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1821



MATILDE DI SHABRAN

初演:1821年2月24日、ローマ、アポッロ劇場
台本作家:ヤコポ・フェレッティ Jacopo Ferretti
原作:エティエンヌ=ニコラ・メユール Étienne-Nicolas Méhul のオペラ《ユーフロジーヌとコラダン Euphrosine et Coradin》(1790)へのフランソワ=ベノワ=アンリ・オフマン François-Benoît-Henri Hoffman の台本
   ジャック=マリ・ブテ・ド・モンベル Jacques-Marie Boutet de Monvel の戯曲『マティルド Mathilde』(1799)
   フランチェスコ・モルラッキ Francesco Morlacchi のオペラ《コッラディーノ Il Corradino》(1808、パルマ)へのアントーニオ・ソグラーフィ Antonio Sografi の台本
   ステーファノ・パヴェージ Stefano Pavesi のオペラ《美女たちの勝利 Il trionfo delle belle》(1809、ヴェネツィア)へのガエターノ・ロッシ Gaetano Rossi の台本

 1820−21のシーズン、ローマのアポッロ劇場のために新作を契約していたロッシーニのために、フェッレッティは、ジャック=マリ・ブテ・ド・モンベルの《マティルド》に基づいた台本を制作していました。しかし、おそらくロッシーニが気に入らなかったのでしょう、この台本半分ほどが半分ほど完成したところで急遽題材を変更することになってしまいました。
 フェッレッティは、メユールのオペラ《ユーフロジーヌ》へのフランソワ=ベビワ・オフマンの台本を利用し、既に書き上げていた前半部分とうまくツギハギをしたのです。ヒロインの名前が《マティルデ》なのは、この前半部分を引き継いだためです。
 作曲の時間が極めて厳しかったため、ロッシーニは旧作からの自己借用をするだけでなく、友人であるジョヴァンニ・パチーニに第2幕のうち3曲を代筆してもらいました。パチーニが書いたのは、第2幕の冒頭部分のイジドーロのアリア Settemille ottanta cento、続く場面のエドアルド、コッラディーノ、ライモンドの三重唱 Padre!...Sogno?...O sento?...、そしてマティルデとエドアルドと二重唱 Misera! のおよそ半分です。また、いつも通りレチタティーヴォ・セッコは助手に任せています。
 リハーサル中には、コンサートマスター兼指揮者が倒れてしまい、パガニーニが急場を救ってくれました。
 なんとか初演に漕ぎつけた《マティルデ》でしたが、もうシーズンもかなり終わりになってからで、上演回数は限られてしまいました。またパチーニを用いたことで、報酬の支払で劇場ともめたそうです。

 ロッシーニは、同じ年の12月にナポリで上演する際に大幅に手を加えています。さらに翌1822年5月にウィーンで上演する際に、再度手を加えています。


関連項目

《美女と鉄の心》 (《マティルデ・ディ・シャブラン》ナポリ稿) 1821年12月,ナポリ,フォンド劇場
《コッラディーノ》 (《マティルデ・ディ・シャブラン》ウィーン稿) 1822年5月,ウィーン,ケルントナートール劇場

Cecilia Valdenassi, Pietro Bottazzo, Maria Casula, Rolando Panerai, Domenico Trimarchi, Margherita Rochow-Costa, Agostino Ferrin, Carlo Zardo, Renato Ercolani, Vico Polatto
Orchestra e Coro del Teatro Communale dell'Opera di Genova
Bruno Martinotti
Genova, 27 March 1974
MRF MRF108 (LP)

このジェノヴァでの蘇演では初演時の楽譜を用いています。
演奏は、かなりスタイルが古く、またカットも多いため、《マティルデ》の魅力はあまり伝わりません。


BELLEZZA E CUOR DI FERRO
(MATILDE DI SHABRAN)
Napoli, Teatro del Fondo, dicembre 1821

初演:1821年12月11日、ナポリ、フォンド劇場


ナポリ向けの改訂

 1821年12月、《マティルデ・ディ・シャブラン》は《美女と鉄の心》という題名でナポリのフォンド劇場で上演されました。この時、ロッシーニは大掛かりな改訂を施しています。
 第2幕の導入の場面、パチーニが書いた木の上でイジドーロが手紙を書くアリアを外し、代わりに第2幕の冒頭をレチタティーヴォ・セッコで始め(これはオペラブッファの一般的な慣習)、イジドーロと合唱の音楽に差替えています。
 ローマ初演稿の第2幕のライモンドのアリア Sarai contenta alfine...Ah! Perchè, perchè la morte は、ナポリ稿では音楽はほぼそのままで、歌詞を変えエドアルドのアリア Sazia fossi al fine / Ah! Perchè, perchè la morte に手直しし、さらにカバレッタ Ah! Se ancora un'altra volta を加えています。
 ローマ初演稿の第2幕の三重唱は、パチーニが作曲したものだったので、外しています。
 初演稿のマティルデとエドアルドの二重唱(これも半分はパチーニが作曲)も外され、合唱に置き換えています。
 第1幕の五重唱のうち、《リッチャルドとゾライデ》から転用された合唱を外しています。  第2幕のコッラディーノのアリアはエドアルドとコッラディーノのニ重唱に置換えられました。
 もう一つの特徴として、ナポリでのブッファの慣習にのっとり、イジドーロはナポリ方言で歌われました。

 改訂の結果は上々で、ロッシーニの最上級の愉悦に満ちた作品となったように思われます。


ナポリ稿でのあらすじ

  第1幕
 コッラディーノの古い城の入り口。村人たちが籠に果物や野菜をつめて城門に集まってくる。彼らは城主コッラディーノに会おうと思っているのだ。対応したジナルドが城主の異常な性格を語るも、村人は馬鹿にして笑い飛ばすばかり。するとアリプランドが、門のそばにある警句を村人に説明する。「歓迎せざるものは首をへし折る」、「この城の平和を乱すものは飢えと渇きで死に至る」という文言に村人たちは震え上がる。さらにアリブランドによると、コッラディーノは大の女嫌いだともいう。村人たちは逃げ帰ってしまう。
 誰もいなくなった城門に、今度は貧乏詩人イジドーロが現れ、腹が減ったと嘆く。彼はお恵みを受けようと城に向かう。ジナルドが現れ警告するも、時既に遅し、コッラディーノが現れ、イジドーロを捕らえる。イジドーロが殺されかけた時、アリプランドが止めに入る。イジドーロは牢に入れられてしまう。
 ジナルドはコッラディーノに、以前投獄された青年エドアルドが泣いていたので、改心したかもしれない、と伝える。エドアルドは、コッラディーノの宿敵ライモンド・ロペスの息子である。エドアルドが連れて来られる。コッラディーノは、許しを乞えば解放してやろうと告げるが、エドアルドは、鎖でつながれても心までは縛れない、父のことを思って泣いていたのだ、と言い返す。コッラディーノは「あなたが勝者だ」と言うよう要求するが、エドアルドは頑として聞き入れない。勝者として自信を見せつけるために、コッラディーノはエドアルドの鎖を解き、城内では自由にして良いと告げる。
 すると、マティルデ・ディ・シャブランの訪問が告げられる。彼女はコッラディーノの友人の娘で、その友人が死ぬときに彼が面倒を見ると約束していたので、女嫌いのコッラディーノでも城に入ることを拒めないのだ。コッラディーノは奥に下がる。
 マティルデが陽気に登場。彼女は自分の魅力でコッラディーノも奴隷同然になるだろうと自信満々。そして、気をつけるよう注意するアリプランドにも彼女の魅力を認めさせてしまう。
 今度はアルコ伯爵夫人が城にやって来る。彼女は、休戦条件としてコッラディーノが結婚を約束した女性なのだ。コッラディーノの城内でマティルデと伯爵夫人が鉢合わせ、二人の女性は激しく火花を散らす。アリプランドとジナルドは二人を何とか落ち着かせようとするが、騒ぎが大きくなり、たまらずコッラディーノがやって来る。憤る伯爵夫人を横目に、マティルデはコッラディーノに対し、手にキスするよう求める。怒ったコッラディーノはジラルドに鎖を持って来いと命じるが、マティルデは全く動じない。コッラディーノは、自分の心に何か今まで感じたことのない感情が生まれきたことに戸惑い、それを様子を見たアリプランドとジナルドは喜ぶ。コッラディーノはマティルデを縛る鎖を持って来いと命じるが、彼女はどうぞ巻いてちょうだいと答える。コッラディーノは完全に取り乱し、アリプランドに、自分はどうなったんだ、と尋ねる。アリプランドの診断は「恋の病」。コッラディーノは、こうなったのはあの詩人のせいだな、とイジドーロを呼びつける。二人がやり取りしていると、マティルデが戻って来て、はっきりした理由も言わず泣きながら出て行くと言うので、コッラディーノは、留まってくれ、いや行ってしまえ、としどろもどろ。しかしマティルデが泣きながらコッラディーノの手に別れのキスをするに至って、コッラディーノは行かないでくれと懇願し始める。マティルデはコッラディーノの武具を外させ、ほしいものは何でも与えると言われても、女性はそう簡単に心を開かないの、と返答。その様子を陰から見ているジナルドとイジドーロは笑いをこらえるのに必死。しかしそこに警鐘が鳴る。エドアルドの父ライモンドの軍が近づいてきたのだ。イジドーロは記録係に抜擢され、コッラディーノは出陣を準備する。コッラディーノが父と戦うと聞きエドアルドは涙する。マティルデは彼に同情を寄せるのだが、その姿をコッラディーノは思わず嫉妬してしまう。出陣の音楽で幕となる。
第2幕
 田舎の郊外。イジドーロが兵士たちに、戦いの様子を誇張して語っている。
 敗走したライモンドが不運を嘆いている。入れ替わりに城から出たエドアルドが現れる。彼はマティルデの力で城を脱出できたと思っているが、実際にはこれはアルコ伯爵夫人の策略だった。自由の身にはなったものの、父が死んでしまったと思っているエドアルドは絶望し悲しんでいる。遠くからのライモンドの声に、彼は父との再会を強く願う。しかし彼が出くわしたのは戦いから帰るコッラディーノ。エドアルドがマティルデのおかげで脱出できたというので、コッラディーノは激しく怒り城へと戻る。
 城では伯爵夫人とマティルデがコッラディーノの帰還を待ちわびている。伯爵夫人は、エドアルドの解放をマティルデの仕業にすることで、コッラディーノが彼女に怒りを向けるよう策略したのだ。戻ったコッラディーノは、エドアルドがマティルデ宛に書いた感謝の手紙を読む。マティルデは無実を主張するが、コッラディーノは彼女に死を宣告する。アリプランドやイジドーロたちが慈悲を請うが聞き入れられない。コッラディーノはイジドーロに、マティルデを川に投げ込めと命じる。計略がうまくいき喜ぶ伯爵夫人。戻って来たイジドーロが、彼女が水の中に飛び込んだ様子を語ると、コッラディーノは満足する。すると、エドアルドが突然現れ、マティルデは無実であること、全て伯爵夫人の策略であることを明かす。伯爵夫人は逃げ去ってしまう。コッラディーノは、無実のマティルデを死に至らしめてしまったと苦悶する。
 コッラディーノはマティルデの後を追って同じ川に飛び込もうとする。しかしエドアルドからマティルデが生きていること明かされ、大喜び。マティルデは、まずライモンドと和解するように命じる。そしてコッラディーノに、ずっとあなたのものよ、と言い、エドアルドとアルプランドの助けに感謝します。一同の、女は勝利し支配するために生まれた、という声で幕となる。

音楽

 
 この作品は一般にセミセリアに分類されることが多いようです。作品そのものは「メロドランマ・ジョコーゾ」と題されています。第1幕はほぼブッファの様式のままですが、第2幕になるとセリアの要素が混じってきてセミセリア的な特徴を示します(エドアルドのアリアやマチルデに死を宣告する六重唱)。これは作品の成立事情もあるのでしょう。しかし全体としてスリリングな救出オペラというわけでもなく、女性の美と賢さは全てを支配する、といったテーマは「アルジェのイタリア女」の延長線上にあるように思えます。最大規模のブッフォといって良いのではないでしょうか。
 とにかくこの手の作品としてはとてつもなく巨大です。第1幕だけで110分!!!そして個々の曲も、アリアはわずか4曲!あとは全てアンサンブルで、しかもそれが規模が大きく、また非常に難易度が高いのです(第1幕の五重唱とフィナーレはそれぞれ20分前後かかっています)。全く歌手にとっては殺人的なことこの上ないのです。
 歌手を集めるだけでも大変でしょうから(特にコッラディーノは歌えるほうが不思議なくらいです)今後も上演が盛んになるとは思えませんが、しかしこのロッシーニの極上の傑作は、一度は聞いてみてほしいと思います。


関連項目

《マティルデ・ディ・シャブラン》(ローマ初演稿)
《コッラディーノ》 (《マティルデ・ディ・シャブラン》ウィーン稿) 1822年5月,ウィーン,ケルントナートール劇場

Annick Massis, Juan Diego Flórez, Hadar Halevy, Bruno de Simone, Marco Vinco, Chiara Chialli, Bruno Taddia, Carlo Lepore, Gregory Bonfatti, Lubomír Moravec
Orquesta Sinfónica de Galicia, Coro da Camera di Praga
Riccardo Frizza
Pesaro, August 2004
DECCA UCCD-1171/3 (Japanese domestic)

大成功を収めたROFの上演のライヴ。公演は8月11、14、17、20日に行われました。




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