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1812-1



L'INGANNO FELICE

ドランマ・ジョコーゾ
初演:1812年1月8日、ヴェネツィア、サン・モイゼ劇場
台本:ジュゼッペ・フォッパ
原作:不明(フォッパのオリジナル?パイジェッロの同名の作品(1798)との関連はなし)

 「結婚手形」から「ブルスキーノ氏」まで、ロッシーニは5つのファルサを発表しています。その大半は、いかにも庶民の娯楽といった一幕仕立の軽い笑劇なのですが、この「幸福な間違い」だけはいささか趣が異なります。

 炭坑長のタラボットは公爵ベルトランドが視察に来るとの知らせに大慌て。彼の元には姪のリーザがいます。しかし彼女は実は数年前に小船で海岸に半死半生で漂着し、彼女の願いでタルボットがその身元を隠して住まわせていたのです。何やら手紙と肖像画を見て嘆く彼女をタルボットが問い詰めると、実は彼女は公爵の夫人イザベッラで、公爵は友人のオルモンドから彼女が不貞を働いたと信じこまされて船で彼女を流してしまったのだと告白。タラボットは彼女に協力することを約束。公爵が登場、彼はイザベッラを死なせてしまったことを後悔しています。オルモンドとその手下のバトーネが登場。バトーネは“リーザ”がイザベッラと瓜二つなことに狼狽します。公爵もまた彼女の姿に激しく動揺、しかしこの場はひとまずタルボットが自分の姪だと主張します。まずいと思ったオルモンドはバトーネに彼女を夜に誘拐するよう命じます。バトーネとタラボットはお互いに腹の内を探りありますが、両者ともはぐらかすばかり。夜になってオルモンドがイザベッラを誘拐に来ます。一人になったバトーネに公爵は脅しをかけ、オルモンドが彼女を狙う理由を言うように命じます。戻ってきたオルモンドは、公爵が聞き耳を立てていると知らずに過去の悪事をばらし、公爵に逮捕されます。しかしイザベッラが死んでいると思っている公爵は自害しようとします。そこへタルボットとイザベッラが現れ、タルボットは事情を話し、イザベッラは公爵の過去を許しめでたしとなります。

 といったあらすじから分かるように、この作品は一種の救出オペラなのです。喜劇的要素は軽い味付け程度に使われている程度。一幕のもののセミセリアと思えば間違いないでしょう。
 実際、ヒロインのイザベッラとテノールのベルトランド公爵は、アリアにもその他の場面もいたってシリアス。悪役のオルモンドもブッフォ役ではありません(この役は案外と個性がありませんが、おそらく役者がこの役を受け持って歌っていたので、あまり歌に要求ができなかったからでしょう。またこの役は本来第2テノールによって歌われていた節があります)。愉快な場面はタラボットとバトーネという二人のバスが受け持っているに過ぎないのです。
 その意味では、この作品は19歳のロッシーニが初めてシリアスな要素に向き合った作品といえるでしょう。
 後のロッシーニの偉大なセリアの作品から見れば、音楽にまだロッシーニならではの個性に不足しているのは否めません。主役二人のアリア、公爵の"Qual tenero diletto"も、イザベッラの"Al piü dolce e caro ogetto"も、まだまだ若さが見られます。しかし2つのアンサンブル、前半の区切りとなる三重唱"Quel sembiamte, quello sguardo"とフィナーレはなかなか充実しています。ことに後者は夜の雰囲気を巧みに演出しており、工夫の跡が見られます。 
 ブッファの音楽の水準は十分高いものです。バトーネには、まずアリア"Una voce m'ha colpito"が与えられています。この曲、簡単そうに見えてGの音が出てくる結構な難曲です。さらにタラボットとの二重唱"Va taluno mormorando"が見事。バス二人が相手の腹を探り合う様子が何とも愉快です。ロッシーニは定型を摸倣しつつ、彼ならではのピリッとした味を散りばめています。初演の時のタラボットは19世紀前半を代表する名バッソ、フィリッポ・ガッリ、一方バトーネはこれまた大ブッフォ歌手、ルイージ・ラッファネッリ(既に60歳近かったはず!)でしたから、聴衆も大喜びだったでしょう。

Annick Massis, Raul Giménez, Rodney Gilfry, Pietro Spagnoli, Lorenzo Regazzo
Le Concert des Tuileries
Marc Mincowski
Poissy, 12-17 June 1996
ERATO 0630-17579-2

ミンコフスキの指揮は、イタリアオペラ的ではないものの、生き生きとしたリズムが魅力。チェンバロを積極的に参加させて演奏しています。歌手も総じて優秀です。
Otosの現代譜に基づいています。イザベッラのアリアはニ長調。

Susanna Rigacci, Ernesto Palacio, Giorgio Gatti, Roberto Ripesi, Giuliano Casali
Orchestra da camera dell'Associazione 'In Canto'
Fabio Maestri
Narni, December 1992
BONGIOVANNI GB 2133/34-2

演奏会形式の公演の録音で、舞台の生々しい雰囲気はありません。歌もやや冷静な感じがします。リガッチが力を発揮していますが、パラシオはあまり調子が良くなさそうですし、ガッティは終止苦しそうです。オーケストラも非力。
ローマのRatti e Cencettiの出版譜(1826頃)を基本に指揮者のマエストリが校訂した楽譜を使用。イザベッラのアリアはハ長調で歌わています。

Amelia Felle, Iorio Zennaro, Natale de Carolis, Fabio Previato, Danilo Serraiocco
English Chamber Orchestra
Marcello Viotti
London, 18-24 February 1992
CLAVES 50-9211


CIRO IN BABILONIA

初演:1812年3月14日、フェラーラ市立劇場
台本:フランチェスコ・アヴェンティ Francesco Aventi(1779−1858)
原作:旧約聖書、ダニエル書第5章

 《バビロニアのチーロ》(以下《チーロ》と略)は、ロッシーニにとって初めての非喜劇オペラでした(習作とも言い難い《デメトリオとポリービオ》を除く)。この作品は四旬節(復活祭の前の時期)向けの作品なので、聖書(類)に題材を採った物語です。なお1812年の四旬節は2月12日から3月28日まで。


作曲
 1809年の暮から1810年の初頭にかけての謝肉祭シーズンに、ロッシーニはフェラーラ市立劇場でマエストロ・アル・チェンバロを務めており、フェルディナンド・オルランディの《キオッジャの代官 Il podesta di Chioggia》の上演に関わりました。この時に《チーロ》の台本を手掛けるフランチェスコ・アヴェンティと知り合ったと思われます。アヴェンティはフェラーラの有力貴族の一員で、芸術に造詣の深い人物でした。
 時は過ぎて、ヴェネツィアでオペラ作曲家としての活動を開始したロッシーニは、1812年1月8日、ヴェネツィア、サンモイゼ劇場で初演した《幸せな間違い》が大成功、これによって興行主フランチェスコ・チェーラからさらに3作の新作契約を得ます。《チーロ》は、この契約を結んだ後、3作のうちの最初の作品《絹のはしご》との間に初演されており、チェーラと新たな契約を結ぶ前には四旬節にフェラーラで新作を提供することは決まっていたはずです。
 《チーロ》の作曲についての情報はあまり残っていません。
 画家で舞台美術家のゲラルド・ベヴィラックワ Gherardo Bevilacqua(1791−1845)が1839年にナポリの雑誌に書いたところによると、ロッシーニはフェラーラ生まれのベヴィラックワの家に滞在して《チーロ》を書いたといいます。
 1812年2月18日付でフェラーラからボローニャの母へ宛てた手紙には、「僕のオラトリオはうまく行っていて、今までに書いた音楽はすべて素晴らしく、歌手にとても好評です。舞台にかけられて素晴らしい成功を収めることを望みます。」と、作曲が順調に進んでいることが記されています。


初演と評判
 初演は1812年3月14日、フェラーラ市立劇場で行われました。
 その3日後の3月17日付で、レーノ県新聞 Giornale del Dipartimento del Reno に、初日の公演評が出ました。

 14日、土曜日の晩、前述のオラトリオが舞台にかけられた。非常に幸福な結果は、劇の作者、音楽の作曲家、出演者たち、運営者らの苦労に報いるものだった。マンフレディーニ夫人、マルコリーニ夫人、そしてビアンキ氏は[…]この新上演において腕前を競い合い、彼らの卓越した上手さに聴衆の喝采も競い合っていた。[…]音楽を書いたロッシーニ氏は、曲ごとに再三の喝采を受け、中でも第1幕の二重唱、第2幕の三重唱、マンフレディーニ夫人のアリア、ビアンキ氏のシェーナ、マルコリーニ夫人のシェーナで喝采を受けた。

 一方、3月24日付でヴェネツィアから母に宛てた手紙でも「僕のオラトリオがとても上手くいったことを知るでしょう。」と、初演が成功であったことを伝えています。
 こうした状況から、《チーロ》の初演と初期の上演は十分良かったことがうかがえます。
 実際、その後の再演は1820年代までしばしばありました。例えば、ミラノ初演は1818年1月20日、スカラ座。ミュンヘン初演は1816年11月6日、宮廷劇場。ワイマール初演は1819年3月20日、宮廷劇場。ロンドン初演は1823年1月30日、ドゥルリーレイン王立劇場。もちろんイタリアでは、四旬節の時期の出し物として度々上演がありました。

 しかし後年、《チーロ》の上演が完全に途絶えると、この作品を失敗作とみなす傾向が強くなりました。しかもその原因はロッシーニ自身にあります。1855年にドイツの作曲家フェルディナント・ヒラーがロッシーニと対談した内容を文にした『ロッシーニとの雑談 Plaudereien mit Rossini』によると、ロッシーニは《チーロ》を「私の失敗作の一つ Es gehort unter meine Fiaskos 」と述べたといいます。ちなみに同時にロッシーニは、《チーロ》の失敗の後、ボローニャに戻ってから「チーロ」と名付けたマジパンで出来た難破船を菓子屋に作らせ、それを食べて憂さを晴らしたという愉快なエピソードを披露してます。
 もっとも、このエピソードは時期が疑問視されています。というのも、NAXOSのCDの解説文を書いているドイツ・ロッシーニ協会のレート・ミュラーは、1812年3月14日のフェラーラでの《チーロ》の初演の後、《絹のはしご》を作曲して同年5月9日にヴェネツィアで初演を迎えるには、ボローニャに戻っている余裕はなく、フェラーラから直接ヴェネツィアに向かった可能性が高いと指摘、このエピソードは実際には大失敗に終わったフェラーラでの《タンクレーディ》の悲劇的結末の上演の後のことではないか、と推測しています。

 初演の出演者は以下のような人たちでした。

Ciro

Marietta Marcolini

contralto

Amira

Elisabetta Manfredini

soprano

Baldassare

Eliodoro Bianchi

tenore

Argene

Anna Savinelli

soprano (mezzo sopurano)

Zambri

Giovanni Layner

basso

Arbace

Francesco Savinelli

tenore

Daniello

Giovanni Fraschi

basso

 チーロのマリア・マルコリーニ(1780頃−?)は、19世紀初頭に北イタリアで活躍した偉大なコントラルト。彼女はなんと言っても《アルジェのイタリア女》(1813)初演のイザベッラとして高名です。ロッシーニのオペラの初演では他に、《ひどい誤解》(1811)のエルネスティーナ、《試金石》(1812)のクラリーチェ、《シジスモンド》(1814)のタイトルロールを歌っています。男装役を得意としていました。
 アミーラのエリザベッタ・マンフレディーニ(1790−?)は、ボローニャ生まれのソプラノ。《タンクレーディ》(1813)初演のアメナイーデです。ロッシーニのオペラの初演では他に《シジスモンド》(1814)のアルディミーラ、《ブルグントのアデライデ》(1817)のタイトルロールを歌っています。
 バルダッサーレのエリオドーロ・ビアンキ(1773−1848)は、ベルガモ出身のテノール。《エドゥアルドとクリスティーナ》(1819)の初演でカルロを歌っています。


史実、ダニエル書
 新バビロニアは、かつてのメソポタミアの超大国アッシリアが衰退し、その一部であったバビロニア(主要都市バビロンを含む一帯)が紀元前625年に独立した新興国。紀元前609年には完全にはアッシリアを滅亡させ、メソポタミアを支配しました。しかし100年存続することなく滅びました。
 紀元前597年、新バビロニアの二代目の王、ネブカドネザル2世(=ヴェルディの《ナブッコ》のタイトルロール)がエルサレムを陥落、多数のユダヤ人をバビロンに連れ帰って労役につかせました。これをバビロン捕囚といいます。
 オペラでのバルダッサーレは、史実ではベルシャザル(ヘンデルの《ベルシャザル》やウォルトンの《ベルシャザルの饗宴》でも知られる)。彼は新バビロニアの王ナボニドゥスの王子で、国を離れがちだった父の代わりに摂政として国を統治しました。《チーロ》の台本では、バルダッサーレは『バビロニアのアッシリア人の王』とわざわざ設定されているのですが、これは旧約聖書では超大国アッシリアが一貫して邪悪な敵として描かれているので、そのイメージを受け継がせるためではないでしょうか。
 主役であるチーロは、史実におけるキュロス2世(在位紀元前550―紀元前529。イランではクローシュと発音する)。アケメネス朝ペルシアの創始者。時の大国メディアに属していたペルシャの地方支配者から身を起こし、メディア、リュディアを倒した後、紀元前539年、新バビロニアを滅ぼして大王国ペルシャを築きました。この際、首都バビロンに捕囚されていたユダヤ人を解放したことで、ユダヤ人からも崇拝されています(知人のイラン人によると、イランとイスラエルの双方から尊敬されているのはクローシュだけだそうな)。
 アミーラに相当するのは、史実でのキュロスの正妻、カッサンダン。
 オペラでは黙役のカンビゼは、史実におけるカンビュセス2世(在位 紀元前530頃―紀元前522)。

 旧約聖書のダニエル書第5章では、こうした史実を基に、バビロン陥落の際の預言者ダニエルの活躍を描いています。史実とは異なり、ベルシャザルはバビロニアの王で、酒宴に興じる頽廃的な人物として描かれています。最大の見せ場は、突如現れた人の手が壁に謎の文字を書き、それをダニエルが解読する部分で、ここは様々な芸術の素材となりました。


あらすじ

チーロ ペルシャの王 テノール
アミーラ チーロの妻 バルダッサーレに捕らえられている ソプラノ
バルダッサーレ バビロニアのアッシリア人たちの王
アルジェーネ アミーラのお付きの者 ソプラノ
ザンブリ バビロニアの王族 バス
アルバーチェ バルダッサーレ軍の隊長 テノール
ダニエッロ 預言者

第1幕
 バビロニアの首都バビロン。バビロニアのアッシリア人の王バルダッサーレの宮殿。人々がペルシアに勝利したバルダッサーレを歓呼して迎えている。ザンブリは、アッシリア軍がチーロの妻アミーラと彼ら息子カンビゼを捕虜にしたと述べる。ザンブリは人々に、王と王国を讃えさせる。バルダッサーレがアミーラを連れて現れ、結婚を迫るが、アミーラはそれを拒む。バルダッサーレはアミーラに、運命は自分にかかっていると脅すが、彼女は、死んでもチーロへの愛は変わらないと答える。バルダッサーレは怒り苛立つ。バルダッサーレはアミーラに考え直すよう告げ、ザンブリに婚礼を準備するよう命じる。アミーラはお付きのアルジェーネに嘆く。アルジェーネが、知り合いのペルシャ人でバルダッサーレ軍の隊長であるアルバーチェを思い出すと、まさに彼が現れる。アルバーチェはアルジェーネの現状を理解し、助力を約束する。
 バビロンの城壁の外。ペルシャの兵士たちは、チーロが悲しげな様子なのに気づく。チーロは妻と息子を人質に取られたことを嘆き、復讐か死だ、と兵士たちを鼓舞し、翌朝の攻撃を告げる。すると城門からアルバーチェが現れ、チーロに事情を話し、協力を申し出て、チーロに用心するよう忠告する。
 バルダッサーレの宮殿。ザンブリがペルシャから使者の到来を告げる。使者に変装したチーロは、和平を申し出、チーロの妻と息子を返すよう求める。バルダッサーレは、ペルシャ軍を撤退させれば息子は返すが、アミーラは返さないと答える。二人の間に緊張が走る。呼び出されたアミーラは、ここにチーロがいることに驚きながら、使者姿のチーロに話しかけ、夫に会いたいがまだ天は祈りを聞いてくれない、と嘆く。人々が慰めるが、彼女は悲しみに暮れる。バルダッサーレはチーロとアミーラの面会を許し、カンビゼも呼ばれる。三人は喜び抱き合う。だがチーロが使者として状況を話さねばならないことをアミーラは忘れ、バルダッサーレと結婚せねば息子が殺されるという話を聞いて取り乱してしまう。バルダッサーレとザンブリは『使者』の正体を見抜き、チーロを捕らえる。チーロは危機に陥ったことを悔しがる。バルダッサーレはアミーラに、チーロの命を助けられるのはお前だけだと迫り、アミーラは絶望する。チーロが連行されていく。人々の混乱と祈りで幕。

第2幕
 バルダッサーレの宮殿。人々が、アルジェーネに、アミーラがチーロと再会できるよう頼んでいる。アルジェーネはアルバーチェに、アミーラを地下牢のチーロの元に連れて行ってほしいと頼む。アルバーチェは危険を承知で同意する。
 地下牢。チーロは我が身を嘆き、イスラエルの神に、バルダッサーレに勝利したら捕集されているイスラエルの人々を解放すると約束する。アルバーチェがアミーラを連れて来る。アミーラとチーロは再会の喜びに浸る。だが物音に二人は怯える。バルダッサーレが兵士を連れて現れる。アミーラとチーロは恐怖を感じ、バルダッサーレは怒りを覚える。 バルダッサーレの脅しに対し、二人は共に死ぬと答える。兵士たちが二人を引き離し、連行していく。アルジェーネはザンブリに、彼女はアミーラと共に王の宴に出席することを告げる。
 大広間。人々が祝宴を喜び歌っている。バルダッサーレは、ベル神(バール神)のおかげで祝宴が楽しめると喜び、ヘブライの寺院から略奪した聖なる杯で酒を飲むことで、捕囚されているヘブライの民に自分の力を見せつけようとする。突然稲光が走り、不思議な手が現れ、壁に謎の言葉を書き残して消え去る。驚いたバルダッサーレは、易者たちを呼び出す。そこにイスラエルの預言者ダニエッロが現れ、謎の文字を、バビロンが崩壊しバルダッサーレは明朝を見ずして死ぬだろう、と解釈する。バルダッサーレは激しく動揺し、 恐怖に慄く。易者たちは、ダニエッロの解釈を信用せず、勝利を信じてチーロたちを亡き者にするよう勧告する。バルダッサーレは愛するアミーラまで死なせることをためらうが、易者たちはアミーラは死なねばならぬと宣告する。ダニエッロは、バルダッサーレの破滅が近いと述べ、この不愉快な町が廃墟になり、いずれ人々の記憶からも消えてなくなるだろう、とつぶやく。
 アルバーチェがアミーラとアルジェーネを案内してくる。アミーラはチーロと一緒に死ぬ覚悟はできているという。生きるも死ぬもお供するというアルジェーネに対し、アミーラは、チーロとカンビゼを救うため生きてほしいと訴える。アミーラは、自分ではなく、夫と息子を案じてほしいと訴え、二人が救われるよう神に祈る。
 王宮。アルジェーネはザンブリに、チーロの嘆願のためバルダッサーレに会わせてほしいと願うが、拒まれる。アルジェーネは、不幸な者の願いを聞かぬ者には天罰が落ちよう、と怒る。
 バビロンの広場。チーロ、アミーラ、カンビゼが連行されて来る。人々が彼らに同情する。チーロは自らの死は恐れていないが、妻と息子のことを思うと涙を抑えらず、カンビゼを抱きしめて悲しむ。苛立つバルダッサーレに対して、チーロは、無実の血を流させるのなら、天の復讐があろう、と警告する。チーロは妻を慰め、死後の世界で再び会おうと語りかける。バルダッサーレはさらに苛立つ。チーロは息子と妻にキスする。人々はチーロたちを哀れむ。
 王宮。夜。遠くから戦いの音が聞こえてくる。バルダッサーレが寝ている間に敵の攻撃を受け、ザンブリが狼狽している。チーロがアルバーチェを伴って現れる。チーロが生きていたことにザンブリは驚く。チーロからバルダッサーレとその一族が全滅したと聞き、ザンブリは降参する。アミーラとアルジェーネも再会し、神に感謝する。
 広場。チーロの入場を人々が歓呼して迎える。チーロは、神が力を与えてくれたのだ、と感謝し、アミーラは、夫と息子が戻った喜びに浸る。その中でザンブリはチーロの慈悲を期待している。人々の喜びの声で幕となる。


音楽
(準備中)


参考資料

Riccardo Botta, Anna Rita Gemmabella, Luisa Islam-Ali-Zade, Maria Soulis, Woitek Gierlach, Giorgio Trucco, Giovanni Bellavia
Württemberg Philharmonic Orchestra, ARS Brunensis Chamber Choir
Antonino Fogliani
Bad Wildbad, 16, 22, 24 July 2004
NAXOS 8.660203-04

アルジェーネのアリアは、楽譜通り一音のみで歌われています。

Ernesto Palacio, Caterina Calvi, Daniela Dessy Ceriani, Oriana Frraris, Stefano Antonucci, Enrico Cossutta, Dnilo Serraiocco
Orchestra Sinfonica di San Remo, Coro Francesco Cilea di Reggio Calabria
Carlo Rizzi
Savona, 30 October 1988
ARKADIA CDAK 105.2

若き日のダニエラ・デッシーのアミーラは、技術的にちょっと苦しいところはあるものの、総じて素晴らしい歌を聞かせてくれます。エルネスト・パラシオも良。チーロのカテリーナ・カルヴィがやや目立ちません。カルロ・リッツィも、お世辞にも上手くないオーケストラをよく操っています。
アルジェーネのアリアは、ここではそれ相応にヴァリアンテを加えており、一音だけとはなっていません。




1806 1810 1811 1812-1 1812-2
1812-3 1813-1 1813-2 1813-3 1814
1815-1 1815-2 1816-1 1816-2 1817-1
1817-2 1818 1819-1 1819-2 1820
1821 1822 1823 1825 1826
1827 1828 1829 appendix


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