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1826



ZELMIRA
Paris, Théâtre Italien, mars 1826


《ゼルミーラ》のパリ初演

 1826年3月14日、《ゼルミーラ》がパリのイタリア劇場(会場はルーヴォア劇場 Salle Louvois)でパリ初演されました。この公演では、かなり豪華な配役が組まれました。

ZelmiraGiuditta Pastasoprano
IloGiovanni Battista Rubinitenore
AntenoreMarco Bordognitenore
PolidoroCarlo Zucchellibasso
EmmaAdelaide SchiasettiContralto
LeucippoNicolas-Prosper Levasseurbasso

 パスタ、ルビーニに加え、ズッケッリ、ルヴァッスールと、極めて優れた歌手が集められています。このためロッシーニは音楽をいくらか手直ししています。
 第2幕の終盤に大きな相違があります。第10番の五重唱のあと、ゼルミーラのアリアが追加され(N.10bis)、その後のレチタティーヴォですぐに、そして改訂されたフィナーレになります。
 ゼルミーラの追加アリアは、Andantino - Allegro(ここは中間部 Tempo di mezzo の扱い) - Più mosso という作り。最初の Andantino の部分は新作。Allegro 以降は、《エルミオーネ》のN.9 エルミオーネのグランシェーナのうち Il tuo dolor ci affretta... 以降を多少手直しして再使用しています。ここでアンテーノレが父娘を殺害しようとし、ゼルミーラが父を思って嘆く、という展開になっています。
 続くレチタティーヴォですぐにイーロたちが突入し、ゼルミーラとポリドーロが救出されます。
 第2幕フィナーレは、オリジナルではゼルミーラのロンドフィナーレですが、既にゼルミーラが大アリアを歌っているので、ゼルミーラ、イーロ、ポリドーロが分担するかたちになっており、また長さもオリジナルの170小節から119小節に短縮されています。ルビーニを引き立てるため、イーロの音楽は非常に高度で、高いEb音にまで達します(これはイーロの最高音)。
 一方、第1幕のアンテーノレのアリアは大幅に短縮されています。これは、アンテーノレ役のボルドーニの力量によるものでしょう。


参考資料

Gioachino Rossini: Zelmira, Edizione critica a cura di Azio Corghi / Ricordi
Eduardo Rescigno: Dizionario Rossiniano / Biblioteca Unicersale Rizzoli / 2002
スタンダール:ロッシーニ伝 / 山辺雅彦訳 / みすず書房

LE SIEGE DE CORINTHE

初演:1826年10月9日、パリ、オペラ座
台本:チェーザレ・デッラ・バッレの《マオメットニ世》の台本をルイージ・バロッキとアレクサンドル・スーメが翻訳、改訂

 《マオメット2世》はついにイタリアでは成功を収めることが出来ませんでした。ロッシーニはこの作品をパリ風グランドオペラに改作することにします。これが《コリントの包囲》です。
 デッラ・ヴァッレの台本はフランス語に訳されただけでなく、場所や人名などの設定も変更を受けています。台本を手直ししたのはルイージ・バロッキとアレクサンドル・スーメの二人です。バロッキはイタリア劇場の台本作家、スーメはベッリーニの《ノルマ》の原作となる悲劇の作者の一人です。
 同じメフメト2世を題材に扱っていますが、物語の舞台は1459年のギリシャの都市コリントに変更されています。これはドラマの必然という訳ではなく、1821年に勃発したギリシャ独立戦争の影響です。当時ヨーロッパではフィルヘレニズムが沸き起こっていたこともあって民衆はギリシャへ好意的でした。その機運に乗じるため舞台をネグロポンテからギリシャ本土のコリントへと移したというわけです。


あらすじ

   コリントはマオメ2世に率いられたトルコ軍の大群に包囲されています。しかしコリントの総督クレオメーヌや若い隊長ネオクレスたちはあくまで戦い続けることにします。ネオクレスはクレオメーヌの娘バミラとの結婚を願います。しかしバミラは以前アテネで会ったアルマンゾルという男を愛していると告白。クレオメーヌは怒ります。トルコ軍が近づく様子に、クレオメーヌはパミラにいざという時には自決するようにと短剣を与え、戦いへ向かっていきます。勝利を収めたトルコ軍に続いてマオメ2世が登場。クレオメーヌに降服するよう迫りますが彼は応じません。マオメ2世が怒って彼を引っ立てようとするとパミラが駆け込んできます。彼女はマオメがアルマンゾルであったことに驚きます。マオメはパミラに求婚しギリシャと和平しようと提案しますが、クレオメーヌはこれを拒絶。しかしパミラはネオクレスと結ばれることをためらい、父は娘を罵倒します。
 マオメの仮屋に連れてこられたパミラは運命を嘆き母に祈ります。婚礼が準備され、バレが踊られます。パミラを救出しに来たネオクレスが捕らわれて連れてこられます。マオメ2世の問いに正体を明かそうとすると、パミラが自分の兄だと命乞いをします。ギリシャ軍が再度兵を上げようとするとの知らせに、マオメは再度コリントを救う気はないかとパミラに尋ねますが、自分も死ぬ気とのパミラの応えにマオメは殺戮を命じます。パミラはネオクレスと脱出します。
 ネオクレスが戻ってきますが、状況が絶望的なことをしらされます。遠くからパミラとギリシャの娘たちの祈りが聞こえて来ます。墓地に潜むクレオメーヌはまだ娘が裏切ったと思っています。そこへパミラが登場。娘を拒絶する父をネオクレスがとりなし、二人は和解、パミラは母の墓の前でネオクレスと結婚します。クレオメーヌとネオクレスは戦いへ出発、パミラと娘たちは神に祈ります。トルコ軍の勝利の歓声が聞こえ、コリントは火に包まれます。マオメがパミラを求めてやってきますが、彼女は剣を胸に突き刺し自害してしまいます。

人名などに変更があるとは言え、物語の大筋は《マオメット2世》と余り変わりません。


《マオメット2世》と《コリントの包囲》の音楽の関係

 《コリントの包囲》が《マオメット2世》から多くの音楽を引き継いでいるのは当然ですが、しかしそれらのほとんどは多かれ少なかれ改編を受けています。

Ouverture序奏は、Bianca e FallieroのSinfoniaから転用
リズミックな部分はMessa di Gloria(1820)のGloriaの素材を利用
ACTE 1N.1IntroductionMaometto II N.1 導入を圧縮して転用。
N.2Scène et Trio前半はMaometto II No.3b のうち、初めの三重唱から転用。
後半はMaometto II No.3e 二つ目の三重唱の後半部分から転用。
全体として、Maometto IIのテルツェットーネから中央のアンナの祈りを取り除いて圧縮したようになっている。
N.3Marche et ChoeurMaometto II No.4を転用。
舞台裏のバンダの部分は通常のオーケストラにとりこまれている。
N.4Résit et AirMaometto II No.4からアリアの部分だけを転用
ただしオリジナルのカヴァティーナに当たる部分が削除されレシに置きかえられ、カバレッタだけが取り入れられている。註1
N.5Scène et FinalMaometto II No.5のフィナーレを大幅に短縮、改訂している
ACTE 2N.6
註2
Ballade et ChoeurErmione Atto 1の合唱 Dall'Oriente L'astro del giorno を転用。
N.7Résit et AirMaometto II Finale secondoの Madre, a te che sull'Empiro を転用
N.8Scène, Duo et ChoeurDuoはMaometto II N.7 Duettoを転用。
1. Air de Danse 
2. Air de Danse 
3. Air de Danse 
N.9Hymne 
N.10FinalMessa di Gloria(1820)のグローリアの音楽素材を借用
ACTE 3N.11Récit et Prière序奏部分はMaometto II No.9の序奏部分→ヴェネツィア稿の序曲の前半部分から転用
女声合唱の祈りはMaometto II No.11のシェーナの部分の女性合唱を転用。
N.12Air 
N.13Scène et TrioMaometto II No.10の三重唱を転用
N.14Résit et scène 
N.15Résit et PrièreMaometto II No.3 テルツェットーネの中のアンナの祈りを転用
N.16FinalMaometto II No.11のトルコ兵がなだれこむ場面の音楽の素材を借用

註1 2000年のペーザロ・ロッシーニ・フェスティヴァルでの上演(Revisione della fonte Troupenas, preparatoria alla edizione critica della Fondazione Rossini di Pesaro)では、カヴァティーナの部分もフランス語に直されて歌われていました。
註2 この曲はしばしばアンナとマオメの二重唱の後に置かれます(ことにイタリア語版では)

 全体は3幕仕立てになっています。またパリのオペラ座向けの作品ですから第2幕にバレが加わっています。さらに冒頭には有名な序曲が置かれています。
 個々の曲は、《マオメット2世》から優れた曲を抜き出して手際良く再構成した、と言うことはできるとは思います。ただ、それによって得たものもある変わりに失ったものも大きいと思います。言いかえれば、要領が良く聞きどころが並べられて華やかさが増し聞きやすくなった反面、《マオメット2世》のもっていたドラマの連続性や有機的な効果が継ぎはぎになっており、ロッシーニが模索した実験精神や重厚な風格のある雰囲気は後退しています。つまりこの両者は音楽的には似ていても、性格的には相当異なる、というわけです。
 音楽をそのままに台本を改編したため、両者の間にずれが生じている箇所も少なくありません。例えば、第1幕の冒頭が作戦会議の場面なのは両作品とも同様ですが、《マオメット2世》ではまずコンドゥルミエーロ(テノール)がト短調で悲痛な面持ちで降服もやむなしと提案すると、それを遮りカルボ(コントラルト)がト長調でリズミックに戦い続けようと主張します。これが《コリントの包囲》では、音楽はほぼそのままに、ネオクレス(テノール)がト短調で戦いつづけることを主張、そこにイェーロ (バス)が賛同してト長調で歌う、というようになっています。このネオクレスの部分はどうにも言葉と音楽があっていません。後半も、《マオメット2世》に親しんでいると、カルボがバスになったのかと驚いてしまうでしょう。
 両作品の趣向の違いは幕切れに象徴的に現れています。
 《マオメット2世》ではアンナは最後にマオメットに向かいカルボが夫であると告げ自害します。一瞬の凍りついた瞬間の後彼女の痛ましい死を嘆く合唱で幕となります。一方《コリントの包囲》ではパミラが「動かないで、さもないとこの短剣が私の胸を突き刺すわ」とだけ言って自害し、その後はなだれこむトルコ兵を象徴するオーケストラの音楽だけで締め括られます。後のヴェルディの《シチリアの晩鐘》と同様、パリ好みのドライなエンディングで、演出が良ければ効果的でしょうが、音楽だけだと物足りなく感じます。

 ということで、やはりパリ向けの豪華絢爛な歴史絵巻といった趣の作品です。そうした観点で純粋にこの作品だけを論じるなら、後に独伊両国のオペラに多大な影響を与えることになるパリのグランド・オペラを発展させていく上で重要な位置にある、優れた作品だと思います。

 なお、この作品は、イタリア人作曲家によるパリ向けの作品の常として、イタリア語に直されたL'ASSEDIO DI CORINTOもあり、戦後の復活はそちらが主流となっています。これについては後述します。


レシはイタリア語のレチタティーヴォと、セーヌはシェーナと同義語ですが、意味するものはイタリア・オペラの場合と若干異なります。



《マオメット2世》、《コリントの包囲》、《コリントの包囲》(イタリア語)の人物対応表
《マオメット2世》
Maometto II
《コリントの包囲》
Le Siege de Corinth
《コリントの包囲》(イタリア語)
L'Assedio di Corinto
マオメット2世
Maometto II
マオメ2世
Mahomet II
マオメット2世
Maometto II
アンナ
Anna
パミラ
Pamyra
パミーラ
Pamira
パオロ・エリッソ
Paolo Erisso
クレオメーヌ
Cleomene
クレオメーネ
Cleomene
カルボ
Calbo
ネオクレス
Néoclès
ネオークレ
Neocle


Serra,Lippi,Raffanti,Comencini,Caforio
Orhchestra del Teatro Carlo Felice di Genova
Olmi
Genova,2-14 June 1992
NUOVA ERA 7140/42

 ジェノヴァのカルロ・フェニーチェ劇場での上演の録音。イタリアでの初のノーカットのフランス語上演だったそうです。実のところ1985年のパリのオペラ座ですらイタリア語で上演されていましたから、地方劇場や演奏会形式上演、放送用録音を別にすれば、このジェノヴァでの上演はスター歌手を擁してフランス語で上演した事実上20世紀初のものといっても良いでしょう。またこれは現在までのところフランス語版の唯一の録音です。
 とりあえず作品を楽しむには十分な程度の演奏になっています。これは指揮のオルミの功績でしょう。
 パミラはセッラにとっては音域が低く、超絶コロラトゥーラも余りない役なので、むしろ彼女の上擦りぎみの声が気になりがちになってしまっています。リッピは役不足の感が否めませんが、なんとか勤め上げています。難役ネオクレスを歌うコメンチーニは声そのものはロッシーニにぴったりで、場所によってはかなりよい印象を与えられます。たださすがに後半ばててしまい、第3幕のアリアは高い音をかなリはしょってしまっています。




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