オペラ御殿 メインメニューに戻る

VERDI
1859




UN BALLO IN MASCHERA

初演:1859年2月17日、ローマ、アポッロ劇場
台本:アントーニオ・ソンマ
原作:オーベール《ギュスターヴ3世》へのウジェーヌ・スクリーブの台本

 この作品も有名ですから、本体についてはあまり言うことはありません。
 ですので、ここではもととなったオーベールの「ギュスターヴ三世」と、ヴェルディより前にこれをイタリアオペラに持ちこんだメルカダンテの「レッジェンテ(摂政)」について簡単にお話しておきます。

 スウェーデンのグスタフ3世が暗殺されたのは史実です。
 グスタフ3世は1772年に26歳の若さで国王の座につきました。彼は啓蒙専制君主で、国民文化を確立するためオペラと演劇に力を入れていました。スウェーデン初のオペラカンパニーを設立したのも、王立歌劇場を建築させたのも、有名なドロットニングホルム歌劇場を作らせたも彼です。
 しかし、啓蒙専制君主の常として、彼も政治的には矛盾を持っていました。
 様々な解放政策を進める一方で、彼はヴェルサイユのルイ絶対王朝に憧れている様子もあったのです。そして次第に独裁君主となり、改革は上からの押し付けに変わっていきました。
 敵を生むのは避けられなかったのです。
 果たして、1792年3月16日、王立歌劇場での仮面舞踏会の最中、彼は有力貴族のジョン・ヤコブ・アンカーシュトレームに背後から銃撃されてしまったのです。
 グスタフは致命傷を負いましたが、幼い王子の摂政を取り決めるなど、自らの死後のとりなしを何とかします。そして13日苦しんだ後、この世を去りました。
 アンカーシュトレームが死罪となったのは言うまでもないのですが、しかし彼は動機についてはついに語ることはなかったといいます。
 そして謎を残したまま事件は歴史の一コマになっていったのです。

 時は40年ほど下り、1830年代の初め頃、パリで高名な台本作家、ユジェーヌ・スクリーブがこの事件に注目していました。
 パリ風の豪華絢爛なグランドオペラに手腕を見せたスクリーブにとって、仮面舞踏会で国王が暗殺されるという、華やかさと衝撃が交差する設定はまさに打ってつけのものだったのです。
 しかしドキュメント風に事実を追い掛けるだけではドラマにはなりません。彼は様々なフィクションを盛りこむことで、グランドオペラにふさわしい話に作り変えていきます。
 実際スクリーブが史実から引き継いだのは仮面舞踏会での殺人行為だけといって良いでしょう。これ以外のこと、例えばアンカーシュトレームがグスタフの忠実な家臣であるとか、彼がアンカーシュトレームの妻と恋愛関係があったとかいった事実はなく、全てスクリーブの創作なのです。
 アンカーシュトレームの妻(つまりオペラのアメーリア)は、この当時なんとパリに在住しており、スクリーブの勝手な粉飾に大変憤激していたということです。
 またパリ風グランドオペラだけにバレエが重要な位置を占めているのですが、第5幕の舞踏会の場面には、独立して上演されることも多かった有名なバレエが用意されましたし、それだけでは不足だったのか、第1幕にも、出掛けられないグスタフのためダンサーが王室に呼ばれ、グスタフも参加して舞踏会のバレエの練習をする、という場面があります。
 この台本はどうやら当初はロッシーニに話が行っていたようです。「ギョーム・テル」の次のロッシーニのオペラ座への作品として候補になっていたようなのです。
 しかし、御存じのとおり、これは実現しませんでした。そこでお鉢が回ったのがオーベールだったらしいのです。
 オーベールは1828年に同じスクリーブの台本で「ポルティチの物の言えない娘」を大成功させ、フランス風グランドオペラの形式を確立させた人物の一人です。
 革命以降のパリでは、オペラの世界は歌手も作曲家も完全に外国人に占領されている状態でした。特にイタリア系の作曲家の活躍は著しく、ケルビーニ、スポンティーニ、そしてロッシーニとそうそうたらる面々がパリを拠点としてきました。
 オーベールは、こうしたイタリア勢力に対する生粋のフランス人作曲家として重要な位置にありました。
 さて、オーベールの「ギュスターヴ三世」は、1833年2月27日パリのオペラ座で初演されています。
 起用された歌手はオペラ座のトップクラスでした。
 ギュスターヴは「ギョーム・テル」のアルノールを創唱したことで名高いロマンティック・テノールのアドルフ・ヌリ。それに対して、アメリは二十歳そこそこの若さながら飛ぶ鳥を落とす勢いのマリ・コルネリ・ファルコン。彼女はコロラトゥーラの技術もあるが中低音も非常に充実しており、ドラマティックダジリタの先駆とも言える人でした。アンカストロームのニコラス・ルバッセールはロッシーニの「モイーズとファラオン」でモイーズを、「悪魔のロベール」でベルトラムを創唱した名バスです。そしてこの3人は、「ギュスターヴ三世」の3年後、1836年2月29日に歴史的な「ユグノ」の初演でそれぞれラウル、ヴァランティーヌ、マルセルを創唱することになります。
 「グスタフ3世」は、「ポルティチの物の言えない娘」ほどではないにせよ、かなりの成功を収め、オペラ座の人気作の一つとして上演されたということです。

 さて、この「ギュスターヴ三世」の話は、我々が良く知っている「仮面舞踏会」とほとんど同様のものです。
 パリ風グランドオペラの台本なので5幕仕立てになっていますが、しかしこれもヴェルディが「仮面舞踏会」を作る際、初めと後ろの二つの幕をそれぞれ一つの幕にまとめてしまっただけのことで、むしろ四半世紀も後にイタリアで作られた作品が、これほどまでにスクリーブのオリジナルに忠実なままなことの方が驚きといえるのではないでしょうか。もちろん細部ではいろいろ違いはありますが、話の骨格に大きな違いがないことは少し強調しておく必要があるでしょう。後年のヴェルディ擁護者は、時に必要以上に違いの方を主張しすぎているようにも思われるからです。

Dale,Tawil,Treguier,Lafon,Marestin,Pujol,Dubernet,Foucher,Leguerinel
Orchestre Lyrique Francais
Swierczewski
Compiiegne,28 September & 6 October 1991
ARION ARN 368220

もととなったオーベールの「ギュスターヴ三世」の録音です。

 スクリーブとオーベールの「ギュスターヴ三世」は、パリだけでなくヨーロッパの各都市で上演されました。もともとオーベールの作品はロンドンとドイツ語圏の諸都市では大変に人気が高く、「ギュスターヴ三世」もこれらを中心に上演されました。
 しかしイタリアでは、そもそもフランスオペラそのものが余り人気がありませんでした。したがって「ギュスターヴ三世」も人気を博した形跡がありません。
 イタリアでフランスオペラの人気がなかった理由はいろいろあって一概には言えないのですが、当時のフランスオペラはイタリア人を魅了するエモーショナルな歌に欠けていたのです。
 そんな事情もあって、イタリアでは人気のあるフランスオペラは台本をイタリア趣味にしイタリア人の作曲家が曲を書いた別の作品になることが多かったのです。これはグランドオペラに限ったことではなく、オーベールの「愛の妙薬」がドニゼッティの「愛の妙薬」に変わったのが良い例でしょう。
 メルカダンテの「レッジェンテ」もそうした例の一つです。
 台本作家のカンマラーノは舞台設定を1570年のスコットランドに変更しています。そして、ここでの主人公マーリ伯ジェイムズ・スチュワートも実在の人物です。

 ジェイムズはグスタフ3世に比べほとんど無名に近いので、少し説明をした方がいいでしょう。
 彼は名前から察っせられる通りスチュワート家の一員で、スコットランド王ジェイムズ5世の私生児です。かのメアリ−・スチュワートの異母兄にあたります。
 メアリーが幼い頃から彼女の側近として活躍し権力を伸ばしていきました。
 メアリーがイングランドで幽閉の身になり王位をわずか一歳の息子ジェイムズ6世に譲らざるをえなくなると、彼はスコットランドに戻り摂政に治まります。こうして実権を握った彼は、今度はメアリーがスコットランドに帰ることを妨害し、スコットランドの独裁者となったのです。
 これに対抗勢力のハミルトン家が反発し、1570年1月11日、大通りでハミルトン家の一員によって暗殺されたというのが史実です。
 実在のマーリは陰険な人物で、メアリーの悲劇に加担した一員として歴史上ではむしろ悪名の方が高いようです。

 主人公を国王からずっと格下げして、検閲の目を逃れようとしているのは後の「リゴレット」の場合と同様の処置です。それに、スコットランドを舞台にすることで、当時のイタリアオペラのスコットランド趣味に乗じることも出来ました。
 ただ物語の方はというと、基本的にはスクリーブの創作のままです。これをイタリアオペラの形式にうまく応用しているものです。
 メルカダンテの「レッジェンテ」は「グスタフ3世」の初演からちょうど10年後の1843年2月2日、トリノの王立劇場で初演されました。初演は必ずしも成功したとは言えなかったようです。しかしその後少なくともイタリア国内ではそれなりに上演されています。1843年11月のトリノの上演に際してメルカダンテは多少の改訂をしています。
 さて、気になるのは音楽的にヴェルディに影響があるかどうかでしょうが、これに関しては「あまりない」というのが正直なところでしょう。メルカダンテはむしろ全体として1840年代のヴェルディの音楽語法に強い影響を与えた人物ではありますが(実際この「レッジェンテ」でも、メグの場面で「トロヴァトーレ」のアズチェーナの場面と酷似した音楽が聞くことが出来ます)、各論として「仮面舞踏会」への影響はあまりないと思います。

Chiara,Merighi,Zilio,Montefusco,Vajna
Orchestra dell'Angelicumdi Milano
Martinotti
Siena,2.9.1970
MYTO 2MCD 905.28

 こちらは同じオーベールの「ギュスターヴ三世」を元にしたメルカダンテの「摂政」です。


 それから14年後の1857年の夏、ナポリのサン・カルロ劇場への次作をどうするかでヴェルディは悩んでいました。
 彼は既に「リゴレット」、「トロヴァトーレ」そして「トラヴィアータ」という大傑作3作でイタリアオペラ界の頂点に君臨していました。
 ヴェルディはこの路線を突っ走る事だってできたのですが、しかし彼はそこから離れることを試みたのです。例えば「シチリア島の晩鐘」ではパリ風グランドオペラの手法を体験しましたし、「シモン・ボッカネグラ」では極めて渋い内省的な表現に挑戦していました。  しかしどちらもヴェルディにとっては満足できる成果を挙げられませんでした。
 何か行き詰まりを感じていた彼は、サン・カルロへの新作に当初、長年の念願だった「リア王」を選ぼうとも考えたようです。しかし適当な歌手を見つけることが出来なかったという理由で、これも流れてしまいます。やはりこの時期の彼には向かうべき方向に確固たる自身がなかったからでしょう。
 そうした状況下で、彼はスッと「ギュスターヴ三世」に興味を引かれたのです。
 彼にとってはこれほどうってつけの題材もなかったでしょう。というのも、「ギュスターヴ三世」が本来持っているグランドオペラの華やかさとを利用し、さらにメルカダンテの「レッジェンテ」の長所短所を踏まえ、利用できるところを利用し改善するところを徹底的に直すことで、グランドオペラとイタリアオペラの接点をうまく見出せそうな気がしたのではないだしょうか。そして事実、その後彼が取った進路はまさにその方向なのです。
 この「仮面舞踏会」によって、ヴェルディはイタリアオペラの閉塞感を打ち破ることができたように思います。

 さて、ヴェルディの「仮面舞踏会」は、順調にいけば1858年の初頭に初演が行われるはずでした。しかし、石頭でおなじみのナポリの検閲が台本を許可しなかったのです。しかも頑固なヴェルディが台本の改編に抵抗したため、結局ナポリでの計画は流れてしまったのです。
 結局このオペラは一年後、時代と場所だけを変え、ローマのアポロ劇場で1859年2月17日に初演されました。「レッジェンテ」から16年後のことです。

   
作品名Gustave V,
ou le Bal masque
Il ReggenteUn Ballo in Maschera
(ナポリ準備稿)
Un Ballo in Maschera
(ローマ初演稿)
作曲者Daniel-françois-Esprit Auber
1782-1871
Saverio Mercadante
1795-1870
Giuseppe Verdi
1813-1901
Giuseppe Verdi
1813-1901
台本作家Eugène ScriebeSalvatore CammaranoAntonio SommaAntonio Somma
初演1833年2月27日
パリ、オペラ座
1843年2月2日
トリノ王立劇場
この形での上演は20世紀になってから1859年2月17日
ローマ、アポッロ劇場
設定1792年3月
ストックホルム
1570年
スコットランド
オーベールと同じ17世紀末
ボストン
役名GustaveIl Conte Murray,
Reggente della Scozia
Gustavus VRiccardo,
Conte di Warwick
AmelieAmeliaAmeliaAmelia
AnkastromIl Duca HamiltonIl Conte Johan AnckarströmRenato
OscarOscarOscarOscar
ArvedsonMegArvidsonUlrica
RibbingLord HoweIl Conte RibbingSamuel
DehornLord KilkardyIl Conte HornTom
ChristianScotoChristianSilvano



Jussi Björling, Zinka Milanov, Alexander Svéd, Bruna Castagna, Stella Andreva, Arthur Kent, Norman Cordon, Nicola Moscona, John Carter, Lodovico Oliviero
Metropolitan Opera Orchestra and Chorus
Ettore Panizza
New York, 14 December 1940
MYTO 2MCD 90317

Giuseppe di Stefano, Maria Callas, Tito Gobbi, Fedora Barbieri, Eugenia Ratti, Silvio Maionica, Nicola Zaccaria, Ezio Giordano, Renato Ercolani
Coro e Orchestra del Teatro alla Scala, Milano
Antonino Votto
Milano, 4-9 September 1956
EMI 5 56320 2

Richard Tucker, Cristina Deutekom, Renato Bruson, Carmen Gonzales, Valeria Mariconda, Ferruccio Mazzoli, Gianfranco Casarini, Giorgio Giorgetti
Orchestra e Coro del Teatro Comunale di Firenze
Riccardo Muti
Firenze, 12 January 1972
foyer 2-CF 2047

Carreras,Bruson,Caballe
Orchestra del Teatro alla Scala di Milano
Molinari-Pradelli
Milano,13 February 1975
MYTO 2MCD 951.123


Plácido Domingo, Katia Ricciarelli, Renato Bruson, Elena Obraztsova, Edita Gruberova, Ruggero Raimondi, Giovanni Foiani, Luigi De Corato, Antonio Savastano
Coro e Orchestra del Teatro alla Scala
Claudio Abbado
Milano, 28 December 1979 - 9 January 1980
DEUTSCHE GRAMMOPHON POCG-2850/1 (Japanese domestic)


1836-1839 1840 1841 1842 1843
1844 1845 1846 1847 1848
1849 1850 1851 1853 1854
1855 1857 1858 1859 1862
1865 1866 1867 1869 1871
1872 1881 1884 1886 1887
1893 1894


ヴェルディ御殿目次

オペラ御殿 メインメニューに戻る