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VERDI1847

MACBETH
La prima versione
Firenze, Teatro della Pergola, marzo 1847

初演:1847年3月14日、フィレンツェ、ペルゴラ劇場
台本:フランチェスコ・マーリア・ピアーヴェ、一部はアンドレア・マッフェイ
原作:シェークスピア『マクベス』

 フィレンツェのペルゴラ劇場を当時借りうけていた興行主、アレッサンドロ・ラナーリからヴェルディは新作の依頼を受けます。彼は当初(後に作曲することになる)シラーの『群盗』を題材にしようと思ったようですが、ラナーリがペルゴラ劇場に優れたテノールを確保することが出来なかったため、バリトンを主役にする《マクベス》を選択したのです。
 ヴェルディはこの《マクベス》の作曲に当たっては、かなり積極的な役割を演じました。彼は台本の構成を自分で考え、衣装から舞台装置に至るまで注文をつけ、かなりの期間に渡って初演の練習を監督したという徹底ぶりでした。
 これで成功しない方が不思議でしょう。果たして初演は熱狂的な興奮を引き起こし、ヴェルディは形38回も舞台に呼び出されたといいます。

 さて、現在普通に聞ける《マクベス》は初演後18年も経った1865年にパリでの上演向けに改訂されたもので、この1847年のものとは相当に違いがあります。ですから、一般的な《マクベス》を「ガレー船の時期」の作品として扱うのは大きな間違いです。
 改訂の内容については、また1865年パリ稿の方で細かく触れますが、現行版と比べる、明かに分かる相違は次のようなものです。

  1. 第2幕のマクベス夫人のアリアが、初版では"Trionfai!"というカヴァティーナ/カバレッタ形式のアリアである。
  2. 第3幕の魔女たちの洞窟の場面が違い、またその後の
  3. 幕切れが「マクベスの死」で終る。
  4. 第3幕にバレエは当然初演稿にはない。

 強調したいのは、このオリジナルの《マクベス》も、この時期の作品の中では非常に良くできたものであるということです。少なくともマクベスの死で終る簡潔なフィナーレは、改訂後の音楽とはまた別の魅力が認められると思います。

Demerdijiev,Tamar,Papi,La Rosa
Orchestra Internazionaled'Italia
Guidarini
Martina Franca 25 & 27 July 1997
DYNAMIC CDS 194/1-2

 録音に難ありですが、とりあえず初演稿の魅力は楽しめます。


I MASNADIERI

初演:1847年7月22日、ロンドン、女王陛下劇場
台本作家:アンドレア・マッフェイ
原作:シラー『群盗』

 

Bergonzi,Caballe,Cappuccilli,Raimondi
New Philharmonia Orchestra
Gardelli
London,16-24 August & 16-24 November 1974
PHILIPS PHCP-5501/20(422 423-2)


JÉRUSALEM

初演:1847年11月26日、パリ、オペラ座
台本:ギュスターヴ・ヴァエスおよびアルフォンス・ロワイエ

 ロンドンで《群盗》の初演に(規定どおり)3回立ち合った後、1847年7月27日、パリに到着します。彼はこの後の2年間、何度かイタリアに戻るとはいえ、パリを本拠として活動します。というのも、パリではジュゼッピーナ・ストレッポーニがいたからです。既に愛し合う仲となっていた彼らは、パリで気がねなく同棲生活をしていたわけです。
 そうしている間に、パリのオペラ座から11月に向けての新作の依頼を受けました。しかし、ヴェルディにとって4ヶ月の日程は新作には不充分に思われたのでしょう、彼は「第1回十字軍のロンバルディア人たち」を全面的に改訂することにしました。
 台本は、《ロンバルディ》の効果的な場面を生かすよう注意されながら、しかしかなり異なるものに書きかえられています。

 あらすじは以下のようなものです。
第1幕:ガストンはトゥールーズ伯爵の娘エレーヌと愛し合っています。これに伯爵の弟ロジェが嫉妬、彼は兵士にガストンを殺すよう命じますが、しかし殺されたのは伯爵。とっさにロジェは兵士に、殺害を命じたのがガストンだったと嘘を言わせ、大混乱となります。
第2幕:四年が経ち、ロジェはパレスチナで隠者となり罪に苦悩しています。ここに命を取りとめ十字軍を率いている伯爵も、この地にいるはずのガストンを追い求めるエレーナも集結します。
ガストンは回教徒に捕らえられています。そこにエレーヌも捕らえられ、二人は久々の再開に喜びます。
第3幕:回教徒に十字軍が再度襲撃、ガストンも彼女を救いに現われる。しかし伯爵は二人に激怒、ガストンを死刑に命ずる。
第4幕:ロジェは死罪のガストンを逃がし武器を与えてやる。そして二人してエルサレムを目指す。戦いに勝ったガストンと伯爵の前で、瀕死のロジェが全てを告白、伯爵は彼を許し、幕となる。

 ロンバルディの音楽はかなりバラバラに素材として扱われています。
 例えば《ロンバルディ》の第2幕のオロンテの有名なアリア"La mia letizia infondere"は、《エルサレム》では第2幕の"Je veux encore entendre"となっています。ここで彼は囚われの身で、もう一度エレーヌに会いたいと祈っています。
 また第2幕のジゼルダの極めて激しいフィナーレ"No! no! Giusto causa"は、第3幕での"Non, votre rage"となっています。ここでの彼女の父親達への怒りは、回教徒への殺戮ではなく、ガストンを死刑にしようとすることへと変わっています。
 どちらも状況の変化に伴い若干音楽的にも手が加えられ、雰囲気が変わっています。
 もちろんこれ以外にも多くの曲が転用されていますが、これについて細かく述べるのはやめておきますが、《ロンバルディ」に親しんでいればすぐ分かるものばかりです。
 ヴェルディはこうした《ロンバルディ」からの転用以外にも、いくつかの曲を新たに書き足しています。パリ好みのバレエはもちろんですが、新たな前奏曲や、とてもイタリア時代のヴェルディでは考えられないほど手の込んだ夜明けの音楽など、優秀なパリのオペラ座のオーケストラを積極的に利用しようとする意欲が感じられます。
 特に重要なものが、第3幕の後半、ガストンの死刑の宣告の場面です。ここではガストンのアリアが中心となって、その間に彼の甲冑と盾がつぶされるという場面が挟まれています。この部分は明かに《ロンバルディ》の音楽より深みが増しています。
 《ロンバルディ》の一本気な魅力が後退し、作品全体として何かチグハグになっているのは仕方がないかもしれません。実際初演はさほどの評判にはなりませんでした。この時期のヴェルディがこの台本に新たに作曲したら、随分違ったものになったと思います。
 しかしパリのオペラ座に向け何か実験をしようというヴェルディの意気込みは十分理解できます。演奏の使用によってはそれなりに盛り上がる立派な作品だとは思います。
 題名の Jérusalem は、フランス語でエルサレムを意味しています。オペラ御殿では地名は日本語の一般的な呼び名を用いる原則にしておりますので、このオペラも《エルサレム》と表記します。フランス語では「ジェリザレム」といった感じの音になります。

Mescheriakova, Giordani, Scandiuzzi, Rouillon
L'Orchestre de la Suisse Romande, Choeur du Grand Théâtre de Genève
Luisi

Philips 462 613-2

Carreras,Cassis,NimsgernRicciarelli,Falcone
Orchestra della RAI Torino
Gavazzeni
Torino,1975
BELLA VOCEBLV 107.213

 ガヴァッツェーニはイタリア語稿の今世紀初演も指揮しており、実に手なれています。若きカレーラス、リッチャレッリが熱演でかなり楽しめる演奏となっています。ただニムスゲルンの思いっきりドイツ風の歌い方はちょっと異質です。


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