1813-1 |
移転
《ブルスキーノ氏》
※通常では移転後は元ページを削除してしまうのだが、Wikipediaのブルスキーノ氏のページが、このページからの参照元記載なしの転載をしていると思わる箇所がいくつもあり、削除するとそれが分からなくなってしまうので、証拠保全のため元ページを残しておく。※
初演:1813年1月27日、ヴェネツィア、サンモイゼ劇場
台本作家:ジュゼッペ・フォッパ
原作:アリサン・ドゥ・シャゼおよびE・T・モーリス・ウリ《偶然の息子》(1809)
《ブルスキーノ氏》は、ロッシーニのヴェネツィアにおける最後のファルサです。この作品を最後に、ロッシーニとサンモイゼ劇場の関係は終りになりました。
ロッシーニが《ブルスキーノ氏》の依頼を受けたのは、《成り行き泥棒》と同じく、1812年9月の《試金石》の初演を終えミラノからヴェネツィアに戻った時(10月後半から11月始め頃)だと思われます。そして先に《成り行き泥棒》を作曲、初演した後、《ブルスキーノ氏》に取りかかっています。
一方、ミラノのスカラ座で《試金石》が大成功を収めたことで、ロッシーニの名声は一気に高まっていきました。その機会を逃さず、ヴェネツィアの大劇場であるフェニーチェ劇場が、堂々たるセリアをロッシーニに依頼してきました。これは《ブルスキーノ氏》の契約より後の依頼です。
結果的に、《ブルスキーノ氏》は、その次の作品である《タンクレーディ》とほぼ同時期に作られています。《ブルスキーノ氏》の初演が1月27日、《タンクレーディ》が2月6日ですから、二つの作品の初演の間にはたったの10日しか間がないのです。
同じヴェネツィアの中でも、サン・モイゼ劇場は斜陽著しい小劇場、一方のフェニーチェ劇場はイタリア中に名を知られた壮麗な大劇場。片やファルサ、片やオペラセリア。どちらに力を入れるべきか、ロッシーニはよく良く承知していたのです。
このような状況だったので、《ブルスキーノ氏》の初演準備に忙しいはずの時期になっても、ロッシーニは《タンクレーディ》の作曲に全力を傾けていていたのです。当然、ロッシーニとサン・モイゼ劇場の支配人、アントーニオ・チェーラとの関係は非常に険悪になっていたようです。これが初演と、その後の作品の評価に悪影響を与えてしまう原因となったのです。
全1幕
ガウデンツィオの館の前で、フロルヴィッレが、ガウデンツィオが後見している娘、ソフィーアを待っています。彼女の女中マリアンナは、悪い知らせがあることを匂わせます。ソフィーアが現れ、二人は再会の甘美にしばし酔います。結婚の話を進めようとするフロルヴィッレに、ソフィーアは、ブルスキーノという男との結婚話があること、しかし彼とはまだ会ったこともないことを告げます。憤るフロルヴィッレ。人の来る気配にソフィーアとマリアンナが家の中に戻ると、館のそばの宿屋の主人、フィリベルトが現れ、ガウデンツィオ家の人を呼ぼうとします。フロルヴィッレがガウデンツィオ家の執事になりすまして用件を尋ねると、宿に滞在しているプルスキーノという若者が金を使い果たして借金があるので、屋根裏部屋に閉じこめ、その若者が父親へ助けを求る手紙をガウデンツィオから父親に渡してもらうために来たことを話ます。フロルヴィルレは、閉じ込められているブルスキーノ青年がソフィーアの許婚だと気付き、これはいいチャンスだと、自分もブルスキーノ家の一員、青年ブルスキーノの従兄弟だと名を騙り、フィリベルトに借金の半分を支払い、残りの半分も払うがそれまでその青年を閉じこめておいておいてほしいとフィリベルトに頼みます。そしてフロルヴィッレは当の息子ブルスキーノに成りすまそうというわけです。
ガウデンツィオが登場。マリアンナがフロルヴィッレが書いた偽のブルスキーノ氏の手紙を持ってきます。そこには息子ブルスキーノが道草して悪さをしているので捕らえてほしいという依頼と人相書きがありました。早速息子ブルスキーノに成りすましたフロルヴィッレが連れてこられます(手紙は彼が書いたものですから、人相書きもフロルヴィッレのものなのです)。彼が後悔の素振りを見せるので、ガウデンツィオも同情を寄せます。父ブルスキーノが「うう、なんて暑いんだ!」とぼやきながら登場(痛風を患っているのですから、かなり太っているのでしょう)。彼は息子の悪行に怒り心頭ですが、ガウデンツィオのとりなしで面会することに。ところが息子として現れたのは見ず知らずの青年。これは誰だ、とブルスキーノ氏が言えば、意地を張るな、とガウデンツィオが怒り出します。ガウデンツィオはソフィーアにブルスキーノ氏の説得を頼みます。彼女はブルスキーノ氏に、花婿を下さいと切々と頼みと同時に、そうでないなら罰が下りますと付け加えます。ガウデンツィオが呼んだ警官が現れ、筆跡鑑定をすることになります。ところがガウデンツィオが提出した手紙は息子ブルスキーノが書いたものなのですから、警官はフロルヴィッレを本物の息子と断定。ブルスキーノは驚きます。再びフィリベルトがやって来るので、警官は彼にも質問しますが、“借金をしている人”としてフロルヴィッレを指差し、彼を“ブルスキーノという名”だと証言します。いよいよ混乱するブルスキーノ。彼は他の人達から責められます。しかしプルスキーノはフィリベルトから真相を聞き出し、フロルヴィッレの計略を理解します。一方、ガウデンツィオはソフィーアが偽の息子ブルスキーノを気に入ってると知り、結婚がどういうものかを彼女に説明します。
自分の息子に成りすました青年の正体を不思議がるブルスキーノ。ところが当のフロルヴィッレの独白から、彼がガウデンツィオの仇敵の息子だということが分かります。ここでプルスキーノは考えを変え、ガウデンツィオに仕返しをすることにします。彼はガウデンツィオの前でついにフロルヴィッレを息子と認めて抱きしめ、ソフィーアと結婚をさせてしまいます。そこへフィリベルトが本当の息子ブルスキーノを連れて来ます。今度はガウデンツィオが混乱します。ブルスキーノがフロルヴィッレの正体を明かすと、ソフィーアを仇敵の息子と結婚させたことに怒りだします。しかしプルスキーノにたしなめられ、結局二人の結婚を認め、めでたしとなります。
《ブルスキーノ氏》の音楽の構成は次のようになっています。
《ブルスキーノ氏》の音楽設計一覧図
曲の中で最も風変わりなのはシンフォニアです。まず、スタンダールの《ロッシーニ伝》の文章から引用しましょう。ただし、先に述べましたように、彼も《ブルスキーノ氏》を実際には知らなかったため、誤って《絹の梯子》での出来事としています。山辺雅彦氏訳のみすず書房刊の訳本に助けていただきます。
[…]あの無礼な興行主用に書いた新作オペラ『絹のはしご』(実際には《ブルスキーノ氏》)の中に、ありとあらゆる荒唐無稽かつ奇妙奇天烈な思いつきを持ちこんだ。彼の頭がその手の思いつきに決してこと欠かなかったのはたしかである。たとえば、序曲のアレグロで、ヴァイオリン奏者は一小節ごとに演奏を中断し、各奏者たちを照らす蝋燭が置かれたブリキの反射板を、弓で軽く叩かねばならなかった。詰めかけた大勢の聴衆の驚きと怒りを想像して頂きたい。[…]
このシンフォニアは単独で取り上げられることも多い有名なものです。スタンダールの述べていることをもう少し正確に言うと、シンフォニアの中で数回、第2ヴァイオリン群が弓で燭台をバシバシと叩くのです。なぜこんな奏法(?)を取り入れたのか、よく分からないのですが(註)、何か挑発的な意味合いを持っていることは間違いありません。作品の本体は忘れ去られても、この燭台を打つ奏法は後年まで語り継がれたようで、このことから《ブルスキーノ氏》が“演奏不可能な音楽”であるという噂が生まれたのでしょう。そしてシンフォニア全体としても非常に諧謔的な、皮肉な味の濃いものとなっています。
もちろん《ブルスキーノ氏》の本体もあらゆる部分で愉悦が弾けています。
なにせブルスキーノが強烈な個性の持ち主(「うう!なんて暑いんだ Uh! che caldo」の連発!)ですので、彼が中心となったアンサンブルはどれも痛快。
真中に置かれた第4番の三重唱は、中間部を持った二つの部分からできています。中間部でフロルヴィッレが何食わぬ顔で息子となって登場してからの混乱振りは見もので、ブルスキーノは誰だと怒り、ガウデンツィオは意地を張るなと反論、フロルヴィッレは許しを請い…と一気にハチャメチャに突き進みます。後半のPiù mossoの音楽は、特にブルスキーノの強烈な早口が錯綜する部分が猛烈なエネルギーで、ロッシーニの醍醐味満点です。また三人が同時に歌っている部分でも途中でブルスキーノ一人が外れ"Uh..."と唸る、という凝った笑いを入れています。
同様のブルスキーノの狼狽振りは、第6番のブルスキーノのアリアで頂点となっています。この曲、アリアといってもソフィーア、偽の息子となっているフロルヴィッレ、ガウデンツィオ、警官、後にフィリベルトまで加わる事実上のアンサンブルで、作品中最も愉快で手の込んだ曲です。これは大きく前半と後半に分かれています。警官がフロルヴィッレを「あの人はあなたの息子です」と断定した後、まず5小節の前奏というべきブルスキーノの混乱振り Ho la testa o è andataが あった後、前半の主題が現れます(Ah! il cervel da cima a fondo)。このどことなく哀れさがにじみ出ている主題は前半に都合3回現れ、その間にガウデンツィオやソフィーアの反応が挟まれています。救いの主のはずのフィリベルトがさらにブルスキーノを絶望に落とした後、後半は簡単な急-緩-急の形をとっています。前後の部分は他の5人に食って掛かって捲くし立てるブルスキーノが、中間部では打って変わって嘆き祈るのが可哀想で笑えます。
フィナーレではブルスキーノが主導権を握り計画通りことが進みます。偽の息子を我が子と認めて大げさに抱きしめる様子は笑えます。このあとは、ロッシーニも大急ぎで書き飛ばしたようで、先の二つのアンサンブルの爆発的な勢いには達していません。定型を踏まえながらロッシーニらしさを適度に盛りこんだ、というところでしょうか。途中の息子ブルスキーノの間抜け振りを表す音楽(ここだけ臨時記号でニ短調になっています)が効いています。
第2番の二重唱は、テノールと脇役のバス(3人目のバスです)の猛スピードの早口のやりとりが文句なく楽しめます。La bandiera io stacco già での、旗がひらめく描写がユニークです。
テノール役のフロルヴィッレには単独のアリアは与えられていません。そのかわり第1番の導入に大変美しいソロ Deh tu m'assisti amore があります。短いものですが、豊かな感情表現はこうしたファルサにはもったいないくらいです。一方これに続くマリアンナとの二重唱部分のスピード感も爽快。
第3番のガウデンツィオのアリア Nel teatro del gran mondo は、彼の分別臭い性格を示すもの。二部形式。後半でF#まで上がる以外、あまり難易度は高くありません。
ソフィーアは、先に述べたような理由から、全体としてはあまり魅力のある役とは言い難いものです。第7番のガウデンツィオとの二重唱があまりおもしろいものでもないのも、そうした事情があるのではないでしょうか。
しかし、さすがはロッシーニ、ソフィーアのアリアは十分名作です。全体にコールアングレのオブリガートが印象的なもの。前半部分の Ah donate il caro sposo ad una'alma che sospira での乙女らしい(多少演技が入っていたとしても)切々とした訴えかけは美しいものです。後半の Ma già sento la speranza も、やはりコールアングレがからむもので、こちらも悪くないものです。ただ、技巧的にあまり多くを要求できなかったようで、効果十分とは言えないでしょう。
初演に出演した主な歌手たちは以下の通りです。
Bruschino, padre | Luigi Raffanelli | Basso |
Gaudenzio | Nicola De Grecis | Basso |
Sofia | Teodolinda Pontiggia | Soprano |
Florville | Tommaso Berti | Tenore |
Bruschino, figlio | Gaetano Dal Monte | Tenore |
Filiberto | Nicola Tacci | Basso |
Un Delegato di polizia | Gaetano Dal Monte | Tenore |
Marianna | Carolina Nagher | Soprano |
《ブルスキーノ氏》の初演は全くの失敗に終り、たった一晩でひっこめられてしまいました。そしてその後楽譜も行方不明になり、ほとんど上演がありませんでした。以後40年以上、《ブルスキーノ氏》は名前だけが知られる幻の作品となってしまったのです。スタンダールのような大のロッシーニアンですら、《ブルスキーノ氏》を聞いたことはなかったようで、《ロッシーニ伝》の中で触れている箇所は極めて少なく具体的な情報はありません。
そのため、《ブルスキーノ氏》には様々な伝説がまとわりつきました。
その代表的なものが次のようなもの。フェニーチェ劇場への新作ばかりに夢中になっていたロッシーニに、サン・モイゼ劇場の興行主チェーラが腹を立て、仕返しのために台本作家のフォッパに到底作曲できないようなメチャクチャな台本を作らせ、これにロッシーニも演奏不能な音楽をつけて返した、というもの。
この伝説が、作品の実態が全くの謎だったために生まれたものだということは、実際に作品を耳にすればすぐ理解できます。活気のあるピリリとした音楽はロッシーニの成長をはっきりと示しており、演奏不能のメチャクチャなものでは全くありません。台本も、原作が5幕ものだったのを無理やり圧縮したので物語の展開(特に息子ブルスキーノの扱い)に分かりづらい点があるのは事実ですが、しかし全体として見れば悪いものではありません。
それではなぜ一晩で引っ込められてしまったのでしょうか。
失敗の原因は主として上演が不出来だったからではないか、と推測されています。特に主役級の中で唯一の女声、ソフィーアを歌ったソプラノ、マリーア・ポンティッジャが極めて非力だったことが考えられます。
その証拠として導入の後半部分 Quanto è dolce a un'alma amante が指摘できるでしょう。この部分は《デメトリオとポリービオ》からそっくり転用した(調も同じ)ものなのです。ところが、二声が重なって歌う部分は、《デメトリオとポリービオ》ではソプラノが上の旋律を受け持っていたのに対し、《ブルスキーノ氏》ではテノールであるフロルヴィッレが一貫して上声なのです。テノールは実際にはソプラノよりオクターヴ下で歌うのですから、こうした二重唱は極めて稀です。ソプラノには主旋律は歌わせられなかったのかもしれません。
さて、初日が失敗でも普通は多少の続演を見るものです。しかし一晩で下げられてしまったのは、明かに興行主チェーラの当てこすりでしょう。続演すれば挽回もあり得たのに、失敗したのをこれ幸いと引っ込めてしまったのです。
その後《ブルスキーノ氏》は、1844年6月2日にミラノのカノッビアーナ劇場で一回だけ上演されていますが、これは作曲者の関知しない上演で、相当に改竄されたものだったようです。
初演から45年も経った1858年の12月29日、長いこと行方不明だった《ブルスキーノ氏》の自筆譜を、ポーランドのジュゼッペ・ポニャトウスキという貴族がパリのロッシーニのもとに持って来ました。大喜びしたロッシーニは、確かに自筆譜であると一筆したためています。
歌って演技ができる芸達者な歌手が揃えば、腹を抱えて笑うことができる傑作です。日本でも優れた歌手で上演があるといいのですが。
(註)イタリア語でceraが蝋燭を意味することから、アントーニオ・チェーラに腹を立てていたロッシーニがこのやり方で「チェーラを打ち据えた」とする大変面白い、かつ納得できる見解があります(水谷彰良 ロッシーニ全作品事典(7)<ブルスキーノ氏>,日本ロッシーニ協会紀要 ROSSINIANA 第12号,41p)。
Gioachino Rossini: Il signor Bruschino / Edizione critica a cura di Arrigo Gazzaniga, Ricordi
Eduardo Rescigno: Dizionario Rossiniano / Biblioteca Unicersale Rizzoli / 2002
スタンダール『ロッシーニ伝』 / 山辺 雅彦 訳 / みすず書房
ロッシーニ全作品事典(7)<ブルスキーノ氏> / 水谷 彰良 / 日本ロッシーニ協会紀要 ROSSINIANA 第12号
Maurizio Leoni, Elena Rossi, Dario Giorgelè, Massimiliano Barbolini, Alessandro Codeluppi, Vito Martino, Antonio Marani, Clara Giangaspero
I Virtuosi Italiani
Claudio Desderi
Cento, Ferrara, 4 May 2002
NAXOS 8.660128
Giampiero Ruggeri, Hiroko Kouda, Ezio Maria Tisi, Johannes Puchleitner, Patrizio Saudelli, Edvard Strah, Aris Papagiannopoulos, Claudia Schneider
Orchester der Tiroler Festspiele
Gustav Kuhn
Wörgl, 9 August 2000
ARTE NOVA 74321 80783 2
Samuel Ramey, Kathleen Battle, Claudio Desderi, Ocatavio Arèvalo, Frank Lopardo, Michele Pertusi, Jennifer Larmore
English Chamber Orchestra
Ion Marin
London, May 1991
DEUTSCH GRAMMOPHON POCG-1718
スピード感に溢れたイオン・マリンの指揮が爽快で、ロッシーニのエネルギーが非常に生きています。
歌手では、ガウデンツィオ役のサミュエル・レイミーの美声とブルスキーノ役のクラウディオ・デズデーリのダミ声(演技がうまい!)の両バスが最高です。フランク・ロパードも悪くありません。フィリベルトがミケーレ・ペルトゥージに警官がオクターヴィオ・アレーヴァロ、さらにはマリアンナがジェニファー・ラーモアと、DGらしく贅沢な配役。キャスリーン・バトルはいつも通り様式感のない歌い方でイタリア語の発音もかなり怪しいもの。ただソフィーアは目立つ役でもないのであまり気になりません。面白いことに、導入のフロルヴィッレとの二重唱は、後半をソフィーアが上になるように入れ替えて歌わせています。
スピーディな音楽に、レチタティーヴォにカットが入って、1枚に収録されています。
Alessandro Corbelli, Amelia Felle, Alberto Rinaldi, Vito Gobbi, David Kuebler, Oslavio di Credico, Carlos Feller, Janice Hall
Radio-Sinfonieorchester Stuttgart
Gianluigi Gelmetti
Michael Hampe
Schwetzingen, May 1989
Euroarts EA2054988 (DVD NTSC)
Bruno Praticò, Patrizia Orciani, Natale de Carolis, Fulvio Massa, Luca Canonici, Pietro Spagnoli, Katia Lytting
I Filarmonici di Torino
Marcello Viotti
Torino, October 1988
CLAVES 50-8904
カノーニチ、デ・カロリス、プラティコ、スパニョーリと、当時の若手で実力のある人を揃えています。オルチャーニが冴えません。
ヴィオッティの指揮は躍動感に不足気味。
レチタティーヴォ・セッコまでノーカットの演奏。
Enzo Dara, Mariella Devia, Alberto Rinaldi, Eugenio Favano, Dalmacio Gonzalez, Michele Farruggia, Alfonso Antoniozzi, Nicoletta Curiel
Orchestra Sinfonica della RAI di Torino
Donato Renzetti
Pesaro, August 1988
OPERA RICORDI FONIT CETRA RFCD 2002
ROFのライヴ録音。公演は、8月20、21、24、28日、パラフェスティヴァルで行われました。
ソフィア役のデヴィーアが最高。ダーラは今一つですが、存在感は貴重。ゴンザレスの抜けの悪い声がやや気になります。
レンゼッティの指揮するオーケストラのイタリア的美感は魅力です。
CDで聞く限り、第7景が丸々ないなど、レチタティーヴォ・セッコに多少のカットが入れられています。
1806 | 1810 | 1811 | 1812-1 | 1812-2 |
1812-3 | 1813-1 | 1813-2 | 1813-3 | 1814 |
1815-1 | 1815-2 | 1816-1 | 1816-2 | 1817-1 |
1817-2 | 1818 | 1819-1 | 1819-2 | 1820 |
1821 | 1822 | 1823 | 1825 | 1826 |
1827 | 1828 | 1829 | appendix |