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1816-1



ALMAVIVA
(IL BARBIERE DI SIVIGLIA)

初演:1816年2月20日、ローマ、アルジェンティーナ劇場
台本作家:チェーザレ・ステルビーニ
原作:ボーマルシェ《セビリアの理髪師》
   →ジョヴァンニ・パイジェッロの《セビリアの理髪師》への、ジュゼッペ・ペトロセッリーニの台本(1782 サンクト・ペテルブルク)

 御存知ロッシーニの代表作です。初演こそオペラ史に残る大騒動となったものの、以来200年近く決して廃れることなく上演されている、時代を超えた定番オペラの一つです。
 とは言うものの、実はこの作品の本当の魅力は、ロッシーニ・ルネサンスになって初めてはっきりして来たといっても良いほど、近年その新たな評価が進んでいます。


作曲の経緯

 1815年12月の中頃、ローマのヴァッレ劇場向けの新作《トルヴァルドとドルリスカ》の初演が準備されているころ、ロッシーニはローマのもう一つの主用劇場、アルジェンティーナ劇場のカーニヴァルシーズンの二つ目の出し物のための新作の依頼を受けます。といっても、この時点では台本がまだ出来あがっていなかったどころか、台本作家も、さらには題材すらまだ決まっていない状態でした。
 当然、何より台本が必要となります。アルジェンティーナ劇場の興行主フランチェスコ・ズフォルツァ・チェザリーニ公爵は当初、ヤコポ・フェレッティを考えていました。しかし彼の草案はつまらないと退けられてしまいました。
 そこで浮上したのが、先の《トルヴァルドとドルリスカ》の台本を手掛けたチェーザレ・ステルヴィーニでした。彼は本来法王庁の税務役人で、劇場向けの仕事には全くの素人でした。《トルヴァルド》の時も代役として台本を作成したのでたのですが、彼の台本の拙さが《トルヴァルド》の失敗の大きな原因となり、新聞評で随分と叩かれてしまいました。彼は挽回を望んでいたのです。

 時間を節約するために、何か既存の台本に大きく依存するということは当時であればごく普通のことでした。ステルビーニとロッシーニは、大先輩ジョヴァンニ・パイジェッロの《セビリアの理髪師》の、ジュゼッペ・ペトロセッリーニの台本を利用することにしたのです。
 パイジェッロの《セビリアの理髪師》は、彼がロシアの女帝エカテリーナ2世に仕えていた時期(1776-1784)の1782年に初演されたもの。その後彼のオペラ・ブッファの代表作の一つとして広く人気があったものでした。しかし初演から30年以上もたった1816年にはもう完全に過去の作品となっており、上演もほとんどなかったはずです。
 ペトロセッリーニの台本は高名なボーマルシェの原作にかなり忠実なものでした。一方ステルビーニはペトロセッリーニの台本からある程度自由に離れ、独自のアイディアを盛りこんでいます。


あらすじ

第1幕
夜明け近いのセビリアの街。アルマヴィーヴァ伯爵に雇われたフィオレッロが楽師たちを連れてバルトロの館の前に現れます。伯爵が学生の身なりで現れ、バルコニーの下で楽師たちの伴奏でセレナーデを歌います。しかし反応はなし。伯爵は楽師達に報酬を配ると、彼らは大喜びで騒ぎ出します。ようやく彼らを追い払うと今度は遠くから歌声が。フィガロが陽気に歌いながら登場。店に向おうとする彼に伯爵が気付き呼びとめます。伯爵はバルトロが後見しているロジーナという娘に恋をしていることをフィガロに打ち明けます。フィガロはこの家に出入りしているのです。バルコニーにロジーナ、ついでバルトロが現れます。ロジーナは手に持っていた手紙をアリアの楽譜だと偽り、わざと落としてしまいます。バルトロが取りに降りる隙にそれを伯爵がひろいます。騙されたことに気づきバルトロはロジーナを部屋に戻します。手紙には名前と身分を教えてほしいと記されています。伯爵は身分は隠しておき、学生リンドーロだと名乗ります。伯爵はバルトロの館に入りこむことを決意し、手伝うフィガロにたんまり報酬をすることを約束します。フィガロは伯爵に、兵隊に変装し酔っ払いの振りをすることを提案し、自分の店を説明して二人は去ります。場面変ってバルトロの家の中。ロジーナがリンドーロとの恋の成就のために知恵を絞ろうと考えています。フィガロが現れるものの、バルトロの気配にすぐ立ち去ります。フィガロの入知恵を疑い、バルトロは召使のベルタとアンブロージョを呼びますが、二人はフィガロに薬を盛られクシャミにあくび。陰険な音楽教師、ドン・バジーリオが現れ、ロジーナを愛するアルマヴィーヴァ伯爵がセビリアに現れたと情報を告げ、噂を立てて街から追い払おうと提案します。しかし時間の猶予のないバルトロはこれを退け、二人は結婚契約書を作りに別室へ移ります。こっそり聞いていたフィガロは、ロジーナにこのことを告げます。一方ロジーナは今朝フィガロと一緒にいた若者が気になります。彼は恋をしているというフィガロになおもロジーナはその相手の名を尋ねるので、ロジーナだと答えると、彼女は大喜び。フィガロに手紙を書くように促されますが、既に書き上げているのでフィガロは段取りの良さに驚きます。フィガロが去るとバルトロが現れ、便箋が一枚足りないことに気付きロジーナを問い詰めますが、彼女がうまくかわすので怒ってしまいます。夜も更けた頃、誰かが戸を叩くのでベルタが開けると、兵士に扮して酔っ払ったそぶりの伯爵。彼は宿泊証を持ってここに泊まるというのです。騒ぎを聞きつけ現れたロジーナに伯爵はそっと正体を明かします。酔っ払った振りをして伯爵はロジーナと寝室へ向おうとするのでバルトロはギョッとします。彼は宿泊免除の証書を見つけ、伯爵に見せますが、伯爵はこれを破り捨ててしまいます。怒るバルトロに伯爵が戦いを挑み、ひるんだ隙に手紙を落とします。バルトロもこれに気付きますが、ロジーナがうまく洗濯物の一覧とすり替え、疑ったバルトロを伯爵が責めます。そこへフィガロが現れ、うまく場を取り繕いつつ伯爵に冷静になるよう諭します。しかし二人はますますヒートアップ。そこへまた戸を叩く音。今度は兵隊たちが騒ぎを聞きつけやって来ます。士官が伯爵を逮捕しようとしますが、伯爵はこっそり身分を明かします。兵隊達の態度が一変するので驚き固まるバルトロ。訳が分からず一同が激しく混乱します。

第2幕
フィガロの計画が失敗したので、伯爵はこんどは急病のドン・バジーリオの代わりに来た弟子ドン・アロンゾとして館に再度入りこみます。当然バルトロは不審に思いバジーリオのところに行こうとします。伯爵は止む無く朝方もらったロジーナの手紙を渡し、親切を装って信用させます。一方ロジーナはアロンゾがリンドーロだとすぐ見抜き、歌のレッスンをしながら眠りこけるバルトロの目を盗み愛を確認します。退屈したバルトロもお気に入りの歌を歌っていると、フィガロがバルトロの髭を剃りに現れます。渋るバルトロに今日しか時間がないとフィガロが主張するので、バルトロは仕方なしに彼にタオルを取りに行かせます。フィガロが大げさに食器類をひっくり返し、慌ててバルトロがすっ飛んで行った隙に、二人は愛を語らいます。ようやく髭を剃ろうとしたまさにその時、病気のはずのバジーリオが現れます。驚く一同にキョトンとするバジーリオ。伯爵は彼に病気なのに無理してはいませんと忠告、フィガロ達もそれにあわせるのでバジーリオは訳がわかりません。結局伯爵の渡した財布が効いて、彼は喜んで帰って行きます。髭剃りが再開されます。フィガロがうまくバルトロの目をそらせる間に、恋人達は駆け落ちの計画をします。しかし最後にはバルトロが怒り、皆を追い返してしまいます。あまりの癇癪にベルタはあきれます。アロンゾなんて弟子は知らないというバジーリオに、バルトロは結婚を急ぐため公証人を呼びにいかせます。そしてロジーナにアロンゾから手に入れた手紙を見せ、リンドーロはロジーナをアルマヴィーヴァ伯爵に売りつけるつもりだったのだと信じさせます。落胆したロジーナはバルトロとの結婚を認めます。嵐が通り過ぎ、伯爵とフィガロがバルコニーから中に入ります。そして伯爵は身分を明かし、ロジーナの誤解を解きます。二人が愛に酔ってぐずぐずしている隙に、人がやってくる気配が。バルコニーから梯子を降りようとすると、誰かが梯子をはずしてしまっていて大変。やってきたのはバジーリオと公証人。伯爵はバジーリオを脅し、彼とフィガロを証人にしてロジーナとの結婚を果たします。バルトロが兵士達を連れて駈けつけますが、伯爵は身分を明かし、バルトロに抵抗しないよう告げ、愛を喜びます。結局バルトロもロジーナの財産を譲り受けることで納得し、一同の喜びで幕となります。


《アルマヴィーヴァ》と《セビリアの理髪師》

 今日《セビリアの理髪師》として知られているこの作品は、しかし本来は《アルマヴィーヴァ》という題名でした。これは一般的には、ステルビーニとロッシーニがパイジェッロの作品との混同を避けるためと、彼らが大先輩であるパイジェッロ(まだ存命)らに敬意を払ったため、と言われています。
 しかしこうした意見には必ずしも賛成できません。
 もとよりオペラが大量に生産されていた時代では、題材や題名の重複はしばしばでした。実際ロッシーニの作品でも、例えば《タンクレーディ》は前年パヴェージがミラノで同名の作品を発表したばかりでした。
 なによりも、先に述べた通りパイジェッロの《理髪師》はもう30年以上も前の作品です。たしかに人気作だったとはいえ、重複に気を使うほど慎重になる必要があったとは思えないのです。
 パイジェッロその人にも、もはや大きな影響力があったはずもありません。ナポレオンの大のお気に入りだったパイジェッロは、ナポリがフランスの傀儡政府に支配されている間、完全に身の処し方を誤り敵意を買ってしまったのです。ボルボン家が復古(1815年)した後、楽長の地位や年金などの全ての特権を剥奪されてしまいました。
 《アルマヴィーヴァ》が作曲、初演されたのは、パイジェッロがまさにこうした状況で死を向えんとしている時でした。題名の重複に配慮しなければならない理由はないのです。
 つまり、題名が《アルマヴィーヴァ》となったのが、パイジェッロの《セビリアの理髪師》へ遠慮したためであるという意見はあまりピンとこないのです。

 むしろ題名が《アルマヴィーヴァ》であることは、このロッシーニの作品においては必然なのです。なぜならこの作品の主役は、セビリャの理髪師フィガロではなく、アルマヴィーヴァ伯爵だからです。
 初演のキャストの中で誰が最も格上だったかというと、間違いなくアルマヴィーヴァ伯爵を受け持ったテノール、マヌエル・ガルシア(1775-1832)でした。このセビリア出身の大テノールは当時41歳で、円熟の頂点にありました。彼の活動の場はパリを中心に世界中で、彼のイタリア時代はわずかに5年ほど。《アルマヴィーヴァ》はその最後にあたります。《アルマヴィーヴァ》で彼に支払われた報酬は他の歌手と比べて格段に上だったことが伝えられています。
 ステルビーニもロッシーニも、ガルシアの類稀な才能を十分発揮出来るように作品を仕立てています。通常プリマドンナのロンドフィナーレが置かれることの多い幕切れを、あえて小さなフィナーレ(フィナレットと名付けられています)にし、その前に伯爵の至難なアリア Cessa di più resistere を与え、作品のクライマックスにしています(このアリアについては後述)。伯爵が真の主役であることの表れです。

 もっとも、原作が《セビリアの理髪師》でしたし、パイジェッロの作品の知名度も後押ししたため、当初からこの作品は一般的には《セビリアの理髪師》と呼ばれていたようです。初演から半年後の1816年8月10日のボローニャのコンタヴァッリ劇場での上演の際には既に《セビリアの理髪師》の題名に変えられ、以降この名前で定着しています。


音楽

 《アルマヴィーヴァ》の音楽の構成は次のようになっています。
《アルマヴィーヴァ(セビリアの理髪師)》の音楽設計一覧図

 御存知の通り、この作品はどこを取っても有名な曲ばかりです。

 ガルシアの歌ったアルマヴィーヴァ伯爵にはアリアが3つ与えられています。
 第1番の導入の中にある Ecco ridente in cielo は、伯爵のカヴァティーナ(この言葉は本来“登場のアリア”という意味で使われていました)の役割をしています。Cのまま前半が2/4、Largoで、ギターがポロンポロンと伴奏するいかにもセレナーデ風。後半はうってかわって4/4、Allegroの熱を帯びたもの。ここから既にガルシアの超絶コロラトゥーラの技巧が誇示できるようかなり音符が詰まったものになっています。ただあくまで導入の一部分となっています。
 ロジーナに歌いかける Se il nome saper voi bramate は、カンツォーネと名付けられたギター伴奏のみの曲。簡素ながらa(イ短調)の色彩を際立たせた情熱的なもの。特筆すべきは、中間部でまだ舞台に現れないロジーナが彼の歌に反応すること。ロジーナはその前にレチタティーヴォ・セッコだけで登場し、さらに舞台裏から声だけ聞こえてくるのです。初演時にはこれが反感を買ったようですが、しかしこのじらしはロジーナの登場に効果的ですし、伯爵のカンツォーネの後半がより情熱的になるという利点があります。
 しかし伯爵の最大の、そして作品の中のクライマックスが、第2幕のアリア Cessa di più resistere です。この曲は急−緩−(中間部を挟んで)急の三部構成からなっています。とりわけすごいのが第三部にあたる Ah il più lieto, il più felice 。これは楽譜を見れば口がアングリ開くほどのとてつもない超絶技巧のもの。ほとんどコロガシながら動き続けるもので、まさに火花が散る様です。これはきちっとした技術を持った歌手が歌いきったなら圧倒的な印象を与えるものです。
 残念ながら、この曲はあまりに難易度が高いため、ガルシア以外のテノールが歌うことが極めて困難だったようで、初演後すぐ歌われなくなってしまいました(ロッシーニは1817年にこの第三部を移調して《チェネレントラ》のロンドフィナーレに移しています。つまりこの頃までには全く歌われなくなっていたことが分かります)。以後、 Cessa di più resistere は楽譜にはちゃんと載っているにもかかわらず、近年まで全く無視される存在になってしまったのです。

 フィガロはもちろん、カヴァティーナ、Largo al factotum della città が傑作!あらゆるオペラアリアの中でもとりわけ知られた名曲です。このアリアはC 6/8 Allegro vivaceの単一構成で、フィガロは登場した時の陽気な La ran la lera... の調子のままこのアリアを歌いきるのです。上のGを楽に出せなくてはいけませんし、早口を粋にさばく技術など、とにかくエネルギーが必要なもの。達者なバリトンが歌えば大いに盛りあがる素晴らしい曲です。
 しかしフィガロのアリアはこれ一つだけで、結局大規模な本格的なアリアは与えられていません。

 ヒロインであるロジーナでは、これまた有名なカヴァティーナ Una voce poco fa が最高の聞き物。二部からなりますが、前半部分 E 3/4 Andanteは序奏のようなもの。後半の Io sono docile, son rispettosa は4/4 Moderato。16分音符が頻出した運動性の高いもので、歌詞ともどもロジーナの勝気な性格が見事に表されています。この強い意志を持った新しい女性像は当時かなり新鮮に受けとめられたと同時に、少なからず抵抗があったようです。ロッシーニの楽譜では上は二点Gまでしかなく、ジョルジ−リゲッティがあまり高い音が得意でなかったことが窺えます。
 ロジーナのもう一つのアリア、Contro un cor che accende amore は、レッスンの場。正直言ってアリアとして音楽的にそれほど重要なものではありません。かなり長い間、このアリアはプリマドンナの得意とするアリアに差替えられることがしばしばでした。

 ブッフォのバルトロのアリア、A un dottor della mia sorte はたいへんな難曲。二部からなり、前半Eb 4/4 Andante maestosoではいかにも口うるさい年寄の小言がネチネチと語られます。後半 Signorina, un'altra volta でEb 2/4 Allegro vivaceに転じてからは猛烈な早口!顔を真っ赤にして怒り狂っているバルトロが目に浮かびますが、早口にわめきたてるほど滑稽に聞こえるのもさすが。終りの方で前半の4/4 Andante maestosoの音楽が再び現れます。ただ聞いているだけだとAndante maestosoの部分がそのまま戻ったように聞こえるのですが、実は楽譜上はまだ2/4 Allegro vivaceのままなのです。倍の長さの音符を使っていることであたかもテンポが落ちたかのように感じさせるトリックなのです。一しきりわめきたてた後、我に返ったバルトロが、しかしまだ興奮していることを表しているのでしょう。
 ちなみこのアリア、あまりに難しかったのでしょう、しばらくすると別の作曲家のアリアに置き替えられることが普通になってしまいました。これについては後述します。
 バルトロのもう一つのアリア、Quando mi sei vicina は全くの余興。

 バッソ・プロフォンドのバジーリオにも大変印象的なアリアが与えられています。この La Calunnia è un venticello は、D 4/4 Allegroですが、ディナーミクを大きく変化させることで、つまらない陰口が大騒動になるまでを大げさにコミカルに音楽にしています。低いバスの曲といっても、F#まで上げるので、結構大変です。

 アリアではもう一つ、脇役のベルタに Il vecchiotto cerca moglie があります。シンプルな曲ですが、シャーベット・アリアにしてはかなり出来が良いので、あまりカットされることはありません。年増女のボヤキですが、A 2/4 Allegroの軽快な音楽で、サラッと楽しめます。

 《アルマヴィーヴァ》では、アンサンブルがまたどれもすごい。
 大規模なアンサンブルでは、なんといっても第1フィナーレ、これは大変に規模の大きい、手の込んだもの。酔っ払った軍獣医の扮装をした伯爵が乱入しバルトロ、ロジーナ、ベルタ、バジーリオ、そしてフィガロが加わり騒ぎはどんどん高まります。騒ぎを沈みに現れた兵隊の士官に向って6人それぞれが言い訳をするのですが(C 4/4 Vivace)、このアンサンブルがまたけたたましくて笑えます。そしてなんといってもストレッタ!八分音符ダーッと詰めこまれ、見事なスピード感があります。
 一方、第2幕のフィナレットは、その前の伯爵のアリアにクライマックスを持っていっているため、全くの締め括りとなっています。
 そのかわり第2幕には見事な五重唱があります。とりわけその前半 Don Basilio... は、何も事情を知らないバジーリオと彼をうまく追い返そうとする伯爵やフィガロらとの間の抜けたやりとりが笑えます。
 この他、二重唱にも素晴らしいものが多数あります。
 最後に、有名な序曲について。この序曲は、元々《パルミラのアウレリアーノ》の序曲でした。ロッシーニはその音楽に若干の手直しをして《エリザベッタ》の序曲に用いています。《セビリアの理髪師》の自筆譜には序曲が欠けており、ゼッダ版が成立する以前は、《アウレリアーノ》の序曲を用いる場合と《エリザベッタ》の序曲を用いる場合と、二通りありました。今日ではまず例外なく《アウレリアーノ》の序曲が用いられています。


初演の大失敗とその原因

 ロッシーニの《アルマヴィーヴァ》は、1816年2月20日、ローマのアルジェンティーナ劇場で初演されました。これはオペラ史上に残る大騒動、大失敗となってしまいました。
 この失敗については半ば伝説となっており、語り継がれていくうちに面白おかしく誇張されてしまっています。伯爵のギターの弦が切れた、舞台に猫が飛び出して皆で追い掛け回した、バジーリオが転んで鼻血を出した…。こうしたことはいずれも作り話でしょう。
 初演に関して最も信憑性の高い記述は、ロジーナを歌ったジェルトルーデ・リゲッティ−ジョルジが1823年に出版した「ロッシーニ覚書」です。スタンダールがやはり伝聞をもとに不正確な記事を書いたので、それに対する反論として出版されたものです。彼女の手記そのものも全面的に信頼できるわけではないのですが、当事者の一人の貴重な資料であることには間違いありません。
 彼女の記述からすると、とにかく手酷い野次や口笛が飛んで大騒動となったのは事実です。またそれが初日だけのことで、二日目以降は平静を取戻したことも分かります。
 このことから、この騒動が組織立ったさくらによって引き起こされたことは間違いないでしょう。
 ではこのさくら達を誰が扇動したのでしょう。
 よくパイジェッロ派の人々が騒動をおこしたと言われます。たしかにロッシーニは台本の序文に、パイジェッロに敬意を払うという一文を載せるというよけいなことをしていますが、しかし既にパイジェッロに大きな影響力がなかったのは先に説明した通りです。また《トルヴァルドとドルリスカ》を上演したヴァッレ劇場側が嫌がらせをしたという意見もありますが、あまりあり得そうな話ではありません。
 むしろ敵は不特定の人達だったのではないでしょうか。ミラノ、ヴェネツィア、ナポリと破竹の勢いで成功を続け、ローマでも《イタリアのトルコ人》で熱狂を引き起こしていた若者ロッシーニに対し、一部のローマの人達の間に相当なやっかみが生じていたのでしょう。まだ二十歳そこそこの若造に、そう簡単に由緒あるローマで名声を築かせない!そんな風に思った人達が、パイジェッロの名にかこつけて騒動を起こした、というところではないでしょうか。


オリジナルからの乖離

 《アルマヴィーヴァ》が《セビリアの理髪師》となりあらゆる都市で上演されるようになって行くと、題名ばかりか、様々な点でオリジナルである《アルマヴィーヴァ》とはズレが生じて行ってしまいました。

 第一に、先に述べたように第2幕の伯爵のアリア Cessa di più resistere は初演後すぐに歌われなくなってしまいました。このためレチタティーヴォ・セッコで伯爵が身分を明かすと、すぐにフィナレットになってあっさり終わりとなっていました。そしてこの形で150年以上も上演され続けてきました。
 しかしこの伯爵アリア、なくても良いかというと、とんでもない!絶対あるべきなのです。というのも、このアリアはバルトロに対する伯爵の勝利宣言だからです。
 一般的なブッファのエンディングを思い出してください。若者の結婚は様々な障害はあれど、最後には「許される」のです。ところが《セビリャの理髪師》では、伯爵がバルトロからロジーナを「奪い取る」のです。愛し合う若者たちが、よこしまな老人の策略に打ち勝つ、そこにこそこの作品(=ボーマルシェの原作)の大きな存在意義があるのです。
 ステルビーニもロッシーニはそうしたことをわきまえていました。ですから主役である伯爵にクライマックスに規模の大きなアリアを与え、高らかに勝利を歌わせているのです。  ですからこのアリアがない幕切れは、本来の効果が全く失われてしまっているのです。
 私が知る限り、1958年の商業用全曲録音でとりあげられているのがこのアリアの最も古い復活です。しかし実際の上演では、1970年代頃までさらに待たされます。1980年代以降ロッシーニルネサンスの潮流にのりようやく広く復活するようになりました。近年ではロッシーニのテノールのアリアの中でも屈指の名アリアとして多くの歌手が取り上げています。とは言えテノールにとっては至難の曲なので、現在でも必ず歌われているわけではありません。またやっとこさ歌っている状態ということも少なくないでしょう。しかし、このアリアをカットすることによって、作品の性格が大いに歪められるということは知るべきだと思います。
 ほとんどガルシアにしか歌えなかったであろうこのアリアを、ロッシーニが愛着を持っていたことは、様々な作品に転用をしていることからもわかります。初演後すぐにナポリでのカンタータ《テーティとペレーオの結婚》(国王フェルディナンド4世の孫娘の結婚式の祝典用の機会作品。1816年4月24日初演)の中に、チェレーレのアリア(第9番)として移調して転用していますし、翌1817年には《チェネレントラ》のロンドフィナーレの後半に、Ah il più lieto, il più felice が移調され転用されています。
 さらに、ロッシーニは1816年の夏のボローニャの《アルマヴィーヴァ》の公演で、このアリアをロジーナのアリアに直しています。若干の歌詞の変更とFに移調したこと以外はほぼそのままです。この件は謎も多いので、ロッシーニ協会紀要ROSSINIANA第20号の文章を御覧になってください。

 一方、初演後かなリたってから、ロッシーニはロジーナに追加アリアを与えています。この Ah se è ver はパリ出身のソプラノ、ジョセフィーヌ・マンヴィエル・フォドールのために書かれたとされます。フィリップ・ゴッセットによれば、1819年4月にヴェネツィアで《エドゥアルドとクリスティーナ》を初演した際、ロッシーニはフォドールに会ってこのアリアを作った、とのことです。マンヴィエル・フォドールはメッゾではなくソプラノでしたので、この曲も全体に音域が高めです。Allegrettoに転じてからの L'innocenza di Lindoro の華やかなコロラトゥーラが聞きどころです。

 ロッシーニ本人とは関係ないことですが、バルトロのアリア A un dottor della mia sorte も1816年11月にフィレンツェのペルゴラ劇場で上演された際、ガエターノ・ガスパッリの詩、ピエトロ・ロマーニの作曲の Manca un foglio というアリアに差替えられています。これはロッシーニのあずかり知らぬ差替えだったのですが、かなり長い間オリジナルの A un dottor della mia sorte よりも優勢でした。その理由は実に簡単、バスには歌いやすかったからです。古い楽譜にはこの曲が乗っていることもあるのですが、一目で単純な作りであることが分かります。そのせいかこの曲は意外なほど長い寿命を保ち、1938年1月22日のメトロポリタン歌劇場での公演でポンピリオ・マラテスタが Manca un foglio を歌っていることが確認されています。

 やがて、ロジーナはソプラノが歌うことが当たり前になり、さらには超高音系のコロラトゥーラ・ソプラノが歌うまでになっています。あちこち高いヴァリアンテを加えるのみならず、低い旋律はオクターヴ上げ、アリアを高く移調するなど、様々に手を加えられてしまいました。レッスンのアリアもしばしば全く別の曲に取りかえられる始末。一方、19世紀半ばのテノールの発声改革の結果、ロッシーニ好みの優雅にコロラトゥーラを捌けるテノールが払底してしまい、ただでさえ大アリアを失ったアルマヴィーヴァ伯爵はただの優男の役になってしまいました。一方ドニゼッティからヴェルディの時代に大きく発達したバリトンによって、フィガロは人のいい世話焼きから輝かしい英雄的な声の“タイトルロール”になりました。
 もちろん楽譜もどんどん改竄されました。この作品と《チェネレントラ》は、改竄の度があまりにひどすぎます。


ゼッダ校訂譜の出現と問題

 長い間に生じたさまざまなズレを修正しようという試みでもっとも成功したのが、アルベルト・ゼッダによる校訂譜です。これは1969年に成立し、1970年代から多くの上演、録音で採用され、現在の主流の楽譜となっています。現在RICORDI社が出版している楽譜はゼッダの校訂譜です。もっとも、ゼッダの楽譜が世に広まってからも、作品観を十分に見直しした上演が広まるまで、20年以上かかっているのですから、やはり簡単には変化は起きないものです。
 この楽譜、当時としては画期的でその後のロッシーニ・ルネサンスやクリティカル・エディションにも大きな影響を与えたものであることは事実なのですが、しかし今となってはだいぶ時代遅れになってしまったこともいなめません。例えば校訂者報告には知りたい情報が乏しく何とも貧弱ですし、また昨今のクリティカル・エディションなら当然含まれる異稿や差替え(Ah se è ver など)も含まれておらず(移調譜のみ)、不満が残ります。この30年の間にロッシーニの研究が飛躍的に進んでいることを考えると、近い将来により優れた楽譜が出されることを期待しましょう。

※スペインの都市Sevilliaは現地ではセビージャと読むそうです。ただしスペイン語における-ll-の発音は地域差が大きく、セビーリャとも読みます。日本での読みは、スペイン語では必ずしも区別しないbとvの発音(ビとヴィの違い)も含め、必ずしも定まっていません。ここでは最も使用頻度の高いセビリアを採用します。イタリア語ではSivigliaでスィヴィーリャといった感じの読みになります。

Juan Diego Flórez, María Bayo, Pietro Spagnoli, Bruno Praticò, Ruggero Raimondi, Susana Cordoacute;n, Marco Moncloa
Orquesta Titular del Teatro Real, Coro de la Comunidad de Madrid.
Gianluigi Gelmetti
Emilio Sagi
Madrid, January 2005
DECCA 074 3111 5 (DVD NTSC)

ゼッダ版使用、Cessa di più resistere あり。

Raul Giménez, Anna Bonitatibus, Leo Nucci, Ricardo Zanellato, Alfonso Antoniozzi, Gabriella Corsaro, Paolo Barbacini, Paolo Chinellato, Gëmzin Myshketa
Orchestra e Coro del Teatro Regio di Parma
Maurizio Barbacini
Beppe de Tomasi, Poppi Ranchetti, Artemio Cabassi, Andrea Borelli
Parma, 19 January 2005
Hardy Classics DVD HCD 4023 (DVD NTSC)

ゼッダ版使用、カットあり。

Roberto Saccà, Joyce DiDonato, Dalibor Jenis, Carlos Chausson, Kristinn Sigmundsson, Jeannette Fischer, Nicholas Garrett, Denis Aubry
Orchestre et Choers de l'Ope'ra National de Paris
Bruno Campanella
Coline Serreau, Jean-Marc Stehle, Antoine Fontaine
Paris, April 2002
TDK TDBA-0109 (DVD NTSC Japanese domestic)

ゼッダ版使用、カットあり。

Ramon Vargas, Sonia Ganassi, Roberto Servile, Angelo Romero, Franco de Grandis, Ingrid Kertesi, Kazmer Sarkany, Laszlo Orban, Ferenc Korpas
Budapest Failoni Chamber Orchestra, Hungarian Radio Chorus
Will Humburg
Budapest, 16-28 November 1992
NAXOS 8.660027-29

ゼッダ版使用、Cessa di piu resistere あり、カットなし。
大変優秀な演奏です。
歌手はヴァルガスが抜きん出ています。まだ若い頃のガナッシや、セルヴィレはまずまずというところ。全体としてブッファならではの楽しさに満ちているのが大きいです。
フンブルクの溌剌とした指揮も見事。

Jerry Hadley, Susanne Mentzer, Thomas Hampson, Bruno Praticò, Samuel Ramey, Amelia Felle, José Fardilha, Mauro Utzeri, Mauro Utzeri
Orchestra Regionale della Toscana, Coro Regionale della Toscana
Gianluigi Gelmetti
Firenze, 17-26 August 1992
EMI CLASSICS TOCD-8291/93 (Japanese domestic)

ゼッダ版使用、Cessa di più resistere あり、カットなし。
ハンプソン、レイミー、プラティコの男声低音が強力。一方、メンツァーとハドリーが今一つ。
ジェルメッティは、ゼッダ校訂譜の指示を尊重し、伝統的なテンポのゆらしやヴァリアンテも慎重に退けており、サッパリした印象になっています。

Raúl Gimenez, Jennifer Larmore, Håkan Hagegård, Alessandro Corbelli, Samuel Ramey, Barbara Frittoli, Urban Malmberg, Léonard Graus
Orchestre de Chambre de Lausanne, Choeur du Grand Théâtre de Genève
Jesus Lopez-Cobos
Vevey, August 1992
TELDEC 9031-74885

ゼッダ版使用 Cessa di più resistere あり、レチタティーヴォにレチタティーヴォ・セッコに若干のカットあり
ヒメネスの甘い歌いまわしが魅力的で、特に Se il mio nome saper voi bramate は見事。ラーモア、レイミー、コルベッリらも充実。ハーゲゴールひとり異質なような気がします。ベルタをデビュー間もないフリットリが歌っています。
ロペス=コボスの音楽は、良いところも多々あるものの、Largo factomの前打音の入れ方を始め、随所でロッシーニの様式とズレがあるような気がします。

Frank Lopardo, Kathleen Battle, Plácido Domingo, Lucio Gallo, Ruggero Raimondi, Gabriele Sima, Carlos Chausson, Ronald Schneider, Goran Simic
The Chamber Orchestra of Europe, Membri del Coro del Gran Teatro La Fenice
Claudio Abbado
Ferrara, February 1992
DEUTSCHE GRAMMOPHON POCG-1626/7 (Japanese domestic)

ゼッダ版使用、Cessa di più resistere あり、Ah se è ver 追加、カットあり。
  ロジーナにソプラノのキャスリーン・バトルを起用しています。そのバトルと、テノールのドミンゴをフィガロに起用したことが大外れ。ロパードはそこそこ。ライモンディのトボケたバジーリオやガッロの陰険だがどことなく間抜けなバルトロなど、脇がしっかりしているだけに、制作側の意図が理解できません。
アッバードの指揮は、明るく溌剌としてしかも高級感がある実に素晴らしいもの。

Rockwell Blake, Luciana Serra, Bruno Pola, Enzo Dara, Paolo Montarsolo, Nicoletta Curiel, Alberto Carusi, Aurelio Faedda
Torino, 5 June 1987
NUOVA ERA 6760/62

ゼッダ版使用、Cessa di più resistere あり、Ah se è ver 追加、カットあり。
ロジーナをソプラノのルチアーナ・セッラが歌っています。ロジーナをソプラノで歌うと、あちこちに高いヴァリアンテを入れざるを得ず、全体の中でのバランスがどうしても収まり悪くなりますので、ソプラノにそれをはねのけるだけの魅力が求められます。セッラは素直な美声と嫌みにならない表現、それに彼女ならではの高度なテクニックで聞かせています。Ah se è ver は圧倒的。また、レッスンの場が半音高い Eb にあげられています。その他ブレイク、ダーラ、モンタルソロと、歌手も揃っています。
4番の二重唱と12番のレッスンの場面、それにレチタティーヴォ・セッコにカットがあります。
音質は冴えません。

William Matteuzzi, Cecilia Bartoli, Leo Nucci, Enrico Fissore, Paata Burchuladze, Gloria Banditelli, Michele Pertusi, Pippo Anepata, Giorgio Tadeo
Orchestra e Coro del Teatro Communale di Bologna
Giuseppe Patanè
Bologna, June 1988
DECCA 425 520-2

慣用版を使用、カットあり。
1988年の録音で、マッテウッツィやバルトリといった新しい世代の歌手を起用しているにもかかわらず、古い楽譜を使用。パタネの方針だそうです。それもあって、新しいキャストを起用しているにもかかわらず、音楽が昔のスタイルになっています。
ヌッチが素晴らしいフィガロ。バルトリはまだ若さが目立ちます。マッテウッツィは伯爵にはあっていない気がします。

Francisco Araiza, Agnes Baltsa, Thomas Allen, Domenico Trimarchi, Robert Lloyd, Sally Burgess, Matthew Best, John Noble
Academy of St. Martin in the Fields, Ambrosian Opera Chorus
Neville Marriner
London, 11-18 June 1983
PHILIPS 446 448-2

ゼッダ版使用、Cessa di più resistere あり、カットあり。
アライサの美しく気品のある声の伯爵が良。バルツァとアレンも立派ですが、ちょっと柄が大きい気がします。
No.12のロジーナのアリア(レッスンの場)に2箇所のカットあり。またレチタティーヴォ・セッコにカットが入っていますが、入れている場所が普通よりもかなり多く、また他に見られない独特のカットの入れ方(ゼッダ版のVi-de以外にも入れています)をしています。ロジーナが手紙を落とす場面もそっくりありません。

Paolo Barbacini, Marilyn Horne, Leo Nucci, Enzo Dara, Samuel Ramey, Raquel Pierotti, Simone Alaimo, Carlo Folcia, Silvestro Sammaritano
Orchestra e Coro del Teatro alla Scala di Milano
Riccardo Chailly
Milano, 2-18 January 1982
SONY CLASSICAL S3K 37 862

ゼッダ版使用、Cessa di più resistere あり、カットなし。
ゼッダ校訂譜を使用した録音では初のノーカットでした。
ホーンの貫禄のロジーナと、まだ若々しいヌッチ、ダーラ、レイミーの男性低音が優れています。バルバチーニはかなり癖の強い声。
シャイーはまだあまりぱっとした個性が出ていませんが、まずまずしっかりとまとめています。

Nicolai Gedda, Beverly Sills, Sherrill Milnes, Renato Capecchi, Ruggero Raimondi, Fedora Barbieri, Joseph Galiano, Michael Rippon
London Symphony Orchestra, John Alldis Choir
James Levine
London, August 1974 & May 1975
EMI 5 66040 2

慣用版使用、カットあり。
ソプラノのビヴァリー・シルズがロジーナ。Una voce poco fa が半音高いFで、レッスンの場が短3度高いFで歌われ、また随所で高いヴァリアンテを入れています。ゲッダ、ミルンズはロッシーニの様式を余り気にせず歌っています。
当時まだ若手だったジェイムズ・レヴァインがキビキビした音楽を聞かせてくれます。

Luigi Alva, Teresa Berganza, Hermann Prey, Enzo Dara, Paolo Montarsolo, Stefania Malagú, Renato Cesari, Luigi Roni
London Symphony Orchestra, The Ambrosian Opera Chorus
Abbado
London, September 1971
DEUTSCHE GRAMMOPHON 457 733-2

ゼッダ版使用、カットあり。
ゼッダ版を使った初の本格的な録音として大きな話題となったものですが、今となっては歌手の古いスタイルが気になります。アッバードの指揮もまた固いもの。過渡期のパイオニア的演奏という感じです。
"Cessa di più resistere"がカットされている他、レッスンの場面にもカットあり。

Ugo Benelli, Teresa Berganza, Manuel Ausensi, Fernando Corena, Nicolai Ghiaurov, Stefania Malagù, Dino Mantovani
Orchestra e Coro del Teatro "Gioacchino Rossini" di Napoli
Silvio Varviso
Napoli, July - August 1964 Napoli, July & August 1964
DECCA 417 164-2

慣用版を使用、Cessa di più resistereあり、カットあり
ボネッリが Cessa di più resistere を歌っています。ベルガンサ、ギャウロフは、後年よりずっと若々しい歌。アウセンシのフィガロが弱点です。
ヴァルヴィーゾは気持ち良くロッシーニの音楽をドライブしています。

Luigi Alva, Victoria de los Angeles, Sesto Bruscantini, Carlo Cava, Jan Wallace, Laura Salti, Duncan Robertson, Harold Williams, John Rhys Evans
Royal Philharmonic Orchestra, Glyndevourne Fesrival Chorus
Vittorio Gui
London, 4-7, 9-11 September 1962
EMI CLASSICS 5 67765 2

グイの校訂譜を使用、カットあり。
指揮者ヴィットーリオ・グイは、ロッシーニ生誕150周年を記念した事業として、ロッシーニの自筆譜をもとに新たな楽譜を校訂。1942年、フィレンツェでの記念上演に用いています。その楽譜がグラインドボーン劇場に残っていたため、戦後再び取り上げ、録音されました。ここではシンフォニアは、現在一般的な《アウレリアーノ》の楽譜ではなく(自筆譜が見つからなかったため)、《エリザベッタ》の楽譜を使用しています。
演奏は古いタイプ。Cessa di più resistere だけでなく、カットもかなリ多くあります。

Cesare Valletti, Roberta Peters, Robert Merrill, Fernando Corena, Giorgio Tozzi, Margaret Roggero, Calvin Marsh, Carlo Tomanelli
Metropolitan Opera Orchestra and Chorus
Erich Leinsdorf
New York, 1-11 September 1958
BMG CLASSICS RCA VICTOR LIVING STEREO 09026-68552-2

慣用版を使用、Cessa di più resistereあり、カットなし。
ヴァレッティがCessa di più resistere を歌っています。おそらくこれが最初の復活でしょう。ロジーナはソプラノのピーターズで、Una voce poco fa が半音高いFで歌われていたり、レッスンの歌の後にカデンツァ(ラインスドルフ作)を披露したりしています。
かなり時代は感じさせられますが、それを覚悟すれば、半世紀前にしてはまずまず悪くない演奏です。




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