1813-2 |
初演:1813年2月6日、ヴェネツィア、フェニーチェ劇場
台本作家:ガエターノ・ロッシ
原作:ヴォルテール「タンクレード」(1759)
→ステーファノ・パヴェージ作曲のオペラ《タンクレーディ》へのルイージ・ロマネッリの台本(1812)
《ブルスキーノ氏》がわずか一晩で引っ込められるという散々な目に合ってから丁度十日後、同じヴェネツィアの大劇場、フェニーチェ座でロッシーニの堂々たるセリアが初演されました。彼の出世作《タンクレーディ》です。おそらくロッシーニとて、これによって彼の名声が一気に全イタリア、さらには広くヨーロッパ各地に知れ渡るとは思ってもいなかったでしょう。
1005年のシチリア島シラクーザ。国王アルジーリオはサラセン軍(イスラム勢力)に対抗するため、政敵の騎士オルバッツァーノと和解、娘アメナィーデを与えることを約束します。しかしアメナイーデは追放された前王の王子タンクレーディを愛しています。アメナイーデは結婚式をー日延長するよう懇願します。小船に乗ってタンクレーディが密かに登場。サラセン軍の協力者と誤解されている彼にアメナイーデは立ち去るよう説得します。しかしタンクレーディは仲間のルッジェーロからアメナイーデがオルバッツァーノと結婚することを知らされ、裏切られたと怒ります。彼はアルジーリオの兵に匿名の騎士として参加します。なおも結婚を引き伸ばそうとするアメナイーデに、オルバッツァーノが彼女を裏切り者と告発、アメナイーデがタンクレーディに書いた宛名のない手紙がオルバッツァーノの手に落ち、サラセンの首領ソラミールへの密書と誤解されたのです。しかしアメナイーデはその手紙がタンクレーディに当てたものだと言う訳にいきません。彼女は投獄されてしまいます。アルジーリオは国王の義務と父の愛情とで揺れつつも、やむなく娘の死刑の宣告書に署名します。しかしタンクレーディが彼女の守護者としてオルバッツァーノに決闘を申出ます。神に祈るアメナイーデ。オルバッツァーノは倒れ、アメナイーデは解放されますが、しかしアメナイーデを誤解したままのタンクレーディはそのまま立ち去ってしまいます。山で一人考えこむタンクレーディにアルジーリオとアメナイーデが追いつきます。アメナイーデは誤解を解こうとします。突然サラセン軍が登場、ソラミールとアメナイーデが結婚を求め、さもないと攻撃に出ると警告します。タンクレーディはまたもアメナイーデを誤解し、騎士達とサラセン軍との戦いに出撃します。シラクーザ軍は勝利、ソラミールはタンクレーディによって倒され、死ぬ間際にソラミールがアメナイーデの潔白を証明します。タンクレディは彼女に許しを請い、一同の幸せで幕となります。
《タンクレーディ》の魅力は、偉大な才能が若い芽を出し始める時だけにしか作ることのできない新鮮な瑞々しさにあると言って良いでしょう。オーケストラにしても歌にしても後のナポリ時代と比べればまだまだシンプルで、そこかしこにパイジェッロやチマローザの影響が残っていますが、しかし同時にそこには後に進むべき方向をはっきりと予告する大胆さ、オペラを次の世代へと牽引して行く自身といったものがたっぷり感じられるのです。
文豪スタンダールは《タンクレーディ》の美にとり付かれ、ナポリ時代の作品を耳にしても尚《タンクレーディ》をロッシーニの最高傑作とみなし、生涯に渡って賞賛しつづけました。「昔のメロディーと現代のハーモニーの〈完璧〉な融合が実現された」という彼の言葉は、《タンクレーディ》の本質をずばり言い当てているでしょう。
ともかく《タンクレーディ》の作品の魅力を理解する上で、またヴェネツィアを初めとする当時の聴衆の熱狂を理解する上で、スタンダールの記述は大変役に立ちます。
個々の音楽を見ていくと、なんといってもタンクレーディの登場のアリア"Tu che accendi questo core"(というよりもモデラートの部分"Di tanti Palpiti"の方が通りが良いでしょうが)が最も魅力的です。不安と期待を胸に、密かに祖国に戻って来たタンクレーディの様々な感情が、きりりとした旋律と和音の微妙な色彩の変化で見事に表現されています。
今でこそ《タンクレーディ》の顔とも言うべきこのアリア、しかし実は初演では歌われていません。初演時のタンクレーディ、アデライーデ・マラノッテが初演直前になって歌うのを拒んだからだといいます。ロッシーニはあわてて別のアリアを書きあげます。「ロッシーニ伝」でスタンダールは"Tu che accendi"と混同していますが、この急場しのぎで作られたアリア"Dolci d'amor parole"が彼の紹介している「リゾットのアリア」(リゾットを注文してから出てくるまでの間に書き上げたといわれている)です。これは現在No.3aに分類されています。このアリアは前奏からアリア本体、後奏まで終始ヴァイオリンのソロが活躍し、コロラトゥーラもより華やかになっています。マラノッテとしては彼女の技巧を発揮できるような歌を望んだということでしょう。アレグロの部分"Voce,che tenera mi parli al core"など、これはこれでまた別の魅力があって、捨てるには惜しいものです。
結局ロッシーニはマラノッテを説得することに成功したのか、数回目の上演からロッシーニの当初の意図通り"Tu che accendi"に戻されたようです。オペラ史ではこのように初演時に大歌手から異論を唱えられたアリアというものがあります。そうしたものの中には後に非常に有名になる場合ものもあります。おそらく新しい表現、作風が歌手に抵抗を与えるからでしょう。
タンクレーディにはもう一つ第2幕にアリアがあります。No.16のうちのカヴァティーナ"Ah!Che scordar non so "と、合唱を交えてのアリア"Or che dici?or che rispondi?"です。後者はさっぱり効果の上がらない曲で、すぐに消えてしまいました(これについてはフェッラーラ稿を御覧ください)
テノールのアルジーリオに与えられたアリアは、父親という役柄上余り英雄的なものでもありません。第1幕の"Pensa che sei mia figlia"も音楽的魅力は十分ですが、娘を諭す分別くさい歌詞ということからか技術的には大したことないまままとめています。一方の第2幕の冒頭のアリア"Ah! segnar invano io tento"は、国王の義務と父の愛情で揺れ動くアルジーリオの感情がダイレクトに反映された素晴らしい曲です。後半のアッレーグロ部分にはハイDが二度出てくるという非常に難易度の高い曲で、それが災いして初演後すぐに歌われなくなってしまったようです。
アメナイーデには3つ、いずれも素晴らしいアリアが与えられています。
第1幕の登場のアリア"Come dolce all'alma mia"は技術的に見せ場があります。
一方第2幕の"No, che il morir non è"はカヴァティーナ部だけのもので、自分の誠実を守るため愛に死のうと切々と歌う感動的なものです。
しかし彼女に与えられた最大の見せ場は、決闘でのタンクレーディの勝利を祈る"Giusto Dio che umile adoro"と勝利の知らせに喜ぶ"Ah! d'amore in tal momento"でしょう。堂々とした大規模なアリアです。
おもしろいことに《タンクレーディ》には、第1幕のフィナーレのようなコンチェルタートを除くと大規模なアンサンブルがありません。二つの幕にそれぞれタンクレーディとアメナイーデの二重唱が一つずつあるだけです。おそらくオルバッツァーノを歌った歌手が力量不足でアンサンブルに入れられなかった(この役にはアリアもありません)というのが実際のところでしょう。
個々の曲の魅力を並べて行ったら切りがありません。とにかくまだ青さの残る新鮮な果実のような初々しい味わいは、オペラが好きな人なら一度は耳にしてほしいものです。
Vesselina Kasarova, Eva Mei, Ramón Vargas, Harry Peeters, Melinda Paulsen, Veronica Cangemi
Münchner Rundfunkorchester, Chor des Bayerischen Rundfunks
Roberto Abbado
München, 17-30 July 1997
RCA RED SEAL BVCC-1941/43(Japanese domestic)
カサロヴァ暗めの音色と安定したテクニックが見事。メイ、ヴァルガスも非常に優れています。
このCDの大きな特徴は、No.16以降第2幕の幕切れまでを、オリジナルのヴェネツィア稿通りのものとフェラーラ稿のものと二通り完全に収録していることにあります。これによってそれぞれの上演の形態がほぼ完璧に再現できるようになっています。さらに初演の時に歌われたタンクレーディの登場のアリア Dolci d'amor parole や、第2幕のアメナイーデのアリアの別稿(これについてはフェラーラ稿のところで述べます)も収録されています。
Bernadette Manca di Nissa, Maria Bayo, Raul Gimenez, Ildebrando D'Archangelo, Katarzyna Bak, Maria Pia Piscitelli
Radio-sinfonieorchester Stuttgart, S&uum;dfunk-Chor Stuttgart
Gianluigi Gelmetti
Michael Hampe
Schwetzingen, 1992
ARTHAUS MUSIK 100207 (DVD NTSC)
上演はフェラーラ稿に基づいていますが、悲劇的幕切れの後に、初演稿のリエートフィーネをおまけで上演しています。ジェルメッティはこのサーヴィスをしばしば行っているそうです。
Ewa Podles, Sumi Jo, Stanford Olsen, Pietro Spagnoli, Anna Maria di Micco, Lucrezia Lendi
Collegium Instrumentale Brugense, Capella Brugensis
Alberto Zedda
Poissy, 26-31 January 1994
NAXOS 8.66037-8
スッキリとしたゼッダの指揮がクリアな空気を作り上げていています。ポドレシュを始め、ジョ、オールセンらはいずれも上々。
リエートフィーネですが、No.16(フィナーレの前のタンクレーディのアリアを中心とした場面)は全てフェラーラ稿に差替えられています。ミラノ稿でも触れますが、後年はこの方が一般的な上演形態でした。
Patricia Price, Hannah Francis, Keith Lewis, Tom McDonnell, Elisabeth Stokes, Peter Jeffes
Orchestre du Centre d'Action Musicale de l'Ouest, London Voices
John Perras
Rennes, 10 December 1976
ARION ARN 368200
リエートフィーネ(ハッピーエンド)。ただし、N.16-IIIのレチタティーヴォ・セッコとN.16-IVの行進曲とアリアの部分はフェラーラ稿に差し替えています。
初演:1813年3月後半、フェラーラ
台本作家:変更個所はルイージ・レーキ伯爵
ヴェネツィアでの初演後、フェラーラで《タンクレーディ》を上演するにあたって、ロッシーニは《タンクレーディ》のいくつかの部分に手を入れています。
最大の相違は、結末をヴォルテールのオリジナル通りタンクレーディの死で終るようにしたことです。当時はまだセリアはハッピーエンドで終るのが普通でしたから、これは大変野心的な試みでした。これは文学に造詣の深いレーキ伯爵の後押しが合ってのことだと推測されています。
しかしこの試みは全く失敗に終り、上演はわずか二回で打ち切られてしまったと言います。当時の状況を考えれば不思議ではないでしょう。
この悲劇的結末の際、ロッシーニはフィナーレだけでなく、それに先立つ場面タンクレーディの場面(No.16)全体も変更しています。
この部分、ヴェネツィア稿では、タンクレーディのカヴァティーナ、サラセン軍の合唱、レチタティーヴォ・セッコを挟んで、行進曲と続くタンクレーディのアリア、といった作りになっていました。
フェラーラ稿では、カヴァティーナは全く同じですが、続く合唱をタンクレーディを探しに来たシラクーザの騎士達にし、音楽はそのままで歌詞だけ変えています。その後のレチタティーヴォ、およびアリアは全く別ものになっています。
この変更の趣旨は、ヴェネツィア稿のオリジナルのアリア"Or che dici?or che rispondi?"が全く不評だったため、差替えをする必要があったからです。このフェラーラ稿でのロンド"Perchè turbar la calma"は大変好評だったのでそのまま残されました。つまりフィナーレがハッピーエンドに戻されてからも16番はフェラーラ稿のまま上演されるようになったのです。
これ以外の変更点は上演に際する実務的な問題といって良い程度のものです。
二つあるタンクレーディとアメナイーデの二重唱のうち、第1幕のもの(No.5)を削除し、そこに第2幕の二重唱(No.14)を若干歌詞を訂正してはめ込んでいます。おそらく上演時間の短縮のためでしょう。
あまりに難しい第2幕冒頭のアルジーリオのアリア"Ah! segnar invano io tento"をカットしています。ただしおそらくヴェネツィアでの上演中から既に歌われなくなっていたと考えられています。
アメナイーデの第2幕の一つ目のアリア(No.10)を新しいアリア"Ah se pur morir degg'io"に差替えています。これは音楽的には問題なくオリジナルの方が優れています。
さて、悲劇的結末は、文献でこそ知られていたものの、その実態は闇に消えてしまっていました。ところが1976年になってこの悲劇的結末が再発見されたのです。当時はまだハッピーエンドで終るセリアというものがあまり評価されていなかったので、悲劇的終結の《タンクレーディ》は若き日のロッシーニの野心作として注目を浴び、各地で競って上演されるようになります。マリリン・ホーンがこの形での上演に積極的に関わっていたことが、《タンクレーディ》の復権に多いに貢献しています。
Daniela Barcellona, Darina Takova, Raúl Giménez, Marco Spotti, Barbara Di Castri, Nicola Marchesini
Orchestra e Coro del Maggio Musicale Fiorentino
Riccardo Frizza
Pier Luigi Pizzi
Firenze, 21 October 2005
TDK DVD4164 (DVD NTSC)
Daniela Barcellona, Mariola Cantarero, Charles Workman, Nicola Ulivieri, Sonia Zaramella, Daniela Pini
Orchestra e Coro del Teatro Lirico Giuseppe Verdi di Trieste
Paolo Arrivabeni
Massimo Gasparon
Trieste, January 2003
KICCO KC 9004 (DVD NTSC)
Daniela Barcellona, Darina Takova, Giuseppe Filianoti, Simone Alberghini, Laura Polverelli, Giuseppina Piunti
ORT-Orchestra della Toscana
Gianluigi Gelmetti
Pesaro, August 1999
ROSSINI OPERA FESTIVAL
ROFのライヴ。上演は、8月8、11、14、18、22日に行われました。
バルチェッローナは、この上演の成功によって一躍スターにのし上がりました。
ジェルメッティの抑えた音楽も、悲劇的結末を引き立てています。
フェラーラ稿での上演とはいえ、完全に再現しているわけではありません。二つの二重唱はオリジナル通りの位置にありますし、アメナイーデのNo.10のアリアも音楽的に優れているオリジナルが採用されています。一方アルジーリオの第2幕のアリアはフェラーラでの上演通りカットされています。
Vesselina Kasarova, Eva Mei, Ramón Vargas, Harry Peeters, Melinda Paulsen, Veronica Cangemi
Münchner Rundfunkorchester, Chor des Bayerischen Rundfunks
Roberto Abbado
München, 17-30 July 1997
RCA RED SEAL BVCC-1941/43(Japanese domestic)
この全曲録音では、No.16から第2幕の幕切れまで、ヴェネツィア稿とフェラーラ稿が共に収録されています。さらに大変珍しい第2幕のアメナイーデのアリアの別稿(No.10a)も収録。あとは曲を削除、移動することでほぼフェラーラで実際に上演された形態を再現できるようになっています。
Bernadette Manca di Nissa, Maria Bayo, Raul Gimenez, Ildebrando D'Archangelo, Katarzyna Bak
Radio-sinfonieorchester Stuttgart, Südfunk-Chor Stuttgart
Gianluigi Gelmetti
Michael Hampe
Schwetzingen, 1992
ARTHAUS MUSIK 100207 (DVD NTSC)
Marilyn Horne, Lella Cuberli, Ernesto Palacio, Nicola Zaccaria, Bernadette Manca di Nissa, Patricia Schuman
Orchestra e Coro del Teatro La Fenice
Ralf Weikert
Venezia, 5-11 June 1983
SONY S3K 39073
《タンクレーディ》の復活は、ホーンおばさんが各地で好んで歌ったことで弾みがついたのは間違いないでしょう。堂々とした存在感と強い表現意欲はさすがに説得力があります。
但し演奏全体としては既に二時代前のスタイルのものになってしまっています。
1806 | 1810 | 1811 | 1812-1 | 1812-2 |
1812-3 | 1813-1 | 1813-2 | 1813-3 | 1814 |
1815-1 | 1815-2 | 1816-1 | 1816-2 | 1817-1 |
1817-2 | 1818 | 1819-1 | 1819-2 | 1820 |
1821 | 1822 | 1823 | 1825 | 1826 |
1827 | 1828 | 1829 | appendix |