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Rossini Appendix2





 ここでは、ロッシーニがパリで発表した作品のうち、第三者によってイタリアオペラ化された作品を扱います。





MOSÈ

初演:1827年12月、ローマ、アッカデミア・フィラールモニカ・ロマーナ(演奏会形式上演)
   舞台上演は1829年2月4日、ペルージャ
台本:ルイージ・バロッキ、エティエンヌ・ジュイの台本をカリスト・バッシが伊訳、改編

Gregor,Kalmar,Hamari,Nagy,Solyom-Nagy
Hungarian State Opera Orchestra
Gardelli
Budapest,1981
HUNGAROTON HCD 155/7 (HCD12290-92-2)

第2幕のファラオーネとアメーノフィの二重唱がカットされています。


L'ASSEDIO DI CORINTO

初演:1827年12月27日、ローマ、フィラルモーニカ・ロマーナ(演奏会形式)
舞台初演は1828年1月26日、パルマ
台本:ルイージ・バロッキとアレクサンドル・スーメの台本をカリスト・バッシが伊訳、改編

 「コリントの包囲」もイタリアでの上演にあわせ"Le Siege de Corinth"から"L'Assedio di Corinto"になっています。
 言葉が変る際に多少台詞なども変わるのはこの手の場合の常で、幕切れをはじめちょこちょこと多少の相違がみられます。しかし例えばドニゼッティの「王の愛妾」のような相当問題のあるような改編はないと言って良いでしょう。
 フランスではテノールが受け持ったネオクレス役は、イタリア語稿のネオークレでもそのままテノールが歌う場合もあったようですが、そもそも「マオメット2世」のカルボがコントラルトだったのですから、しばらくすると置きかえられるようになりました。現在のリコルディのスパルティートでもネオークレはコントラルト、テノールどちらのパートでも歌えるように二段で書かれています。当然コントラルトのパートの方に細かい装飾が加えられています。実際には歌手はこの二つを適宜混ぜて歌うことが多いようです。

Diaz,Bonisolli,Horn,Foiani,Sills,Washington
Orchestra del Teatro alla Scala di Milano
Schippers
Milano,11 April 1969
MELODRAM MEL 27043

 「コリントの包囲」の今世紀の復活蘇演は1949年6月4日のフィレンツェでの上演(パミーラはレナータ・テバルディ、指揮はガブリエレ・サンティーニ)ですが、次のステップへと引き上げたのがこのロッシーニの没後100年を記念するスカラ座での上演でした。
 今から見ればまだかなり妥協的な部分も多々あるのですが、ここではシルズ、ホーンというこの分野の第一人者が参加し、シッパーズの指揮も当時としては相当に重苦しさを脱ぎ捨てたロッシーニを作り上げています。スカラ座の聴衆が興奮している様子がわかる熱気のある上演です。
 実際の上演ですから大小様々なカットがあるのは仕方ないのですが(例えばマオメットの登場のアリアはシェーナを抜いて合唱から直接繋げています)、それ以上に今日的感覚では驚くような楽譜の扱いがあります。
 例えば第2幕のパミーラのアリア"Dal soggiorno degli estinti"の前に、「マオメット2世」の第2フィナーレのアンナの"sì, ferite, il chieggo, il merto"を付け加えています。"Dal soggiorno degli estinti"の元となったのが「マオメット2世」の第2フィナーレの"Madre, a te che suli'Empiero"で、その前に置かれていた激しい"sì, ferite, il chieggo, il merto"をもらってきた、という訳です。
 たしかにこの部分は技巧的で華やかではありますが、しかしこれは本来急−緩−急(自害の場面)となるべき音楽から前二つだけを取っているわけですからなんとも中途半端になっています。
 第3幕冒頭のネオークレのアリアはさらに手が込んでいます。まず普通に導入部分があった後、「マオメット2世」のカルボのアリア"Non temer, d'un basso affetto"がカバレッタの"E d'un trono alla speranza"まで含めてそっくり挿入されているのです。その後パミーラたちの舞台裏からの祈りの合唱の場面に戻り、さらに"No, ben credo al tuo detto immortale"からネオークレのアリア"Noi cadrem, ma tremendo"へと続きます。要するに「マオメット2世」のアリアと「コリントの包囲」のアリアを両方一緒に歌っているのです。これはかなりヘンテコです。
 こうした点を知らないと、イタリア語の「コリントの包囲」は随分様式がバラバラだな、と思ってしまうでしょう。

Diaz,Theyard,Verrett,Lloyd,Sills,Howell
London Symphony Orchestra
Schippers
London, 30, 31 July, 1-3, 5, 6, 12-15 August 1974
EMI 7 64335 2

スカラ座の上演の5年後に行われたEMIのスタジオ録音。翌年4月からのメトロポリタン歌劇場での準備の意味もあったのでしょうか。
スカラ座での上演と比べるとシッパーズの音楽は大分重くグラマスになっており、余り感心できません。シルズはこちらの方が余裕を持って歌っているような気がしますが、ヴァーレットはコロラトゥーラの技術が乏しくホーンとは比較になりませんし、ゼヤードもまるで冴えません。
それ以上に幕切れの趣味の悪い効果音がどうにも不満です。
この録音では、スカラ座での上演同様、第2幕冒頭のパミーラのアリア"Dal soggiorno degli estinti"の前に「マオメット2世」の"si ferite il chieggo"を付け加えていますが、さらにパミーラのアリアの後に「チーロ・イン・バビロニア」のアミーラのアリア"Ah!che non spiegar non posso"を追加しています。これはつなぎ方も強引な上、曲も様式的にもまるであっておらず全くの蛇足です。
第3幕のネオークレのアリアは「マオメット2世」のカルボのアリアに完全に置きかえられており、"Noi cadrem, ma tremendo"は全く歌われていません。
また、第3幕のネオークレのアリアの後に、「マオメット2世」のヴェネツィアでの上演のために書かれたカルボ、エリッソ、マオメットの三重唱"Pria svenar con ferme ciglia"を加えて演奏しています。
録音データはLPに記載されていたもの。


GUGLIELMO TELL








1806-1810 1810 1811 1812-1 1812-2
1812-3 1813-1 1813-2 1813-3 1814
1815-1 1815-2 1816-1 1816-2 1817-1
1817-2 1818 1819-1 1819-2 1820
1821 1822 1823 1825 1826
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