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1815



ELISABETTA, REGINA D'INGHILTERRA

初演:1815年10月4日、ナポリ、サン・カルロ劇場
台本作家:ジョヴァンニ・シュミット
原作:台本作家のシュミットは、素材としてソフィー・リーの小説「議会休会」とそのイタリア語翻案のカルロ・フェデリーチ作の戯曲をあげていますが、実際にはステファーノ・パヴェージ作曲の《イングランド女王エリザベッタ》(1809年12月26日、トリノ)への作者不詳の台本を直接の原作にしていると思われます。


作曲

 ヴェネツィアやミラノなど、イタリア北部で活躍していたロッシーニに目をつけたのがナポリを拠点にしていた興行主、ドメニコ・バルバイヤでした。彼はロッシーニがナポリで働くよう契約を結びます。
 ナポリにはいくつか劇場がありますが、その中のサンカルロ劇場は、当時は数あるイタリアのオペラ・ハウスの中でも最も重要な拠点の一つでした。ロッシーニがこれに応じないはずもありません。

 さて、1815年といえば、ナポレオンの百日天下の年です。彼がエルバ島から脱出したのが2月26日、パリに入場、皇帝に復帰したのが3月20日、ワーテルローの戦いが6月15−20日、セント・ヘレナ島に流されたのが10月15日。激動の一年だったわけです。
 ナポリ王国ではナポレオンの義弟、ジョアシャン・ミュラがいまだ国王でした。彼はナポレオンに対して協力と裏切りを繰り返した人物で、百日天下の際も協力すると言いつつ勝手にイタリアを北進しオーストリア軍に打ち負かされています(5月2日)。後ろ盾だったナポレオンが失脚しナポリにブルボン家が復帰したため、彼はコルシカ島に逃亡しました。その後10月8日上陸を試み逮捕、10月13日に処刑されています。

 ロッシーニとバルバイヤの間の契約がいつどのように結ばれたのか、はっきリとは分りませんでした。しかしどうやらロッシーニは1815年の夏(5月?)にナポリを訪れているようです。赴任のため到着したのは9月25日といいます。上記の政治状況と照らし合わせると、まさに激動の渦の真っ只中にナポリにやってきたわけです。バルバイヤは既にミュラ政権でうまくやっていましたから、ロッシーニも契約をしに行った段階では親ナポレオン政府治下のナポリに行くつもりだったのかもしれません。
 とにかくバルバイヤにしてもロッシーニにしても、復古したボルボン王朝に気を使わずにはいられない状況でした。そんな中、この《イングランド女王エリザベッタ》がロッシーニのナポリ初作品となったわけです。


あらすじ

第1幕
 イングランド軍の司令官レイチェステルがスコットランドの平定に成功し、宮廷の人々は喜んで彼と女王を待っている。一方、ノルフォルクは友の成功を妬んでいる。女王エリザベッタが現われ、レイチェステルの勝利を喜ぶ。女王は密かにレイチェステルを愛しているのだ。
 レイチェステルが登場。女王は彼に勲章を与える。レイチェステルと密かに結婚しているマティルデは、弟エンリーコと共に変装してスコットランド貴族の中に紛れ、この様子を見ている。人々が退場すると、レイチェステルは妻に、軽卒なことを、と苦言を与える。マティルデは、女王が彼を愛しているとの噂に嫉妬してつい来てしまったと答える。彼女はマリア・ストゥアルダの秘密の娘で、正体が分かれば死刑に処されてしまうのだ。エンリーコも、姉を引き止めようとしたが無理だったので自分も一緒に来たのだ、と言う。
 レイチェステルは、激しい嫉妬を胸に秘めているとも知らず、友人のノルフォルクに事の次第を打ち明ける。ノルフォルクはその話を女王に伝えてしまう。女王は激しく憤り、すぐさまマティルデとエンリーコを呼び出す。そしてマティルデの見聞きできる状態で、女王はレイチェステルに王冠を受けるように命ずる。あまりのことに驚く一同。しかしレイチェステルはこれをやんわりと拒む。すると女王は激昂し、三人を逮捕させる。

第2幕
 マティルデは捕らえられている。女王は彼女に、レイチェステルをあきらめるなら命は助ける、と告げる。マティルデは躊躇するが、夫と弟を助けるために書類に署名する。女王に書類を見せられたレイチェステルは、それを破き捨ててしまう。女王は怒り、二人は連行される。
 牢獄の周囲。レイチェステルを支持する民衆が集っている。ノルフォルクはこれを利用し、反乱を引き起こそうと考える。
 牢の中。束の間の夢の中の平和から目覚めたレイチェステルは、絶望するばかり。すると、工兵をつれてノルフォルクが現れ、隣りのマティルデの牢との壁を破壊する。しかし、兵を連れた女王が現れるので、ノルフォルクは慌てて隠れる。女王は死刑の決定したレイチェステルに逃げるよう秘密の階段を教えに来たのだ。そして、話からノルフォルクの悪行が明らかになり、レイチェステルは彼の裏切りを知る。窮したノルフォルクは女王に飛びかかるが、マティルデとエンリーコに取り押さえられる。レイチェステルを救おうと押し寄せた民衆も、女王の姿に気付き跪く。女王は民衆に、将軍は返すと告げ、自らの愛を諦める。一同の女王万歳で幕となる。


《エリザベッタ》の特性

 《エリザベッタ》には、製作段階で、二つの対処すべき問題がありました。
 第一に、これがロッシーニにとってナポリでの初のオペラ、それもサンカルロ劇場でのオペラセリアであると言うこと。当時のナポリは、ミラノなどよりもより栄えていた、伝統あるイタリアオペラの総本山的存在でした。サンカルロ劇場はその頂点に君臨する劇場でした。伝統があれば、保守的な人たちもたくさんいます。ナポリでは全くの異国の人だった若者ロッシーニが乗り込むに当たっては、風当たりが強かったことは間違いありません。この点に配慮しないと、ナポリの聴衆から強い反発を食らってしまいかねません。
 第二に、先に述べた通り、ナポリが王政復古したことです。政治的なことだけに、問題を起こせば命取りです。

 バルバイヤとロッシーニは策を練ります。
 まず、台本は英国女王の物語にしました。これによって、復古した王朝、とりわけ国王フェルディナンド1世を讃美する雰囲気を作り上げることができました。同時に、オペラに非難の声をあげることが国王に対する侮辱にもなりかねないので、敵対者の妨害を封じ込めることも可能なのです。初演の10月4日は皇太子の命名記念日でもあり、最後に女王賛歌で終る物語は、北部からの新参者の挨拶にはうってつけだったわけです。

 その上で、とにかく豪華路線を張りました。王宮を舞台にするだけでも華やかな衣装、装置を用いることができる点で有利でした。さらに、4人の主用歌手に全てサンカルロ劇場のスターを配しています。《エリザベッタ》ではソプラノ二人とテノール二人を主役に据え、非常に高度な音楽を与えることで、オペラの華やかさを際立てています。


音楽

 二人のソプラノのうち、女王エリザベッタを演じたのは、ナポリで絶大な人気のあったプリマドンナ、イザベラ・コルブランでした。コルブランは歌手としても上り調子で、威厳のある充実した声と堂々たる舞台演技で聴衆を魅了したのです。ロッシーニは他の誰よりも彼女を引き立たせる音楽をつくっています。
 ロッシーニが彼女に与えた見事なアリア・フィナーレ Fellon, la pena avrai は、マエストーゾ、アンダンテ、アレグロと三つに分れており、それぞれコルブランの特性がいかせるようになっています。そしてなにより、それが決して無意味な声の浪費ではなく、女王として生きるエリザベッタの気高さへと繋がっているところがナポリの聴衆には新鮮だったのでしょう。二点hも多用されたこのアリアは、コルブランのために仕立てられた音の王衣なのです。
 一方エリザベッタの登場のアリアは、もう少し単純に装飾歌唱法の粋を楽しむようなもの。後半部分は《パルミラのアウレリアーノ》から転用されたもので、後にさらに《セビリャの理髪師》のロジーナの Una voce poco fa の後半部分にも転用されたことで有名です。

 ジローラマ・ダルダネッリが歌ったマティルデには、軽さのある、今日我々が普通にイメージするコロラトゥーラソプラノに近い音楽が与えられています。第1幕のアリア Sento un'interna voce の、後半のアッレーグロの Ah! se tolto un sol momento ではそうした特徴がよく現れています。2オクターヴの急速な下降音階を始めとして様々に高度な要求がされています。

 《エリザベッタ》では主要な男声役二人、レイチェステルとノルフォルクは共にテノールにあてられています。先に述べたようにテノールとバスにしたり、あるいはこの時代ならレイチェステルをコントラルトのトラヴェスティにあてることもできたでしょう(パヴェージのオペラではそうでした)。しかしそうしなかったのは、アンドレア・ノッツァーリとマヌエル・ガルシアという、歴史に名高い二人のテノールを抱えていたバルバイヤの要請によるものでしょう。バルバイヤの目論見通り、二人のテノールの競い合いが非常に効いています。

 ノルフォルクは第1幕の導入(第1曲)や、とりわけ第2幕のアリア(第9曲)で高い音での華やか装飾に息を飲みます。ガルシアがいかに超人的なテクニックをもっていたかうかがえます。彼は残念ながらその後バルバイヤとの契約を断ってしまったので、ナポリでロッシーニが彼のために役を作ることがなかったのは何とも残念です。

 一方のレイチェステルは同じテノールとはいってもかなリ性格を異にしています。彼の第2幕のアリア Sposa amata...respira... は三つの部分から出来ていますが、初めの部分は夢の中で妻と平和を喜ぶ甘い歌になっていますし、中間部分と特に最後の部分は運命に絶望するドラマティックなものです。音域もあまり高くはなく(といってもファルセットーネが使えない今日では大変な高い音がいくつも出てきますが)、装飾も極端に難しいものではありませんので、どちらかというと中音域の力強さの方が求められている役です。こうした特徴はむしろエリザベッタやマティルデとの重唱で生きていると思います。

 重唱はどれも注目すべきものです。レイチェステルとマティルデの緊迫した"Incauta, che festi!"、ノルフォルクが言葉巧みに女王を嫉妬に刈りたてる"Perchè mai, destin crudele"、マティルデと女王の"Pensa che sol per poco"は中間部の重なって歌う二重唱や、さらにレイチェステルが加わって三重唱など、いずれもロッシーニらしいものです。ただフィナーレの直前にある二人のテノールの二重唱だけはあまり面白みのあるものでもありません。

 忘れてはならないのが第1幕フィナーレです。このコンチェルタートの部分は、序曲の後半部分を利用しています。この序曲も《パルミラのアウレリアーノ》からの転用です。つまり既存の音楽からうまく当てはめられたものなのです。とてもそうとは思えないほどぴたりとはまっています。


転用

 既に述べている通り、《エリザベッタ》の中のいくつかの部分は、旧作から転用されたものです。  具体的には、セリア《パルミラのアウレリアーノ》の序曲を《セビリャの理髪師》の序曲に、第1幕のエリザベッタのアリアの後半部分を同じく"Una voce poco fa"の後半部分に転用したことは、ロッシーニの怠け癖を示す格好の例として度々論じられています。こうした偏見が未だに根強いのには困ったものです。《アウレリアーノ》は初演後すぐに消えてしまいました。ロッシーニはこれらの音楽に自信をもっていたので《エリザベッタ》に転用(若干の手直しをしています。この場合はセリアからセリアへ転用)し、さらに《理髪師》にも用いているのです。優れた音楽だったからまた使った。それが真実でしょう。


 蓋を開けて見れば《エリザベッタ》は大好評に迎えられました。ロッシーニの新しい作風がナポリの聴衆に受け入れられたのです。

Lella Cuberli, Antonio Savastano, Rockwell Blake, Daniela Dessì, Adriana Cicogna, Mario Bolognesi Orchestra e Coro del Teatro Regio di Torino
Gabriele Ferro
Gianfranco de Bosio
Torino, 7 November 1985
HARDY CLASSICS VIDEO HCD 4007

NTSCのDVD。画質は悪く、音声もモノラルな上、オーケストラがかなりボケています。DVDとしては余りお勧めできる質のものではありません。
デッシとブレイクは上々。クベッリは今一つ冴えません。サヴァスターノは第2幕でお疲れ気味。
ジャンフランコ・デ・ボージョの演出はいたって伝統的なもの。

Jennifer Larmore, Bruce Ford, Antonio Siragusa, Majella Cullagh, Manuela Custer, Colin Lee
London Philharmonic Orchestra, Geoffrey Mitchell Choir
Giuliano Carella
London, March 2002
Opera Rara ORC22

 

Inga Balabanova, Harald Quaaden, Mario Zeffiri, Akie Amou, Agata Bienkowska, Seung-Hee Park
Stuttgarter Philharmoniker, Tschechischer Kammerchor
Herbert Handt
Bad Wildbad, July 1999
BONGIOVANNI GB 2291/92

天羽 明惠がマティルデ役で出演しています。

Montserrat Caballé, José Carreras, Ugo Benelli, Valerie Masterson, Rosanne Creffield, Neil Jenkins
London Symphony Orchestra, Ambrosian Singers
Gian-Franco Masini
London, July 1975
PHILIPS 432 453-2

カバリエのエリザベッタが魅力です。


L'ITALIANA IN ALGERI
Napoli, Teatro dei Fiorentini, ottobre 1815

初演:1815年10月、ナポリ、フィオレンティーニ劇場

 《エリザベッタ》の上演の後、ロッシーニは《アルジェのイタリア女》をナポリ向けに手直しして上演します。
 この上演では、リンドーロの第2幕のアリア Oh come il cor di giubilo とアリーのアリアが削除、タッデーオの名前がポンペーオに替えられた上、なんと一番の人気曲、イザベッラの Pensa alla patria を別のものに差替えています。
 曲はレチタティーヴォ・アッコンパニャートから始まり、ヘ長調 4/4 アンダンテの Sullo stil de'viaggiatori、経過的なアッレーグロ(ここでは序曲の第2主題が現れます)、そしてモデラートの Bellezze misere になります。合唱も絡んで悪くない曲ですが、Pensa alla patria には適わないでしょう。
 この差替えは、Pensa alla patria の持つ政治性がナポリで問題にされたのだと考えられていますが、実際のところはわかりません。アリアの性格や歌が要求する技術がかなり異なっていることからして、歌手の要請がもとになっていると考える方が自然ではないでしょうか。

関連項目

《アルジェのイタリア女》
《アルジェのイタリア女》 1813年7月、ヴィチェンツァ、エレテーニョ劇場
《アルジェのイタリア女》 1814年4月、ミラノ、国王劇場


TORVALDO E DORLISCA

初演:1815年12月26日、ローマ、ヴァッレ劇場
台本:チェーザレ・ステルビーニ
原作:ジャン−バプティスト・クドレ「騎士フォブラの生涯と愛」

 ナポリでの《エリザベッタ》の順調な出だしを見守った後、1815年10月の末頃にロッシーニはローマへ赴きます。ヴァッレ劇場で、前年ミラノで初演した《イタリアのトルコ人》の上演を監督し(これについては《イタリアのトルコ人》の項を御覧ください)、さらにカーニヴァル・シーズンのための新作を作曲するためです。この新作が《トルヴァルドとドルリスカ》になります。
 ロッシーニはナポリでは非常に進歩的な作曲活動をしていきますが、それ以外の「出張作曲」ではやや保守的な傾向があります。しかしこの《トルヴァルドとドルリスカ》などはまた違った意味でロッシーニの新たな一歩が見られます。
 新たな一歩とは、このオペラが「セミ・セリア」という形式で書かれていることです。セミ・セリアというのは感傷的な話やスリルのある「救出オペラ」にしばしば用いらた形式で、端役にブッフォ的な登場人物を配することで多様化が図られています(ベートーヴェンの《フィデリオ》もその一例でしょう)。この形式は18世紀末から19世紀初めの限られた時期にしか作られませんでしたが、当時は大変に人気がありました。
 この《トルヴァルドとドルリスカ》も典型的な救出オペラです。
 トルヴァルドの妻ドルリスカに横恋慕するポーランドの公爵オルドウは、夜道で夫婦を待ち伏せ、襲撃します。ドルリスカは逃亡、トルヴァルドは亡くなったものと思われています。森をさまよっていたドルリスカが助けを求めた館がまさにオルドウの城。彼女は城に監禁されてしまいます。一方トルヴァルドは木こりに変装し公爵に亡くなる直前のトルヴァルドから彼の妻宛ての手紙を受け取ったと偽り、妻ドルリスカに面会することに成功します。ところが彼と公爵が争い出したためドルリスカが思わず「私の夫」と言ってしまい、トルヴァルトも正体が割れ捕らえられてしまいます。公爵はドルリスカに妻にならねばトルバルドを殺すと脅しますが、彼女は受け入れません。公爵の守衛ジョルジョとその妹カルロッタも夫妻を助けようとしますがこれも失敗。あわやという時に村人が反乱をおこし、それに乗じてトルバルドは公爵を捕らえ、めでたしとなります。
 当初台本はアンジェロ・アネッリに依頼していました。しかしこれをロッシーニが気に入らなかったため、急遽代役に抜擢されたのが、法王庁の税務役人でありながら文学哲学に通じていたチェーザレ・ステルビーニでした。後に大傑作《セビリャの理髪師》の台本を手がけることになる人物です。劇場での経験のないステルビーニの台本はあまり効果的でなく、しばしば非難を受けています。しかしここでの出会いがなければ《理髪師》も生まれなかったわけですから、その点でも重要です。
 個々の曲の水準は結構高いものです。スタンダールも取り上げている第1幕のテノールとバス二人の三重唱"Ah qual raggio di speranza"は強烈な印象を与えますし、第2幕で捕われの身のトルヴァルドがドルリスカを思って歌うアリア"Dille che solo a lei"(途中で《チェネレントラ》のチェネレントラとラミーロの二重唱の旋律が出てきます)は埋もれさせるには惜しいものです。また第1幕フィナーレもかなり手が込んだものです。
 第2幕フィナーレで捕らえられた公爵が歌う"Cento larve già intorno mi stanno"は、後に《オテッロ》の第2幕のオテッロとヤーゴの二重唱のストレッタ"L'ira d'avverso fato"に転用されています。これはさらにヴェルディが《リゴレット》の第2幕の幕切れに借用しています。《オテッロ》と違ってここではバスで歌われますので、一瞬まさに《リゴレット》の音楽になるので驚かされます。  こうした個々の良さも、しかし全体となるとやや散漫な印象があるのは事実です。ロッシーニもまだセミ・セリアと言う形式に手探りだったのかもしれません。
 《トルヴァルドとドルリスカ》の初演の評判はあまり良いものではありませんでした。先に述べたような問題点があることも事実ですが、しかしこの時は先に上演していた《イタリアのトルコ人》が爆発的大成功で、その後を受けるにはこの作品では物足りなかった、というのが実際のところでしょう。その後は18世紀中頃まで生き残っていました。
 ともかくここでのセミ・セリアの経験が後に大傑作《泥棒カササギ》で生かされることになるのですから、そういう意味では重要な通過点であったと思います。

Michele Pertusi, Darina Takova, Francesco Meli, Bruno Praticò, Jeannette Fischer, Simone Alberghini
Orchestra Haydn di Bolzano e Trento, Coro da Camera di Praga
Víctor Pablo Pérez
Mario Martone, Sergio Tramonti, Ursula Patzak, Cesare Accetta
Pesaro, August 2006
DYNAMIC DVD33528




DYNAMIC CDS528

大成功を収めたROFの上演のライヴ。

Michele Bianchini, Patrizia Cigna, Huw Rhys-Evans, Mauro Utzeri, Annarita Gemmabella, Giovanni Bellavia
Czech Chamber Soloists Brno, Chamber Choir Ars Brunensis
Alessandro de Marchi
Bad Wildbad, 10, 12 and 17 July 2003
NAXOS 8.660189-90

バート・ヴィルトバートのロッシーニ音楽祭での上演のライヴ。若手主体の公演です。
頑張ってはいますが、主要三役が力不足で、従来の作品の評価を覆すほどではありません。ことにビアンキーニの歌はロッシーニとは合っていないと思います。カルロッタ役のジェンマベッラが一番立派に聞こえるのは問題でしょう。
デ・マルキは、良い部分もあるものの、時々妙に超スピードで飛ばすのが気になります。

Stefano Antonucci, Fiorella Pediconi, Ernesto Palacio, Mauro Buda, Nicoletta Culiento, Antonio Marani
Orchestra e Coro Radiotelevisione Svizzera Italiana
Massimo de Bernart
Lugano,11 January 1992
ARKADIA AK 123.2

スイス・イタリア語放送の録音。演奏会形式上演のライヴ録音。
悪くない演奏ですが、より優れた演奏の新しい録音が登場してしまうと、存在意義はだいぶ薄れてしまいました。

Siegmund Nimsgern, Lella Cuberli, Pietro Bottazzo, Enzo Dara, Lucia Valentini-Terrani, Gianni Socci
Orchestra della RAI di Milano
Alberto Zedda
Milano, 2 February 1976
VOCE VOCE-25

放送用録音。おそらくこの演奏が近代蘇演だと思います。
今となっては時代を感じさせる演奏ですが、ジョルジョ役のダーラとカルロッタ役のヴァレンティーニ=テッラーニが聞ける点で価値ありです。




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