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1817-2




ARMIDA

初演:1817年11月9日、ナポリ、サン・カルロ劇場
台本:ジョヴァンニ・シュミット
原作:トルクァート・タッソ『解放されたエルサレム』

Cecilia Gasdia, Chris Merritt, Bruce Ford, William Matteuzzi, Charles Workman, Ferruccio Furlanetto
I Solisti Veneti, Ambrosian Opera Chorus
Claudio Scimone
Treviso, 19 June 1992
EUROPA, 350-211

Renée Fleming, Gregory Kunde, Jorio Zennaro, Bruce Fowler, Carlo Bosi, Donald KaaschJeffrey Francis, Ildebrando D'Arcangelo, Sergey Zadvorny
Orchestra e Coro del Teatro Comunale di Bologna
Daniele Gatti
Pesaro, 6-17 August 1993
SONY S3K 58968

ROFでの上演のライヴ録音。公演は8月9、12、14、17日に行われましたので、リハーサルを含めて収録して編集したものと思われます。


ADELAIDE DI BORGOGNA

初演:1817年12月27日、ローマ、アルジェンティーナ劇場
台本作家:ジョヴァンニ・シュミット

註 Adelaide di Borgogna の Borgogna は、イタリア語でブルゴーニュを指す言葉です。オペラ御殿では、人名などは台本の使用言語の読みに従いますが、地名は一般に広まっている読み方を採用するのを原則としています。したがって、Adelaide di Borgogna の Borgogna も《ブルゴーニュのアデライデ》とすることも可能なのですが、オペラの舞台となっている10世紀後半の南フランスから北イタリアにかけての王国が、日本の世界史では一般的に『ブルグント王国』と呼ばれていることから、ここでの Borgogna もそのように理解し、オペラ御殿ではこの作品を《ブルグントのアデライデ》と呼ぶことにします。なお、Adelaide は、-lai-のaア音にアクセントが入るようなので、音引きせずアデライデにします。


作曲

(準備中で未完成です)
 1817年10月26日付けの手紙に、ローマのアルジェンティーナ劇場の興行主ピエトロ・カルトーニに書面を同封している記述があります。11月9日にナポリで《アルミーダ》を初演し、12月10日にローマに向かっているので、作曲は《アルミーダ》の直後から出発までの一月ほどと考えられます。


史実の人物たち

アデライデ(931−999)
 父がブルゴーニュ公2世ロドルフォなので、ブルゴーニュ王女アデライデと呼ばれます。947年、イタリア王ロターリオ2世(? - 950、在位945 - 950)と結婚したものの、ロターリオ2世は950年に亡くなり、十代の若さで未亡人になってしまいました(ロターリオはベレンガリオ2世に毒殺されたという噂があります)。彼女自身、イタリア国王ウーゴの孫という強い王位継承権を持っていたため、ベンガリオ2世から彼の息子アダルベルト2世と結婚を強要されます。しかしこれを拒んだために幽閉されてしまいました。オットー1世が彼女を救出し、951年に結婚、王妃となります。しかし973年にオットー1世が亡くなってから後は、彼女の地位は不安定になってしまいます。999年、アルザスで亡くなりました。それからおよそ100年後の1097年に、彼女は聖人に列せられました。

オットー1世(912−973)
 東フランク王国国王(在位936−)、さらに神聖ローマ帝国の初代皇帝(在位962−973)。オットー大帝と言われることもあります。父ハインリヒ1世の時代まで、ドイツは諸大公の群雄割拠する分裂状態でしたが、オットーが帝国教会体制(教会から領地や特権を寄進させたり、司教や修道院長の任命権を握る代わりに、聖職者を政権で優遇し、それによって王権を強化する体制)を取ることで、ドイツ統一の強化を進めました。帝国教会体制との関わりから、オットー1世はイタリアに関心が高く、何度か南進をしています。951年にはアデライデ救出のために、962年にはローマ法王ヨハネス12世の要請で、それぞれイタリアへ進み、どちらの場合もベレンガルド2世を破っています。後者の功績によって、教皇からローマ皇帝の地位を与えられ、神聖ローマ帝国の初代皇帝となりました。

ベレンガリオ2世(900頃−966)
 イヴレア辺境伯から身を起こし、950−951、および952−963でイタリア王に在位。951年に、アデライデを救出しようとするオットー1世に敗北。オットーに忠誠を誓ったため臣下として王位に復帰します。しかし960年以降、度々教皇領に攻撃をしかけたことから、法王ヨハネス12世がオットー1世に協力を要請、963年に再びオットー1世に敗北し降伏、捕らえられドイツに連行され、966年にバンベルクで亡くなっています。

アダルベルト2世(936頃−971)
 ベレンガリオ2世の息子。父とともにイタリア王を兼任しました。971年、ブルゴーニュのオータンで亡くなりました。


あらすじ

第1幕  カノッソの要塞。ベレンガーリオの軍勢に征服され、市民達が嘆いている。ベレンガーリオの兵士たちは、アデライデが従うのも時間の問題とベレンガーリオを讃える。ベレンガーリオはイタリアの王座を手にできると喜んでいる。一方、イロルドは、オットーネでも助けにならないだろうと絶望している。アデライデは、ベレンガーリオとその息子アデルベルトに対して不快感を露にする。アデルベルトはアデライデに結婚を迫るが、アデライデはこれを拒み、神に救いを祈る。ベレンガーリオは彼女を連行させる。アデルベルトは、オットーネが近づいていると警告、そこに戦場から駆けつけたエウリーチェが、オットーネが既にガルダ湖近辺にいることを報告する。ベレンガーリオは、一旦和平を結ぶと見せかけて油断させる作戦を取ることにする。
 オットーネの兵士たちが、イタリアの地に挨拶をし、民衆の解放を誓う。オットーネはアデライデを救い、彼女の苦しみを幸せに変えるのだと誓う。アデルベルトの訪問が告げられる。策略をしでかすのではないかと警戒するオットーネに対し、アデルベルトは和平を申し出る。拍子抜けするオットーネ。アデルベルトはさらに、アデライデは被害者を装っている、と彼女を悪者に仕立てあげようとする。しかしオットーネはその思惑には乗らず、アデライデに王座を返すつもりであり、彼女と面会する必要がある、と答える。アデルベルトは、口では和平を唱えつつ、心中では腹を立てている。一方のオットーネも、和平を受け入れつつ、剣を振り回せないことに焦りを感じている。アダルベルトはオットーネに、カノッソで館を提供すると申し出、オットーネはそれに感謝する。
 カノッソの要塞。ベレンガーリオがオットーネとアデルベルトの帰りを待っている。その様子を見て、エウリーチェは何か不安を感じる。実はベレンガーリオは、和平を信じて少ない兵で訪れたオットーネを襲う計画なのだ。オットーネが到着する。ベレンガーリオは歓迎を装うことにする。人々は、オットーネをアデライデを救った者と称える。オットーネの足元に、アデライデがひれ伏す。オットーネは彼女を起こすと、事情を語るよう言う。アデライデはロターリオが殺され、王国が奪われたことを語り、救いを願う。オットーネはアデライデの願いを受け入れ、二人は立ち去る。
 親子二人になると、アデルベルトは、黙って見守るばかりのベレンガーリオに不満をぶつける。それに対して彼は、自分は王座を狙っているのに、お前は愛にしか目がない、と皮肉る。なぜ攻撃しなかったというアデルベルトの問いに、ベレンガーリオは、オットーネの大軍が近づいているという知らせがあったからだと答える。そして、もう少ししたらオットーネを亡きものにし、アデラーイデに復讐しよう、と告げる。
 アデライデの部屋。侍女たちがアデライデの解放を喜んでいるぶ。アデライデはオットーネへの愛を喜ぶ。イロルドが祝宴の準備ができたと告げる。アデライデは、ベレンガーリオ親子が何かしでかすのでは、と心配する。イロルドは、オットーネを歓迎する市民の中では何もできないだろう、と答える。オットーネが部屋にやって来て、彼女との結婚を望むが、もし愛を拒むなら、他の国へと去ろう、と言う。アデライデは、自分の心を愛する人に捧げます、と答える。オットーネはアデライデを神殿へと誘う。
 カノッソの広場。人々が歓呼する中、ベレンガーリオ親子はオットーネの油断をほくそえんでいる。アデライデとオットーネが現れる。オットーネはイタリアの市民を歓迎し、アデライデは、オットーネが夫となる喜びを神に感謝する。二人が手を握り合い至福の時に浸っていると、武装したベレンガーリオ親子が押し入る。オットーネは剣を抜くが、少数の兵士かいないオットーネは防戦するのが精一杯。その間にアデライデがベレンガーリオの兵に捕まってしまう。激しい混乱で幕となる。

第2幕
 カノッソの要塞。ベレンガーリオとアデルベルトの兵士たちが、不意をつかれて逃げ去ったオットーネを嘲笑っている。アデルベルトが母エウリーチェにオットーネを退散させた成りゆきを話し、エウリーチェも喜ぶ。アデルベルトはアデライデに、夫と王国のどちらも手にできるのだぞ、と迫るが、アデライデは彼らがロターリオを殺したと思っているので、申し出を突っぱねる。彼女に軽蔑され、アデルベルトは、愛ゆえに卑劣な行為に出たことを恥じる。そこに兵士たちが慌てて駆けつけ、オットーネが反撃、ベレンガーリオが破れ捕らわれたと知らせる。アデルベルトはうろたえ、アデライデは喜ぶ。アデルベルトは再度アデライデに結婚を迫るが、アデライデは、命を奪うことはできても、決して妻にはならない、と反発する。エウリーチェは、ベレンガルドを救うにはアデライデと交換すべきだと主張、しかしアデライデを失いたくないアデルベルトは、母の強い説得にもまだ決断しかねる。エウリーチェは、秘密裏にアデライデを引き渡そうと、イロルドを案内する。
 エルネストが、アデルベルトに、アデライデとベレンガーリオの交換の要求をしたことをオットーネに告げる。捕らわれのベレンガーリオが連れてこられる。オットーネは彼の裏切りを非難する。交渉に来たアデルベルトは交換に応じると答えるが、しかしベレンガーリオは、アデライデを引き渡す代償にインスーブリア(ヴァレーゼやコモのあたり)の領土を求める。オットーネがこれに応じようとした矢先に、自由の身となったアデライデが現れる。オットーネは喜ぶ。エウリーチェが彼女を解放したのだ。アデルベルトは父の釈放を求める。ベレンガーリオは妻の行為に憤りつつも、カノッソに戻ったら再度戦いをしでかそうと考える。オットーネはそれを察し、決戦の覚悟をする。
 オットーネの天幕。オットーネは決戦を前に兵士たちを鼓舞する。そして不安に駆られるアデライデを慰める。エルネストが、敵の軍勢がカノッソを離れたことを知らる。アデライデは、自分のヴェールをオットーネに巻きつけて勝利を祈る。オットーネは出陣する。アデライデは涙を堪える。やがてオットーネの勝利が伝わると、アデライデは歓喜する。
 カノッソ。人々がオットーネを歓迎している。オットーネはアデライデの頭上に花輪を載せ、彼女を王座に返し、自らはローマ帝国皇帝となり、共同で国を治めようと提案する。一同の喜びで幕となる。


音楽

(準備中)


初演

(準備中)


転用

 早々に消えてしまった《ブルグントのアデライデ》でしたが、優れた箇所の多くは、パスティッチョである《エドゥアルドとクリスティーナ》に転用されています。 (1819年4月24日、ヴェネツィア、サン・ベネデット劇場)に転用。N.1導入,N.5合唱,N.7合唱とアデライデのカヴァティーナ,N.8二重唱,N.16合唱,N.17ロンドフィナーレ。


近代の復活

1978年 ロンドン クイーン・エリザベス・ホール(演奏会形式)
1984年8月 マルティーナ・フランカ イトリアの谷音楽祭 →CD
2005年8月 エジンバラ音楽祭(演奏会形式) →CD(予定)
2006年8月 ペーザロ ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル(演奏会形式)
2011年8月 ペーザロ ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル


関連項目

《結婚手形》
《エドゥアルドとクリスティーナ》

Majella Cullagh, Jennifer Larmore, Mirco Palazzi, Bruce Ford, Rebecca Bottone, Ashley Catling, Mark Wilde
Scottish Chamber Orchestra, Scottish Chamber Orchestra Chorus
Giuliano Carella
Edinburgh, August 2005
OPERA RARA ORC32

Mariella Devia, Martine Dupuy, Armando Caforio, Aldo Bertolo, Elisabetta Tandura, Giuseppe Fallisi, Michele Farruggia
Orchestra del Festival di Martina Franca, New Cambridge Chorus
Alberto Zedda
Martina Franca, 4 August 1984
ITALIA FONIT CETRA CDC 64




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