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1814



L'ITALIANA IN ALGERI
Milano, Teatro Re, Aprile 1814

初演:1814年4月、ミラノ、レ劇場

 1813年から1814年にかけてのカーニヴァルシーズンに、ロッシーニはミラノで精力的に活動していました。1813年12月18日にはレ劇場で《タンクレーディ》を、12月26日にはスカラ座で新作《アウレリアーノ・イン・パルミーラ》の初演を、そして4月の始めに再びレ劇場で《アルジェのイタリア女》を上演しています。
 この《アルジェのイタリア女》のミラノ初演も大成功でした。

 この時の上演では、既に述べたように、イザベッラの Cruda sorte! と Per lui che adoro が若干手直しをされ、現在通常聞ける形になっているほか、第2幕のリンドーロのカヴァティーナ Oh come il cor di giubilo が、新しい Concedi, amor pietoso に差替えられました。これはオリジナルがロッシーニの作ではなかったので、自分のものに取替えたというわけでしょう。

 音楽は非常にロッシーニらしい高度で堂々としたものです。曲は緩−急の二部の作り。変ロ長調 4/4 アンダンテの Concedi, amor pietoso では、まずクラリネットのソロに彩られた前奏があります。伸びやかな歌ですが、音域はかなり高く、また装飾もあちこちにあります。テンポがアッレーグロ・ジュストにあがります。Voce che teneraは、《タンクレーディ》のヴェネツィア初演で歌われたタンクレーディの差替えアリア Dolci d'amor parole の後半部分、Dolci d'amor parole を移調してほぼそのまま使っています。高いC音が頻出する難易度の高いものですが、これはロッシーニの良さが出た曲で、優秀なテノールが歌えば映えるでしょう。

 普通、初演時に第三者が書いたアリアをロッシーニが後に自身で書き直した場合、そちらの方が一般的になることが多いのですが、《アルジェのイタリア女》の場合はそうはならず、音楽的に遜色のある Oh come il cor di giubilo が広まりました。やはり二つ超難易度のアリアを歌うのは大変だからでしょう。しかし昨今の優秀なロッシーニ・テノールたちであれば、 Oh come il cor di giubilo に替えて歌うことだって十分可能でしょうから、こちらで歌われる上演が広まるといいのですが。
 ともかく、埋もれるにはもったいないアリアです。

関連項目

《アルジェのイタリア女》
《アルジェのイタリア女》 1813年7月、ヴィチェンツァ、エレテーニョ劇場
《アルジェのイタリア女》 1815年10月 ナポリ、フィオレンティーニ劇場

Marianna Pizzolato, Marco Vinco, Maxim Mironov, Bruno de Simone, Barbara Bargnesi, José Maria Lo Monaco, Alex Esposito
Orchestra del Teatro Comunale di Bologna, Coro da Camera di Praga
Donato Renzetti
Dario Fo
Pesaro, August 2006
DYNAMIC DVD33526




DYNAMIC CDS526

このROFの上演では、第2幕のリンドーロのアリアを Concedi, amor pietoso に差替えています。

Juan Diego Florez
Orchestra Sinfonica di Milano Giuseppe Verdi
Riccardo Chailly
Milano, May & August 2001
DECCA UCCD-1055 (Japanese domestic)

フローレスのロッシーニアリア集の中に収録されています。力強く歌われています。

Raúl Gimenez
Orchestra de Chambre de Lausanne
Jesús López Cobos
Lausanne, July 1997
TELDEC 0690-17130-2

全曲の余白に補遺として収録されています。こちらはヒメネスらしい柔らかい歌いまわし。

Gregory Kunde
Stuttgart SWR Radio-Symphony Orchestra
Maurizio Benini
Pesaro, August 1993
RICORDI OPERA RFCD 2022

ペーザロのロッシーニフェスティヴァルで行われた、ロッシーニの珍しいアリアなどを集めた DI TANTI PALPITI というコンサートのライヴ録音です。
クンデはちょっと癖のある歌い方ですが、高い音には不安がありません。ヴァリアンテの入れ方に工夫があります。


IL TURCO IN ITALIA

初演:1814年8月14日、ミラノ、スカラ座

 《イタリアのトルコ人》の失敗はスカラ座のスノッブ臭さを象徴する事件です。ヴェネツィアで《アルジェのイタリア女》が大成功したことを知っていたミラネーゼは、《イタリアのトルコ人》という題名だけで二番煎じを掴まされたと憤り、はなから作品を正当に評価しなかったといわれています。
 確かにミラノは、失敗作《アウレリアーノ》を除くと、《タンクレーディ》(1813年12月にミラノで上演)はヴェネツィアのお古、《イタリア女》はモスカのオペラ(1808年8月にスカラ座で初演)の台本のお古だったわけですから、ロッシーニのミラノ向けの新作に飢えていたわけです。そこに《イタリアのトルコ人》がポンと出されたので誤解してしまったのです。
 ところが作品はというと《イタリア女》とはかなり趣が異なります。ああしたあっけらかんとした抱腹絶倒ではなく、シニカルな、斜に構えたところのある作品です。詩人プロスドーチモが全体の狂言役として、舞台上の劇をさらに上から眺め説明し進行し、劇中劇のように仕立てているのです。ですから何か冷ややかな視線による面白さがあります。
 また物語も、美しさを武器にするわがまま放題の妻が結局夫のところに戻るという点に特徴があります。この、愛なんていいかげんだげど最後はうまく収まる、という基本精神は、モーツァルトの《女はみんなこうしたもの》との親近性があります。
 この作品の台本のオリジナルは、1788年にドレースデンで上演されたフランツ・ヨーゼフ・ザイデルマンという作曲家のオペラへの、カテリーノ・マッゾーラの台本だそうです。この作品は翌年ウィーンでも上演され、マッゾーラをよく知っていたロレンツォ・ダ・ポンテがこの公演を聞いていたようなのです。したがって《女はみんなこうしたもの》にはこのザイデルマンのオペラの影響があるといいます。そういう意味ではいとこ同志のオペラといえるかもしれません。
 もっと直接的な影響もあります。ロッシーニがこの作品の作曲に取りかかろうとしていた1814年の6月には、スカラ座でまさにこの《女はみんなこうしたもの》が上演されていたのです。時折かなりモーツァルト的な音楽が感じられるのも偶然ではないでしょう。またモーツァルトの音楽の直接の引用(第3番の合唱の旋律が《ドン・ジョヴァンニ》から取られているのは有名です)もあります。

 なおこの作品は、他の多くのロッシーニの作品と同様、レチタティーヴォ・セッコ(おそらく全て)をはじめいくつかの曲を助手が作っています。
 助手の手になるものは、第1幕のドン・ジェローニモの登場部分Vado in traccia d'un zingara、第2幕のアルバザールのアリアAh!Sarebbe troppo dolce、と第2幕のフィナーレ(!)"Son la vite sul campo appassita"です。
 1815年のローマでの再演の際、ロッシーニ自身が筆をとって差替えたり改訂したりしています。ここで初演時の助手の手による二つのアリアを外し、第2幕フィナーレを短縮、さらにナルチーゾに第1幕のアリアUn vago sembianteを、ジェローニオに第2幕のアリアOh sorte deplorabile!...Se ho da dirlaを付け加え、第1幕のフィオリッラの登場のカヴァティーナも差替えています。
 現在ではドン・ジェローニモの登場部分、第1幕のフィオリッラの登場のカヴァティーナと第2幕のフィナーレは初演時のものがそのまま採用されています。他のナルチーゾ、アルバザール、ジェローニオのアリアは適宜選択して上演することが多くなっています。

初演

Natale De Carolis, Myrtò Papatanasiu, Massimiliano Gagliardo, Amedeo Moretti, Piero Guarnera, Damiana Pinti, Daniele Zanfardino
Orchestra e Coro del Teatro Marrucino di Chieti
Marzio Conti
Chieti, October 2003
NAXOS 8.660183-84

Ruggero Raimondi, Cecilia Bartoli, Paolo Rumetz, Reinaldo Macias, Oliver Widmer, Judith Schmid, Valere Tsarev
Das Orchester der Oper Zürich, Chor der Oper Zürich
Franz Welser-Möst
Zürich, April 2002
ARTHAUS MUSIK 100369 (DVD NTSC)

Michele Pertusi, Cecilia Bartoli, Alessandro Corbelli, Ramó Vargas, Roberto de Candia, Laura Polverelli, Francesco Piccoli
Orchetra e coro del Teatro alla Scala di Milano
Riccardo Chailly
Milano, 7-18 July 1997
DECCA 458-924-2

ペルトゥージ、バルトリ、コルベッリ、ヴァルガス、デ・カンディア、ポルヴェレッリというオールスターキャスト。 シャイー指揮はかつての録音より格段に洗練されたものになっています。
第2幕のアルバザールのアリア Ah!Sarebbe troppo dolce と、第2幕のジェローニオの追加アリア Oh sorte deplorabile!...Se ho da dirla を採用しています。また、レチタティーヴォ・セッコがいくらか刈り込まれています。

Simone Alaimo, Sumi Jo, Enrico Fissore, Raul Gimenez, Alessandro Corbelli, Susanne Mentzer, Peter Bronder
Academy of St Martin in the Fields, Ambrosian Opera Chorus
Neville Marriner
London, 29 August-5 September 1991
PHILIPS PHCP-5069/70(Japanese domestic)

アライモ、ジョ、ヒメネス、コルベッリと、キャストは上々です。
第1幕のナルチーゾのアリア Un vago sembiante を採用しています。

Samuel Ramey, Montserrat Caballé, Enzo Dara, Ernesto Palacio, Leo Nucci, Jane Berbié, Paolo Barbacini
National Pilharmonic Orchestra, Ambrosian Opera Chorus
Riccardo Chailly
London, August 1981
SONY CLASSICAL S2K 37 859

クリティカルエディションを用いた《イタリアのトルコ人》の最初の全曲録音でした。
レイミー、ダーラ、ヌッチ、パラシオと、男声が充実しています(しかもみんな声が若々しい!)。カバリエが生彩を欠くのが残念です。
シャイーは当時また28歳。さすがに青さが感じられますが、悪くはありません。
第2幕のアルバザールのアリア Ah!Sarebbe troppo dolce だけが選択されています。


SIGISMONDO

初演:1814年12月26日、ヴェネツィア、フェニーチェ劇場
台本:ジュゼッペ・フォッパ Giuseppe Foppa (1769−1845)
原作:カルロ・コッチャのオペラ《森の女 La Donna Servaggia》(初演 1813年6月24日、ヴェネツィア、サン・ベネデット劇場)のためのフォッパの台本
   →フォッパの戯曲『マティルデ、もしくは森の女』(1800年にバレエとして上演、1801年に舞台上演、1807出版)


作曲と初演

 《シジスモンド》は、ロッシーニが1815年にナポリへと拠点を移す直前の、北イタリア時代の最後の新作オペラです。

 《シジスモンド》に関する最初の記録は、1814年10月1日付でフェニーチェ劇場の興行主ルイージ・ファッキーニがロッシーニへ宛てた手紙に現れます。

 あなたが10月15日までにはこの町を再訪するとおっしゃったので、私たちは台本の送付を中止します。あなたの類稀な能力を賞賛しようと、国中が熱望し待ち望んでいることを覚えておいてください。そして昨年(訳注 1813/14 年のカーニヴァルシーズン)のあなたの不在が大きな損失となった後、(この話に)すぐさま関心を寄せた人々の強い希望をご想像ください。フォッパ君からあなたへ手紙が届くでしょう。出来上がった台本は、あらゆる点で整えられており、皆を引き立て、またマエストロが想像力に役に立つ効力を感じさせるを掻き立てる大きな余地を残したものです。

 台本作家のフォッパは、ロッシーニがサンモイゼ劇場のために書いたファルサ3作、《幸福な間違い》(1812)、《絹のはしご》(1812)、《ブルスキーノ氏》(1813)の台本を提供した人物です。
 作曲の過程は、母アンナに宛てた手紙で大雑把に追えます。11月1日付の手紙で「作曲を開始しました」、12月2日付の手紙で「仕事は順調です L'opera e a buon Porto..」、そして12月13日付の手紙で「僕のオペラは、間違いがなければ、うまく行くでしょう」と報告しています。また11月21日には、ヴェネツィアの新聞『新観察者 Nuovo Osservatore』誌が、ロッシーニとフォッパによる新作がカーニヴァルシーズンに上演される予定であることを報じています。

 初演は1814年12月26日、フェニーチェ劇場で行われました。

SigismondoMaria Marcolinicontralto
UldericoLuciano Bianchibasso
AldimiraElisabetta Manfredinisoprano
LadislaoClaudio Bonolditenore
AnagildaMarianna Rossisoprano
ZenovitoLuciano Bianchibasso
RadoskiDomenico Bartolitenore

 大きな期待の寄せられた初演だったにも関わらず、初演は不評でした。12月27日の『新観察者』誌の詳細な公演評から抜粋します。

 読者に上演について知らせるよりも前に、何より、その哀れな結果を報告せねばならないのは、とても残念である。[…]私の発言から、この台本が、これまでにも数限りない能力の欠落例を示してきたこの作者の惨めな創作物であるということを、既に誰もが理解したことだろう。筋書き、展開、構文、文法、単語…、全ては混乱した言葉のまとまりの積み重ねでしかなく、長短の行に配列されて、厚かましくも文章の名を騙っているに過ぎない。

 つまり台本の出来の悪さが問題だったと指摘しています。

 またロッシーニ自身、1855年にフェルディナント・ヒラーとの会話で、こんな回想を述べています。

 ある時、ヴェネツィアの聴衆に感じ入ったものだった。《シジスモンド》の初日の晩のことだったが、観客は完全に退屈していた。彼らの顔からは、失望を爆発させたい欲求がありありと感じられたが、しかし彼らは大人しくして、音楽を静かに、妨げることなく聞いていた。私は彼らの親切さに感動した。

 もっとも、まったくの失敗だったかというと、それほどではなく、1819年にはクレモナ、レッジョ、パドゥヴァ、シニガリアで、1820年にはフィレンツェ、シエナで上演されました。1827年にボローニャで上演されたのが19世紀最後の上演です。
 後述するように、後に転用され有名になった音楽も多く、失敗の原因が音楽そのものであるとはあまり思えません。ただ、1813年にヴェネツィアで《タンクレーディ》と《アルジェのイタリア女》というセリアとブッファの大傑作を立て続けに発表したロッシーニに対して、しかも間が一年間が開いただけに、あまりにも期待が大きくなり過ぎてしまったのでしょう。それだけに《シジスモンド》に対しての落胆が大きなものになってしまった、というところではないでしょうか。


あらすじ

登場人物
シジスモンド、ポーランドの王(コントラルト)
ウルデリーコ、ボヘミアの王(バス)
アルディミーラ、ウルデリーコの娘、シジスモンドの妻(ソプラノ)
ラディスラオ、シジスモンドの宰相(テノール)
アナジルダ、ラディスラオの妹(ソプラノ)
ゼノヴィート、ポーランドの貴族(バス)
ラドスキ、ラディスラオの側近(テノール)

幕が上がる前
 ポーランドの王シジスモンドは、ボヘミアの王ウルデリーコの娘、アルディミーラを王妃に迎えた。しかし彼女に横恋慕をした宰相ラディスラオが、彼女に拒絶されたことを逆恨みし、策略によってアルディミーラが不実であるとシジスモンドに信じ込ませた。怒ったシジスモンドはアルディミーラに処刑を命じるが、彼女はかつて陰謀により王宮から追放された貴族ゼノヴィートに救われ、彼の娘エジェリンダとして森の中に隠れ住んでいる。

第1幕
 シジスモンドの王宮。王の部屋の前で、廷臣たちが、様子のおかしいシジスモンドを心配している。ラディスラオに理由を尋ねるが、彼も口を閉ざす。彼は王の様子に動揺し、またアルディミーラの影に怯えているのだ。アナジルダ、ラドスキ、廷臣たちが再びラディスラオに事情を尋ねると、彼は、王から平安が失われたのだと答える。一同は嘆き、退場する。ラディスラオはアナジルダに、王妃になることを唆す。
 取り乱したシジスモンドが現れ、気を失ってしまう。ラディスラオたちが介抱すると、シジスモンドは、処刑したアルディミーラの幻影に悩まされていることを明かす。さらに15年間囚われていた彼女の父ウルデリーコが決起しようとしていることを告げ、ラディスラオを偵察に遣わせる。
 森の中。アルディミーラは心の安らぎを求め、今でもシジスモンドを愛していると歌う。彼女を救い保護しているゼノヴィートが現れる。二人のやり取りから、アルディミーラに横恋慕したラディスラオが、彼女が不貞を働いたとシジスモンドに信じ込ませたことが分かる。狩の角笛の音が聞こえ、狩人たちが森に向かっていく。ゼノヴィートが尋ねると、もうすぐ王もここにやって来るというので、二人は家の中に入る。
 シジスモンドが現れる。偵察から戻ったラディスラオは、ウルデリーコが、娘の復讐のため兵を挙げようとしていることを報告する。そして家の中に入ったラディスラオは、驚いて出て来る。アルディミーラが姿を現すと、ラディスラオは、黄泉の国からアルディミーラが戻ってきたと怯える。アルディミーラは、ゼノヴィートの娘エジェリンダだと偽る。シジスモンドも信じられず、本当に(アルディミーラでなく)エジェリンダなのかと確認する。二人はそれぞれに思いを巡らせる。アルディミーラは家の中に、シジスモンドは森の中に入っていく。
 戻ってきたラディスラオはゼノヴィートに、本当にお前の娘なのかと尋ねる。ゼノヴィートは、娘はたしかにアルディミーラと瓜二つだと答え、彼女に王妃の衣装を着させてウルデリーコと面会させれば戦いは避けられると提案する。ラディスラオはシジスモンドに相談しに行く。ゼノヴィートは、アルディミーラを救い、悪者を打ち倒すよう、天に祈る。
 ラディスラオは“エジェリンダ”を王宮に連れて行くことになったが、ゼノヴィートは、彼女が怖がって行きたがらないと答える。内心ほっとしたラディスラオだが、彼女になぜ王宮に行かないのだと尋ねる。すると“エジェリンダ”は、王妃は悪者によって死に追いやられたと厳しい調子で返し、ラディスラオを驚かせる。
 アナジルダとラドスキの元に、ラディスラオが慌てた様子で戻ってくる。シジスモンドはラディスラオから、“エジェリンダ”が王宮に行こうとしないことを聞くと、自らゼノヴィートの家の中に入って行く。シジスモンドはまた取り乱し始める。アルディミーラはその様子を見て胸を痛める。アルディミーラは、王宮に行くことに同意する。すると、遠くから戦いの声が聞こえてくる。一同は勝利を誓う。

第2幕
 廷臣たちが、王から呼び出しがかかった理由を推測しあっている。シジスモンドが現れ、ウルデリーコの軍勢が近づいていることを告げる。そして人々に“エジェリンダ”を紹介する。廷臣たちは、彼女があまりにも王妃そっくりなのに驚き、思わず王妃アルディミーラ様万歳と声を上げる。シジスモンドは、“エジェリンダ”に、王妃にならないかと問う。彼女が自分のことなど何もご存じないでしょうと答えると、シジスモンドは、ずっと前から知っている、と答える。“エジェリンダ”は不安を打明け、シジスモンドは戸惑い、二人は共に愛の苦しみに悩む。シジスモンドは再度“エジェリンダ”に切々と愛を打明けるが、アルディミーラはなんとか本心を抑え、自分は義務に従うまでと答える。
 ラドスキは、“エジェリンダ”がアルディミーラであることを見抜き、アナジルダは恋敵の登場に落胆する。ラドスキは一通の手紙の存在を思い出す。一方ラディスラオはラドスキに、“エジェリンダ”の変装の計画を実行することをシジスモンドに伝えるよう命じる。疑念に苦しむラディスラオは、天に平安を求めて祈る。
 ラドスキはアルディミーラに、15年前にラディスラオが彼女に送りつけ、彼女が捨てた手紙を保管していると告げる。シジスモンドはラドスキに進軍を命じる。シジスモンドはなおも“エジェリンダ”がアルディミーラではないかと疑うが、彼女は、王が思うよりも自分の心は苦しんでいると語る。その時、遠くから行進の音楽が聞こえてくる。彼女は戦場に赴くと告げ、心は愛が勝利すると言っている、と歌う。
 ボヘミアの王ウルデリーコがシジスモンドとの会談のためやって来る。彼がラディスラオに娘の安否を尋ねると、ラディスラオは、今からやって来るのはアルディミーラではなくエジェリンダであると説明、ウルデリーコは憤慨する。シジスモンドがアルディミーラを連れて現れる。ウルデリーコは、偽者と聞いた娘があまりにも実の娘に似ているので当惑し、その様子にアルディミーラ、シジスモンド、ラディスラオは不安を感じる。アルディミーラはウルデリーコに、娘を抱きしめてくださいと願う。混乱するウルデリーコだったが、先のラディスラオの入れ知恵のため、これは娘ではないと怒り出し、宣戦布告をする。アルディミーラは必死に懇願するが、シジスモンドも戦いを受けて立つ。
 戦いが勃発。ポーランド軍は敗走する。絶望し逃亡しようとするシジスモンドの前に、ウルデリーコが立ちふさがる。そこにラディスラオに追われたアルディミーラが駆け込んでくる。ラディスラオは悪事を白状する。全てを知ったシジスモンドは深く後悔する。するとアルディミーラが正体を明かし、かつてラディスラオの書いた手紙をウルデリーコに見せる。シジスモンドもウルデリーコもアルディミーラが生きていたことを喜ぶ。一人絶望するラディスラオをよそに、一同の喜びで幕となる。


史実との関係

 《シジスモンド》の物語に該当する史実は見当たらず、ほぼ完全なフィクションです。ただし人物名にはモデルがあります。
 ポーランド史において「シジスモンド」に相当する王は三人います。ジグムント1世 Zygmunt I(1467−1548)、その息子ジグムント2世 Zygmunt II(1520−1572)、ジグムント1世の孫(娘の子)のジグムント3世 Zygmunt III(1566−1632)。いずれもオペラでの設定とは合致しませんが、「妻がボヘミア王の娘」という点では、ジグムント2世が当てはまります。
 「ウルデリーコ」に該当しそうなボヘミア王、ハンガリー王、神聖ローマ帝国皇帝は存在しません。
 その一方で、「ラディスラオ」に相当するボヘミア王ウラースロー2世(1456−1516)が存在します。ウラースロー2世はジグムント1世の実兄で、もちろん、オペラでの設定とはまったくことなります。単にここから名前を借りただけでしょう。


音楽

(準備中)

 《シジスモンド》には、ロッシーニアンには聞き覚えのある音楽があちこちにあります。初演が不成功に終わったため、多くの素材が後の作品で再利用されているのです。
 序曲の冒頭部分は《イタリアのトルコ人》からの再利用。主部の一部は、第1幕フィナーレのストレッタから採られています。またこの序曲は、大幅に手直しされた後、《オテッロ》の序曲に転用されています。
 第1番の導入の最後の部分 Della pace il bel sereno は、この直後の作品となる《エリザベッタ》第2幕のノルフォルクのアリアで再利用。
 第2番のシジスモンドのカヴァティーナ Ah perduto ho il caro bene は、《タンクレーディ》のタンクレーディの差し替えアリア Dolci d'amor parole の後半 Voce, che teneraや、《アルジェのイタリア女》第2幕のリンドーロの差し替えアリア Oh come il cor di giubilo の後半 Voce che tenera で用いられていた素材を再利用。さらに《シジスモンド》の後でも、《トルヴァルドとドルリスカ》の第1幕のトルヴァルドのアリア Fra un istante a te vicino の後半 Cara, consolati と、《新聞》の第2幕のアルベルトのアリア Oh, lusinghiero amor の後半 Ma voce tenera でも用いられている。
 第4番の狩人たちの合唱は、《ラ・チェネレントラ》第1幕フィナーレ冒頭の合唱 Conciosiacosaché の原型。《ラ・チェネレントラ》で酒を試飲する場面で、なぜ似つかわしくないホルンが鳴り響くのか不思議だったのですが、実は原曲が狩人たちの合唱だったからなのです。
 第2幕冒頭、第10番の合唱の導入 In segreto a che ci chiama? の素材は、《セビリアの理髪師》第1幕の導入の冒頭部分で再利用。
 第13番、ラディスラオのシェーナとカヴァティーナのうち、Ah se tolto un sol momento は、歌詞、音楽ともども、《エリザベッタ》第1幕のマティルデのアリアに転用されます。またシェーナとアリア全体は《アディーナ》のセリモのアリア Ah! se al sen per un momento に転用されています。
 第14番、アルディミーラのシェーナとアリアのうち、テンポ・ディ・メッツォ(中間部)にあたる行進曲 ma il suon ci chiama! は、《エリザベッタ》第1幕でレイチェステルが登場する際の合唱 Vieni, o prode, qui tergi i sudori に転用されています。

Carmen Oprisanu, Tatjana Korovina, Omar Jara, Vladimir Prudnikov, Cornelia Müller, Youg-Chan KimKim
Stuttgarter Kammerorchester, Prager Männerchor
Marc Andreae
Bald Wildbad,7 July 1995
CROSSROADS CR 01 026 95

バート・ヴィルトバートのロッシーニ音楽祭での録音。
オプリサヌのアルトの声がシジスモンドにはあっています。しかし彼女以外の歌手はだいぶ落ちます。
録音はほぼモノラル。

Sonia Ganassi, Rossella Ragatzu, Bruno Lazzaretti, Giacomo Prestia, Nocoletta Zanini, Filippo Pina
Orchestra del Cosenvatorio "Venezze" di Rovigo, Coro dell'Autunno Trevigiano
Richard Bonynge
Rovigo, October 1992
BONGIOVANNI GB 2131/32-2

若い頃のガナッシがシジスモンドを歌っています。彼女はメッゾとしてもソプラノよりなので、シジスモンドが少々か弱い印象になっています。他の歌手たちはまずまず。プレスティアもデビューした翌年。
メジャーなオペラではしばしば不満の残るボニング、しかしさすがここでは立派な音楽作りに感じられます。
ちなみに、この時の記録用録画と思しき映像も存在します。




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1812-3 1813-1 1813-2 1813-3 1814
1815-1 1815-2 1816-1 1816-2 1817-1
1817-2 1818 1819-1 1819-2 1820
1821 1822 1823 1825 1826
1827 1828 1829 appendix


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