に怯えている。ファラオーネはモゼを呼び、太陽を戻せばヘブライの民の解放を履行すると約束する。モゼの兄アロンネは、ファラオーネが何度も約束を反故にしてきたことから、モゼに注意をする。モゼが神に祈ると、すぐさま光が戻り、人々は喜ぶ。モゼとアロンネは、ヤハウェの力を讃える。ファラオーネはへブライの民の出発を認める。
 ファラオーネの息子、オジリデは、へブライの娘エルチアと愛し合っていた。ヘブライの民が出発するということは、彼にとってエルチアを失うことだった。オジリデは、モゼとアロンネの行為に憤慨している大神官マンブレに、ヘブライの民の出発を阻止するよう訴える。マンブレはエジプトの民を扇動しに行く。
 エルチアがオジリデに別れを告げるためにやって来る。オジリデは彼女に、行かないでほしい、と懇願する。遠くから出発の準備をするヘブライの民の音が聞こえ、エルチアは去って行く。
 ファラオーネの妻、アマルテアはマンブレに、エジプトの民が宮殿を囲み、ヘブライの民の出発許可を取り消すよう要求していると告げる。ファラオーネはオジリデに説得され、意を翻したのだ。ファラオーネは、マンブレとオジリデに、モゼに対して出発許可の取り消しを伝えるよう命じる。アマルテアは、さらなる災難がエジプトを襲うのではないかと不安に駆られる。
 ヘブライの民が、出発を祝い、神を讃えている。その中で一人エルチアだけが悲しんでおり、アメーノフィが彼女を慰めている。ファラオンが解放を取り消したとの報せを聞き、モゼは激しく怒り、神の怒りを買うぞと警告する。ファラオーネも現れ、激しい言い争いとなる。モゼが杖を振ると、雷が鳴り、雹が激しく振り、炎の雨が降ってくる。

第2幕
 ファラオーネはアロンネに、すぐ出発するよう伝える。ファラオーネはオジリデを呼び出し、アルメニアの王女と結婚するよう告げる。それを聞いて悲しげなオジリデに、ファラオーネは理由を尋ねるが、理由は言わない。
 ファラオーネの決定の裏には、アマルテアの説得があった。モゼは彼女に礼を述べるが、アマルテアはファラオーネの気紛れな性格を心配している。
 アロンネはモゼに、オジリデがエルチアと駆け落ちを考えていることを告げる。モゼは、アマルテアと共に二人が隠れている場所を捜すよう命じる。
 暗い地下の部屋。オジリデは不安げなエルチアを連れて来る。彼は、父から結婚を命じられたことを告げ、二人で駆け落ちをしようと訴える。そこにアマルテアが、アロンネと兵士たちを伴なって現れる。オジリデは王位を放棄するとまで言い出すが、アマルテアの命令で、兵士たちが二人を引き離す。
 その頃、ファラオーネはモゼと話し合っていた。エジプトは多数の外敵の脅威に晒されており、ヘブライの民がいなくなると、侵略を受けてしまうと、またも約束を反故にすると告げる。モゼは、エジプトの王子と全ての初子が、雷に打たれ死ぬであろうと予言する。ファラオーネはモゼを捕らえさせる。
 オジリデが雷に打たれるという予言を恐れたファラオーネは、貴族たちを招集、オジリデと王位を共にすると宣言する。モゼとアロンネが引っ立てられる。そこにエルチアが現れ、オジリデと愛し合っていることを打ち明ける。そしてヘブライの民を解放し、オジリデにアルメニアの王女との結婚を受け入れるよう説得する。しかしオジリデは、エルチアこそ彼の心の女王だと言い、剣を抜きモゼに斬りつける。その時、雷がオジリデを打ち、彼は死んでしまう。ファラオーネは息子の亡骸にとりすがり、エルチアは恋人の死に激しく嘆き悲しむ。

第3幕
 ヘブライの民は紅海の海岸に辿り着いている。モゼは跪いて祈り、人々がそれに続く。遠くから物音が聞こえてくる。息子の死に怒り狂ったファラオーネが、自らエジプト軍を率いて後を追ってきたのだ。目の前は海で、逃げ道はない。ヘブライの民はモゼに助けを求める。モゼは跪き、杖で海に触れる。すると、海は真っ二つに割れ、道が開ける。ヘブライの民は対岸へと逃げる。その直後、ファラオーネとマンブレに率いられたエジプト軍が到着、ヘブライの民を追いかけるが、割れていた海が閉じ、彼らは水に飲まれてしまう。


関連項目

《エジプトのモゼ》 (初演稿)
《エジプトのモゼ》 1820年3月,ナポリ,サンカルロ劇場
《モイーズとファラオン》


参考文献

Gioachino Rossini / Mosè in Egitto / Edited by Charles S. Brauner / Fondazione Rossini / 2004 / ISBN 978-0-226-72866-7
Gioachino Rossini: Mosè in Egitto / A facsimilie edition of Rossini's original manuscript edited by Philip Gossett / Garland, New York / 1979
Eduardo Rescigno: Dizionario Rossiniano / Biblioteca Unicersale Rizzoli / 2002 / ISBN 88-17-12894-5
Philip Gossett: Mosè or Moïse? An original masterpiece restored / I Programmi del Rossini Opera Festival / 1983
トーマス・レーメル:『モーセの生涯』 / 矢島 文夫 監修 / 遠藤 ゆかり 訳 / 創元社 / 2003 / ISBN 9784422211688

Lorenzo Regazzo, Akie Amou, Wojtek Gierlach, Filippo Adami, Rossella Bevacqua, Giorgio Trucco, Karen Bandelow, Giuseppe Fedeli
Württemberg Philharmonic Orchestra, Wildbad Wind Band, San Pietro a Majella Chorus, Napoli
Antonino Fogliani
Bad Wilbad, 1, 7 & 12 July 2006
NAXOS 8.660220-21

バート・ヴィルトバートでのロッシーニ音楽祭の公演のライヴ録音。
ミケーレ・カラーファが作曲したファラオーネのアリア A rispettarmi apprenda を採用しています。


ERMIONE

初演:1819年3月27日、ナポリ、サン・カルロ劇場
台本作家:アンドレーア・レオーネ・トットラ
原作:ラシーヌ『アンドロマク』

 ナポリ時代、ロッシーニはセリアの分野において次々と野心的な挑戦を挑んでいます。この《エルミオーネ》は、そうしたロッシーニの前進の新たな段階を示すものといえるでしょう。


原作の原作 エウリピデス『アンドロマケー』

 《エルミオーネ》の直接の原作は、ラシーヌの『アンドロマク』です。これはさらにエウリピデスの『アンドロマケー』に基づいています。

 エウリピデス(紀元前480頃−紀元前405)は、アテネに生まれた古代ギリシャの詩人。アイスキロス、ソフォクレスと古代ギリシア三大悲劇詩人とみなされる人物です。
 エウリピデスの『アンドロマケー』は、概ね次のような物語です。

 ネオプトレモス(=ピュロス)は、アキレウス亡き後、神託でトロイア戦争に加わり、トロイアを陥落させた。一方アンドロマケーは、ヘクトールとの間に息子アステュアナクスをもうけていた。しかし彼女はトロイア戦争で父、7人の兄弟に加え、夫ヘクトルまでも失った。その上アステュアナクスまでも、トロイア陥落後にギリシャ軍によて城壁から突き落とされ殺されてしまった。そしてアンドロマケーはネオプトレモスによって"戦利品"として連れ去られる。彼女はネオプトレモスの息子モロットスを生んだ。
 一方、ネオプトレモスの正妻であるヘルミオネーには子がおらず、アンドロマケーに嫉妬し、執拗に侮辱するようになる。ネオプトレモスがアポローンへの贖罪のため、デルフィ(ギリシャ中部の都市)に出かけてしまった機を利用し、ヘルミオネーは彼女の父メネラウスに助力を頼み、アンドロマケー殺害を計画する。メネラウスはモロットスを人質に取り、アンドロマケーに死を迫るが、実際には母子ともに葬ろうとしていた。しかし、ネオプトレモスの祖父(=アキレウスの父)、ペーレウスが現れ、母子を救い出す。
 計画に失敗したヘルミオネーは自害を計るが、奴隷たちに止められる。そこに、彼女の従兄弟でかつての婚約者であったオレステスが到着する。いまだヘルミオネーを愛するオレステスは、彼女を取り戻すために来たのである。しかも彼は、民衆を扇動し、デルフィで祈りを捧げるネオプトレモスを殺す手筈をしていた。使者が現れ、アポローンの神殿でネオプトレモスが惨殺されたとの報が伝えられる。ペーレウスは嘆くが、彼の妻で女神のティティスが、ネオプトレモスを埋葬し祀るよう伝える。彼女はさらにアンドロマケーに、モロッシアに行きトロイアの生き残りであるヘレノスと結婚するよう命じる。


原作 ラシーヌ『アンドロマク』

 この悲劇を元に、17世紀フランスの劇作家、ジャン・ラシーヌ(1639−1699)が『アンドロマク』(註)を書き上げます。

『アンドロマク』のあらすじ。

第1幕
 ギリシャからオレストがピラードを伴って到着する。ピリュスが不当に匿っているアステュアナクスをギリシャ方に取り返すのが目的だが、しかしオレストは密かに愛するエルミオーヌを連れ出すことを考えている。面会に現れたピリュスは、たとえエーペイロスが第二のトロイになろうと、アステュアナクスは引渡せないと、オレステの要求を拒絶する。 ピリュスは息子を捜しているアンドロマックと出会う。アンドロマクはピリュスの求愛を拒絶しているが、彼がアステュアナクスの処遇をちらつかせるので、彼女は苦しむ。
第2幕
 エルミオーヌはピリュスと婚約していたが、彼の心が離れていくことに焦り、その元凶のアンドロマクを嫉妬している。オレストが現れる。エルミオーヌははじめ、ギリシャがピリュスを裏切り者とみなして攻撃をすればいいと話していたが、オレステにこの国を離れるよう諭されると、ピリュスが去れというまで出来ないと断る。
ピリュスはオレストに、先の言葉を翻し、アステュアナクスを引き渡すことに応じ、自らはエルミオーヌと結婚すると約束する。ピリュスはフェニックスに、アンドロマクが高慢な態度を取ったことで、強硬策に出たことを打明ける。

第3幕
オレストはエルミオーヌを無理やりでもギリシャに連れ帰るつもりでいる。切羽詰ったアンドロマクは、エルミオーヌに息子の命を助けてほしいと願い出るが、断られる。 ピリュスは再度アンドロマクに考えるよう迫る。アンドロマクもついに結婚に応じることにする。

第4幕
 アンドロマクは、祭壇でピリュスが息子の命を助けると誓ったその時に自害するつもりでいる。
 再びピリュスに裏切られたエルミオーヌは、オレストを呼びつけ、愛しているならピリュスを殺せと、無理やり約束させてしまう。現れたピリュスに、エルミオーヌに平静を装うが、怒りは隠せない。フェニックスはピリュスに警告するが、ピリュスはもはやアンドロマクとの結婚しか頭にない。

第5幕  エルミオーヌは呆然とし、神殿へ向うピュロスの様子を聞く。オレストが復讐を遂げたと駆け込んでくる。ピュロスが死んだと聞き、エルミオーヌは錯乱する。残ったオレストは、エルミオーヌがまだピュロスを愛していたことに気がつく。ピラードが、追手が迫っていること、エルミオーヌがピリュスの亡骸の前で自害したことを伝える。オレストは狂乱し、気を失う。ピラーデが彼を連れて行く。

 エウリピデスの『アンドロマケー』と比較すると、ラシーヌの『アンドロマク』はかなり違いがあります。最大の相違点は、アンドロマクの息子アスティアナクスが生きていること。これによって、息子をギリシャに引き渡したくないアンドロマクが不安定な立場に置かれることになります。また、『アンドロマク』でのエルミオーヌはピリュスとは結婚していません。そのため、ピリュスがアンドロマクを妻に決めたことで殺意を覚え、オレストを唆してピュロスを殺させる、という劇的な展開に結びついています。  『アンドロマク』は1667年11月17日に初演され、大成功を収めています。今日では《フェードル》と並び、ラシーヌの最高傑作とみなされています。

註 邦訳は《アンドロマック》という表記が一般的です。


作曲

 《エルミオーネ》の作曲については、情報が乏しく、あまり詳細は分かっていません。
 1818年12月30日のバルバイヤのメモに、ロッシーニが《エルミオーネ》を作曲中とあります。この時期、ロッシーニは忙殺されていました。12月3日にはサンカルロ劇場で《リッチャルドとゾライデ》が初演されたばかりでした。さらにこの12月頃、ロッシーニは1817年に初演された《アルミーダ》の2幕縮小版への改訂作業をしています。翌1819年2月8日、検閲官から《エルミオーネ》の台本への認可が下ります。2月20日にはカンタータ《サンカルロ王立歌劇場の芸術家たちから陛下への恭しき捧げもの》が初演。さらに3月7日には、前年の3月5日に初演された《エジプトのモゼ》の改訂稿を上演しています。この詰まりに詰まったスケジュールのの中で、《エルミオーネ》は3月27日に初演を迎えているのです。しかも、後述する通り、《エルミオーネ》には、過去の自己作品からの転用が極めて少ないのです。おそらく、ロッシーニはかなり集中して《エルミオーネ》の作曲に当たったことでしょう。

《エルミオーネ》のあらすじ

序曲
舞台裏から、滅亡したトロイアを嘆く声が聞こえてくる。

第1幕
 牢獄の中。捕虜たちがトロイの陥落を嘆いている。アンドローマカが息子アスティアナッテの面会に現れ、息子に亡くなった夫エットレの面影を見出し、悲しむ。アッタロが、ピッロの愛を受け入れることでアスティアナッテを解放することを提案するが、アンドローマカはこれを拒み、フェニーチョも断固として反対する。面会の時間が過ぎ、アンドローマカは悲しみながら立去る。
 宮殿の外の庭園。クレオーネに率いられ、スパルタの娘たちがエルミオーネを狩りに招いている。彼女は、ピッロの心がアンドローマカに奪われていことで嫉妬に狂っている。そこへピッロがアンドローマカを捜しに現れ、エルミオーネと出くわしてしまう。慌てて逃げようとするピッロをエルミオーネはなじり、詰め寄るが、ピッロは動じない。エルミオーネは悲しみ、ピッロはこれも愛の神のせいだと開き直る。そこに、ギリシャ王の使者としてオレステが到着したことが伝えられる。ピッロは動揺する。二人はそれぞれ、心の安らぎが失われてしまったことを嘆く。ピッロは、オレステたちを宮殿の大広間に案内するよう命じる。
 宮殿の豪華な間。オレストとピラーデが現れる。オレステはエルミオーネへの報いられない愛を嘆き、エルミオーネに再び会えることに情熱を燃やしている。ピラーデはオレステを諌める。ピッロが、エルミオーネとアンドローマカを伴って現れる。彼がアンドローマカを丁重に扱うので、エルミオーネは憤慨する。オレステはピッロに、アスティアナッテは死んだと信じられていたが、それは替え玉で、本当はここの牢に隠されている、彼をギリシャに引渡すのだ、と求める。それに対しピッロは、ギリシャはもうアスティアナッテを恐れる必要などないと、引渡しを拒み、さらに彼が自分と玉座を共にするだろうと言い、一同を驚かせる。ピッロは改めてアンドローマカに愛を受け入れるよう迫り、さらにエルミオーネにスパルタに帰るよう言い放つ。一同の激しい混乱。ピラーデは、この地は危険だと、オレステに警告する。アンドローマカは再度、妻になるつもりがないことをピッロに告げに行く。
 宮殿の外。エルミオーネはクレオーネに、ピッロへの愛が今や憎悪に変わったと打ち明ける。クレオーネは、オレステの力を借りるよう助言する。オレステが現れ、エルミオーネに愛を打ち明ける。エルミオーネは、オレステの優しい言葉に感謝しつつも、依然ピッロを愛していると答える。二人はそれぞれに愛に苦しむ。
 従者たちに導かれ、ピッロが現れる。彼は、先の言葉を翻し、ギリシャの要求に従い、アスティアナッテを引き渡すことにしたと告げる。エルミオーネは愛が自分に戻ってきたのかと喜ぶ。しかしピッロは、アンドローマカが彼の求愛を拒んだことで、策に出たのである。アスティアナッテが連れて来れられると、案の定アンドローマカは彼に慈悲を乞い、考え直す時間を求める。それに喜ぶピッロを見て、エルミオーネはピッロの策略を理解し、彼を非難する。ピラーデはオレステを連れ帰ろうとするが、オレステは聞き入れない。激しい混乱で幕となる。

第2幕
 宮殿の入り口の間。ピッロはアッタロから、アンドローマカがついに要求を受け入れたと聞き、喜ぶ。アンドローマカは悲しみに打ちひしがれる。ピッロはすぐに結婚式を執り行うよう命じる。アンドローマカは亡きヘクトルに、これも息子の命を救うためだと祈る。ピッロは、アンドローマカの悲痛な様子をいぶかしげながらも、アンドローマカと祭壇へと向かう。アンドローマカは、ピッロが息子の命を保障することと神々に誓った後に自害しようと考えているのだ。エルミオーネが現れ、アンドローマカに侮辱の言葉を投げつける。しかしアンドローマカは、エルミオーネに許しを与えて立去る。
 エルミオーネはアンドローマカがピッロの心を得たことに激しく動揺する。フェニーチョにもう一度ピッロの説得に向かい、クレオーネはピッロに腹を立てる。エルミオーネは、傷つき悲しみながらも、ピッロが自分の元に戻ってくることを期待する。そこに婚礼の行進が通りがかる。愕然としたエルミオーネは、友人たちの慰めもにもかかわらず、激しく復讐を求める。そこにオレストがやって来る。エルミオーネは彼に、自分をまだ愛しているならピッロを殺すのだ、と命じる。オレストはあまりのことに当惑しながらも立ち去る。エルミオーネは神々に復讐の成功を祈る。
 フェニーチョが、ピッロの説得に失敗したことを嘆いていると、ピラーデがオレステを捜しに現れ、さらにアガメムノンの艦隊が近づいていることを告げる。二人は事態の成り行きを心配し、神々に悲惨な結末を避けるよう祈る。
 エルミオーネが激しく興奮し、幻影に苦しんでいる。彼女はピッロを愛しているのか憎んでいるのか分からないと悩み、ピッロが許しを乞うて戻ってくることを夢見、戻ってこないオレステに、ピッロを殺してはならないと叫ぶ。しかしオレステは、彼女に血だらけの短剣を見せ、ピッロを殺害したことを告げる。エルミオーネは愕然とし、復讐をするように言ったが心はまだピッロを愛しているのだと告げる。愕然とするオレステ。ピラーデと仲間が駆けつけ、怒り狂った民衆がオレステを捜している、直ぐ逃げるのだとオレステを船へ連れて行く。エルミオーネは、嵐の海が復讐するだろうと言い放ち卒倒する。

 トットラは、ラシーヌの原作を要領よく圧縮しつつ、展開にあまり大きな改編をしていません。また詩句そのものも、ラシーヌからの踏襲が少なくありません。しかし、第1幕冒頭の地下牢の場面を加えたり、オレストの登場を後ろへ遅らせるなど、オペラでの効果を考慮した相違点はあります。また、ラシーヌでは基本的に言及のみで明確に舞台に上がる指示のなかったアスティアナッテは、オペラでは実際に舞台に登場することになりました。プリマドンナオペラという枠組みもあり、アンドローマカの存在は幾分後退しています。また、幕切れでエルミオーネが自害しないのは、当時のイタリアオペラの制約ためです(検閲から許可が出ないことが多いのです)。もっとも、オペラの幕切れでヒロインが「卒倒」した時は、「死んだ」と受け止められるものでした。


《エルミオーネ》の音楽

  《エルミオーネ》の音楽設計一覧図
(準備中)


初演

 初演は、1819年3月27日、サンカルロ劇場で行われました。初演のキャストは次の通り。

ErmioneIsabella ColbranSoprano

Andromaca

Rosmunda Pisaroni

Contralto

Pirro

Andrea Nozzali

Tenore

Oreste

Giovanni David

Tenore

Pilade

Giuseppe Cicimarra

Tenore

Fenicio

Michele Benedetti

Basso

Cleone

Maria Manzi

Soprano

Cefisa

Raffaela De Bernardis

Soprano

Attalo

Gaetano Chizzola

Tenore

 イザベラ・コルブラン(1784−1845)は、スペイン出身のソプラノ。当時のサン・カルロ劇場のプリマドンナ。ロッシーニのオペラの初演では、《エリザベッタ》(1815年)、《オテッロ》(1816年)、《アルミーダ》(1817年)、《エジプトのモーゼ》(1818年)、《リッチャルドとゾライデ》(1818年)、《エルミオーネ》(1819年)、《湖の女》(1819年)、《マオメット2世》(1820年)、《ゼルミーラ》(1822年)で歌っています。コルブランは、サン・カルロ歌劇場の興行主ドメニコ・バルバイヤの愛人でしたが、徐々にロッシーニと恋に落ち、ナポリを離れた直後の1822年3月16日に結婚しています。
 アンドレア・ノッツァーリ(1775−1832)は、当時40代半ばのベテラン・テノール。1811年からサンカルロ劇場の主要テノールの一人として活躍。ロッシーニのオペラの初演では、《オテッロ》(1816年)、《アルミーダ》(1817年)、《エジプトのモーゼ》(1818年)、《リッチャルドとゾライデ》(1818年)、《エルミオーネ》(1819年)、《湖の女》(1819年)、《マオメット2世》(1820年)、《ゼルミーラ》(1822年)に出演。彼は1819年にモーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》のタイトルロールを歌うなど、バリトン役も手がけている。おそらく持ち声は低めのテノールで、高い音をファルセットーネで歌ったのだと考えられています。
 ジョヴァンニ・ダヴィド(1790−1864)も、当時のサンカルロ劇場の花形テノール。父ジャコモも高名なテノール。1808年にデビュー、1813年頃から高い人気を博し、《イタリアのトルコ人》のナルチーゾ(ミラノ、スカラ座)、《テーティとペレオの結婚》のペレオ、《オテッロ》のロドリーゴ、《リッチャルドとゾライデ》のリッチャルド、《湖の女》のジャコモ5世、《ゼルミーラ》のイーロを創唱しています(これ以外に、《パルミラのアウレリアーノ》のタイトルロールも本来彼が創唱するはずでしたが、病気で直前にキャンセルしています)。
 ジュゼッペ・チチマルラ(1790頃−1840頃)は、1816年から1826年までサン・カルロ歌劇場に所属し、準主役、脇役を担当したテノール。

 《エルミオーネ》の初演は失敗に終わりました。5回の公演と、第1幕だけの上演が2回。そしてそれ以降150年以上もの間、埋もれたままになってしまいました。初演直後の3月30日付けでロッシーニが母親へ送った手紙にも、《エルミオーネ》への言及は全く見られません。
 失敗の理由は、主として、ロッシーニの革新的な音楽がナポリの聴衆に受け入れられなかったと考えられています。第2幕なしの公演が行われたということからすると、もっとも野心的な音楽である、第2幕のエルミオーネのグランシェーナが不人気だったのかもしれません。
 もう一つ、《エルミオーネ》が人気を博せなかった理由として考えられるのは、直前の《エジプトのモゼ》の大成功です。改訂によって加えられた「モゼの祈り」が決め手となり、《エジプトのモゼ》は3月7日から23日まで連日公演されるほどの大人気になったのです。その興奮覚めやらぬ時期に、重厚で革新的な《エルミオーネ》が初演されたので、聴衆が戸惑ってしまった可能性は大きいでしょう。
 なお、実際に《エルミオーネ》を観たことがあるかどうか分かりませんが、スタンダールは『ロッシーニ伝』で、次のように《エルミオーネ》を評しています。

 この作品でロッシーニは変化を求めて、グルックがフランス人に広めた朗唱調を真似しようとした。耳に感覚的な喜びをもたらさない音楽が、ナポリ人の気に入るわけがなかった。それに『エルミオーネ』では、登場人物の全員が憤慨し、それものべつまくなしだ。このオペラには怒りの感情しかない。(スタンダール『ロッシーニ伝』 山辺 雅彦 訳 みすず書房)


後の作品への転用

 初演が失敗に終わり埋もれてしまった《エルミオーネ》の多くの部分を、ロッシーニは積極的に転用しています。
 とりわけ、直後の作品である《エドゥアルドとクリスティーナ》には、多数の音楽が転用されています。《エドゥアルドとクリスティーナ》転用元一覧をご覧ください。
 また、序曲やグランシェーナで聞かれる印象的なのアレグロの音楽は、《ビアンカとファッリエーロ》と《マティルデ・ディ・シャブラン》の序曲でも用いられています。
 第1幕の合唱 Dall'Oriente L'astro del giorno の音楽は、《マオメット2世》のヴェネツィア稿で第1幕に採用され、さらにパリでの《コリントの包囲》でも用いられています。
 また、1824年にロンドンで、《エルミオーネ》の音楽を利用して《イタリア王ウーゴ》というオペラを作る計画もありましたが、これは実現しませんでした。


近代蘇演と今日の上演

 《エルミオーネ》の近代蘇演は、まず演奏会形式で、1977年8月31日にシエナで行われました。この時エルミオーネを歌ったのは、シマダ カズエという日本人のようです。この上演は、ピッロ役に予定されていたジュリアーノ・チャンネッラが直前に降板、ブルーノ・セバスティアンが急遽代役に立ったため、レチタティーヴォが大幅に削除されるなど、混乱を来したとのことです。
 次いで、1986年6月にCD用の商業録音が行われています(下記のCD紹介を参照)。
 舞台上演は、1987年8月22,26,29,9月1日に、ペーザロのロッシーニ音楽祭で行われました。エルミオーネ役はモンセラ・カバリエ。この公演の頃、カバリエを育て上げた母アンナが危篤に陥り(9月に没)、カバリエは練習の合い間や公演の合い間に飛行機でバルセロナに見舞いに帰ったといいます。そのため、カバリエは本領を発揮できず、評判もあまり良くなかったそうです。ROFではこれ以降2007年まで20年上演がありませんでした。
 このROFの舞台蘇演以降、《エルミオーネ》の上演はかなり頻繁に行われています。主なものだけでも、1988年4月にマドリッド、1988年4月にナポリ、1991年2月にローマ、1992年にロンドン、1992年にサン・フランシスコ、1992年にオハマ、1992年にブエノスアイレス、1995年4月にブリュッセル、1995年5―6月にグラインドボーン(1996年8月に再演)、2000年8月にサンタフェ、2003年1−2月にダラス、 2003年6月にニューヨーク、20004年2月にロンドン、2004年4月にニューヨーク、と上演されています(演奏会形式含む)。他のロッシーニのナポリ時代のセリアと比べると、英米での上演が目立ちます。
 初演は失敗に終わった《エルミオーネ》は、現在ではロッシーニの最も野心的な傑作として、高い人気を誇っているのです。


参考資料

(準備中)  この作品ではロッシーニが劇進行を主体に考えていることが良く理解できます。もちろん番号制で作られているのですが、しかし一つ一つのアリアや重唱は拡大され、合唱や脇役が大きく参加し、一つの場面から次の場面へと連続していきます。また序曲には舞台裏からのトロイの崩壊を嘆く合唱が挟みこまれ、これによって、オペラ全体の雰囲気を効果的に予告することとなっています。
 こうしたロッシーニの先進的な姿勢が最もはっきり出ているのは、第2幕の長大なエルミオーネのアリアです。ここではレチタティーヴォ・アッコンパニャートを挟みながら、エルミオーネは実に四つの歌を連続して歌うことになります。その中で彼女は悲しみから嫉妬に怒り来るまでに大きく変貌するのですから、歌う方としては大変な力試しになります。ことに最後の歌は、怒りに燃えるエルミオーネがオレステにピッロの殺害を要求する極めて劇的なものです。
 こうした場面を聞いていると、ロッシーニの大胆な試みが極めて高い段階に達したことを感じ取れると同時に、当時の聴衆がこうした先進的な音楽にいささか戸惑いを感じていたであろうことも理解できます。実際、この作品はあまりさしたる評判を呼び起こさず、ナポリ以外でも上演はなかったようです。
 しかしやや渋いとはいえ、やはり大変充実した作品だと思われます。トットラの台本も、ラシーヌの立派すぎるほど立派な原作を尊重したもので、安心して聞くことが出来ます。


関連項目

《エドゥアルドとクリスティーナ》
《湖の女》 1820年6月,ナポリ,サンカルロ劇場
《湖の女》 1825年11月,パリ,イタリア劇場

Anna Caterina Antonacci, Diana Montague, Jorge Lopez-Yanz, Bruce Ford, Paul Austin Kelly, Gwynne Howell, Paul Nilon, Julie Unwin, Lorna Windsor
The London Philharmonic
Andew Davis
Glyndebourne, 1995 KULTUR D2850(DVD NTSC Region1)

 グレアム・ヴィック演出。この舞台は大変素晴らしいものです。

Cecilia Gasdia, Margarita Zimmermann, Ernesto Palacio, Chris Merritt, William Matteuzzi, Simone Alaimo, Mario Bolognesi, Elisabetta Tandurra
Orchestra Filarmonica di Montecarlo, Coro Filarmonico di Praga
Claudio Scimone
Monte-Carlo,June 1986
ERATO 2292-45790-2

Montserrat Caballé, Marilyn Horne, Chris Merritt, Rockwell Blake, Giuseppe Morino, Giorgio Surjan, Enrico Facini, Daniela Lojarro, Paola Romano
Orchestra Giovanile Italiana, Coro di Radio Budapest
Gustav Kuhn
Pesaro, 22 August 1987
LEGATO LCD-159-2


EDUARDO E CRISTINA

ドランマ・ペール・ムージカ(セリア)
初演:1819年4月24日、ヴェネツィア、サン・ベネデット劇場
台本作家:アンドレーア・レオーネ・トットラとゲラルド・ベヴィラクア・アルドブランディーニ
原作:ジョヴァンニ・シュミットの「オドゥアルドとクリスティーナ」の台本(作曲はステーファノ・パヴェージ、1810年、ナポリ初演)

 『ピアンカとファンリェーロ』作曲の前年に、ロッシーニはヴェネツィアの興行主をひどいべテンにかけたことがある。

 スタンダールは「ロッシーニ伝」で「エドゥアルドとクリスティーナ」についてこう切り出しています。
 ヴェネツィアへの新作であるはずのこの作品、実は大部分は彼の旧作から転用されているのです。もちろん、ロッシーニにとって、新作に自分の旧作からの曲を転用したり素材を使いなおしたりするリサイクルはいつものことです。ただ「エドゥアルドとクリスティーナ」の場合、新しく作った曲を数えた方がずっと早いほど、徹底しています。これでは“パスティッチョ”です。
 ひとまず、ボンジョヴァンニのCDの解説にある一覧をもとにした転用元一覧を御覧ください。
 大雑把に言って、第1幕の前半は「アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ」から、第1幕の後半と第2幕は「エルミオーネ」から転用されています。さらに「リッチャルドとゾライデ」と「モゼ・イン・エジット」といった作品からも利用されているます。
 たしかに、ヴェネツィアのために完全に新たに作られた曲はわずかなものです(レチタティーヴォ・セッコおよびレチティーヴォ・アッコンパニャートは新たに作られています)。

 台本そのものも、当時としては別に珍しいことではありませんが、使い古しのものです。パヴェージが1810年にナポリで初演した「オドゥアルドとクリスティーナ」(スタンダールは誤解してロッシーニの作品もこの名前で読んでいます)のシュミットの台本を手直ししたものです。

 スウェーデンの王宮では、ロシアとの戦いに勝利したエドゥアルド(これはメッゾのズボン役)を国王カルロ(テノール)が待ちわびています。カルロの娘クリスティーナ(ソプラノ)は彼と愛し合って子供までもうけていますが、しかしそのことはカルロには知られていません。エドゥアルドが凱旋。ところがカルロがクリスティーナをスコットランドの王子、ジャコモ(バス)に与えることにしたので、二人の恋人は衝撃を受けます。クリスティーナが一人部屋にいるところに、エドゥアルドが秘密の扉を通って彼女と息子に会いにやってきます。二人は悲嘆にくれます。エドゥアルドはクリスティーナに城から逃げようと説得します彼女はためらいます。そこへ王の一行がやって来ます。エドゥアルドは友人のアトレイに引っ張られ、辛くも逃げます。カルロは娘にすぐにジャコモと結婚するため教会に行くよう急かします。なんとか引き伸ばそうとするクリスティーナと問答しているところへ、秘密の扉から幼いグスターヴォが飛び出てしまいます。驚く一同。自分が母親だと認めるクリスティーナに、カルロは夫が誰なのか問い詰めますが、彼女が白状しないのでついに法廷で裁くと命じます。法廷でも死を望むクリスティーナのもとに、エドゥアルドが駈けつけ、自分が夫であると告白。怒り狂ったカルロはエドゥアルドとクリスティーナと、そして息子のグスターヴォにまで死を宣告します。クリスティーナを愛するジャコモは、せめて彼女だけでも命を助けて欲しいとカルロに懇願します。カルロはクリスティーナに再度ジャコモと結婚するよう説得しますが、彼女は応じません。そうこうしているうちに、ロシア軍の攻撃の知らせが。アトレイは牢からエドゥアルドを救出、仲間と合流します。塔に閉じ込められたクリスティーナが夢にうなされていると、大砲の音で目が覚めます。エドゥアルド達が現れ、彼女を解放に来ます。一方カルロはジャコモから、劣勢だったスウェーデン軍を突然現れたエドゥアルドが救ったと伝えます。再び勝利を収めたエドゥアルドにカルロの怒りも溶け、彼を許し、一同の喜びで幕となります。

 この手の作品の常として既にある音楽の方が優先されますから、適合するようもとの台本はかなり手直しされているはずです。音節や韻を踏むなどの制約があるので、どうしてもあちこちガタがでるのでしょう。

 スタンダールの「ロッシーニ伝」には、先に引用した部分に続いて、初演の時の様子が愉快に描写されています。スタンダールのことですから、事実としての信憑性はニの次ですが、しかしこの作品の特性を理解する上で大変便利なので、ちょっと長くなりますが御紹介しましょう(いつも通り山辺雅彦氏訳の本にお世話になります)。

 ようやく初演の九日前になってロッシーニが(ヴェネツィアに)姿を現わした。上演がいよいよ始まり、オペラは熱狂的な喝采を受ける。ところがあいにく平土間席にナポリの商人がいて、歌手より前に全部の曲のテーマを歌ってみせる。周囲の客が肝をつぶす。どこでこの新曲を聞いたのかと尋ねる。すると答えて、「だってこれは『リッチャルドとゾライデ』に『エルミオーネ』ですぞ。どちらも半年前にナポリで喝采されたオペラですよ。気になるのはなぜ題名を変えたのかということだけですがね。『リッチャルド』のニ重唱で最も美しいフレーズ、

ああ、本当に私たちは生まれつき
Ah! nati è ver noi siamo

をもとにして、ロッシーニはみなさんの新しいオペラのカヴァティーナをこしらえましたな。歌詞さえ変更せずに」
 幕合いとバレエの最中に、この不吉なニュースはまたたくまにカフェへ伝わった。そのカフェではヴェネツィア有数の音楽通が腰をすえて、このオペラの素晴らしさを論じ合っていたのだ。ミラノなら国民的自惚れが傷つけられ、怒り狂ったことだろう。ヴェネツィアではみんなげらげら笑い出した。[…]致命的な噂のせいで破産しかねない興行主は憤激して、ロッシーニを探す。見つけると、ロッシーニは落ち着き払ってこう答えた。「私がどんな約束をしましたかな。公衆に受ける音楽を提供することでしょうが。この音楽は成功した、<それで十分>(e tant basta)。[…]」
(スタンダール「ロッシーニ伝」山辺雅彦訳 みすず書房刊 304‐305ページより抜粋)

 ヴェネツィアの聴衆がリサイクル作品である「エドゥアルドとクリスティーナ」に大喜びしたことは間違いない事実です。メッゾを若く強い英雄役にあてるというちょっと古めかしいスタイルに仕立てたのも、ヴェネツィアの二流劇場には丁度良かったのかもしれません。
 ヴェネツィアの人達だけではありません。この作品はこの時期のロッシーニの作品では非常に広く親しまれたものの一つとなりました。
 それもそうでしょう、聞けばわかることですが、「エドゥアルドとクリスティーナ」には次から次へと素晴らしい曲が並んでいます。初めから最後まで、「アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ」や「エルミオーネ」などから優れた曲ばかりが引っこ抜かれているのです。
 例えば冒頭には、「アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ」からの幕開きの導入と第2幕フィナーレという要の二つの音楽が並べられています。後者はアリア・フィナーレですから、聞き応えがあるのも当然。また「エルミオーネ」からは、難易度の高いピッロのアリアや、斬新なエルミオーネとピッロの二重唱、第1幕フィナーレ、さらにはあのエルミオーネのグラン・シェーナからも転用されています。さらに「モゼ・イン・エジット」から転用されているのは、あの有名な紅海横断の場面!御馳走ばかりです。
 「アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ」も「エルミオーネ」も初演以外に上演された形跡がありません。また「モゼ・イン・エジット」も、飛躍的に有名になるのは1819年3月に有名なモゼの祈りが加えられてからのことで、その一月前ではヴェネツィアにはまだそれほど知られていなかったのかもしれません。音楽さえ良ければ、知らぬ作品からの転用なぞヴェネツィアの人達にとってはどうでも良いことに思えたのでしょう。
 転用曲の宿命として、言葉と音楽の間に隙間があるような箇所が少なからずあるのは事実でしょう。またローマ向けのいささか保守的な「アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ」の音楽と、「エルミオーネ」のような野心的なナポリのセリアでは印象が異なるため、第1幕の途中で音楽の雰囲気がガラッと変る印象もうけます。その他寄せ集めゆえの欠点を指摘するのは実に容易なことです。
 しかし、そうしたことにこだわってこの作品を楽しむことが妨げられるとしたら、残念なことです。音楽としての素材の良さは間違いなく高い作品です。

 全く逆のパターンではありますが、「アウレリアーノ・イン・パルミーラ」がおいしいところを「セビリャの理髪師」に転用され、それがあまりに有名になってしまったために「アウレリアーノ」は永遠に純粋に評価されることができなくなってしまいました。
 しかし「エドゥアルドとクリスティーナ」の場合、まだ「アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ」や「エルミオーネ」などを聞いたことがなければ、かつてのヴェネツィアの聴衆と同様、この作品を無垢の状態で聞くことができます。そして自分の耳で正しい判断を持つことが出来るでしょう。オペラにおける楽曲の転用が悪という近代の考え方が、18世紀の半ばより以前のオペラには通用しない奇妙なものだということを理解するにはうってつけの作品といえます。
 もちろん、聞いたことがあれば、ロッシーニがどの曲をどのような場面で利用したか比べるという楽しみもあります。

 いずれにせよ、そう多くはないロッシーニのオペラ、一つでもより多く楽しめたほうが良いというのが、ロッシーニアンの本音でしょう。



「エドゥアルドとクリスティーナ」転用元一覧 BONGIOVANNNIのCD GB2205/06のブックレットに収録の一覧表を訳した上で若干加筆しています。
第1幕第1番
導入
合唱、三重唱とストレッタ「アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ」
導入
第2番
行進曲、合唱とエドゥアルドのカヴァティーナ
行進曲と合唱
"Serti intrecciar le vergini"
「アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ」
第2幕フィナーレの前の勝利を喜ぶ合唱
"Serti intrecciar le vergini"
カヴァティーナ
"Vinsi, e fui d'eroi"
「アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ」
第2幕、オットーネのロンド・フィナーレ
"Scorda i passati affanni"
第3番
合唱とクリスティーナのカヴァティーナ
合唱
"O ritiro, che sottiorno"
「アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ」
第1幕の合唱
"O ritiro, che sottiorno"
カヴァティーナ
"È svanita ogni speranza"
「アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ」
第1幕のアデライーデのカヴァティーナ
"Occhi miei piangeste assai"
第4番
シェーナとクリスティーナ=エドゥアルドの二重唱
二重唱
"In quei soavi sguardi"
「アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ」
第1幕の婚礼の場でのアデライーデとオットーネの二重唱
"Mi dai corona e vita"
第5番
合唱
合唱
"Vieni al tempio, o principessa"
「アデライーデ・ディ・ボルゴーニャ」
第1幕の合唱
"Viva Ottone, il grande, il forte"
第6番
シェーナとカルロのアリア
"D'esempio all'alma infide 「エルミオーネ」
第1幕のピッロのアリア
"Balena in man del figlio"
"All'eccesso dlla pena"新たに作曲
"Ah sgombrate da me bassi affetti" 「エルミオーネ」
ピッロのアリアのカバレッタ
"Non pavento:quest'alma ti sprezza"
第7番
第1幕フィナーレ
合唱
"A che, spietata sorte"
「リッチャルドとゾライデ」
合唱
"Qual giorno, ahimè d'orror"
"Svela il reo, Ah! fulminate"新たに作曲
"Oh Dio! Fia ver!"「エルミオーネ」
第1幕フィナーレから
"Sperar...Temer...Possio"
Vil Vassallo!新たに作曲
Signor, deh! moviti「エルミオーネ」
第1幕フィナーレから
"Pirro, deh serbami"
第2幕第8番
導入の合唱
合唱
"Giorno Terribile"
新たに作曲
第9番
合唱
合唱
"Impera severa la legge possente"
新たに作曲
第10番
ジャコモのアリア
"Questa man la toglie a morte" パヴェージ作曲の「オドゥアルドとクリスティーナ」のジャコモのアリアを転用
第11番クリスティーナとカルロの二重唱
"Ah? qual orror!"
「エルミオーネ」
エルミオーネとピッロの二重唱
"Non proseguir, comprendo"
第12番シェーナと、クリスティーナとジャコモのニ重唱合唱
"Nel misero tuo stato"
新たに作曲
"La pietà che in seno serbate" 新たに作曲
"Viva Eduardo"「エルミオーネ」の素材を利用
"Come rinascere" 「エルミオーネ」
第1幕のオレステのアリアのカバレッタ
"Ah come nascondere"
第13番グラン・シェーナとクリスティーナのアリア"Ah no, non fu riposo" 「エルミオーネ」
エルミオーネの第2幕のアリアから
"Di' che vedesti piangere"
"Vieni pur:terror non hai"新たに作曲
"Ma che sento"新たに作曲
カバレッタ
"Ah, nati inver noi siamo"
「リッチャルドとゾライデ」
リッチャルドとゾライデの二重唱"Ricciardo! che veggo"から
"Ah, nati inver noi siamo"
第14番
戦い
(オーケストラ曲)「エジプトのモゼ」
紅海横断の場面
第15番
カルロとエドゥアルドの二重唱
"Come? tu sei?"新たに作曲
第16番
第2幕フィナーレ
"A voi dolci intorno al core"「リッチャルドとゾライデ」
第2幕フィナーレ
"Or più dolci intorno al core"


Omar Jara, Carmen Acosta, Eliseda Dumitru, Konstantin Gorny, Jorge Orlando Gomez
I Virtuosi di Praga, Czech Chamber Chorus
Francesco Corti
Wildbad, 16&19 July 1997
BONGIOVANNI GB 2205/6-2

20世紀唯一の公演となったヴィルトバートのロッシーニ・フェスティヴァルでの貴重な録音。ただしキャストはまるで弱体で、特にカルロ役のヤーラは危なっかしくてハラハラします。




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