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1822-1



ZELMIRA

初演:1822年2月16日、ナポリ、サンカルロ劇場
台本:アンドレア・レオーネ・トットラ Andrea Leone Tottla
原作:ドルモン・ド・ベロワ Dormont De Belloy(本名ピエール=ロラン・ビュイレット Pierre-Laurent Buyrette 1727-1775)の戯曲『ゼルミール Zelmire』(1762)

 《ゼルミーラ》は、ロッシーニがナポリ時代に最後に発表したオペラです。と同時に、当初からウィーンでの上演が決まっていたこともあり、ロッシーニの次の一歩が見出せる作品でもあります。


作曲

 1821年8月10日付けでロッシーニが母アンナに宛てた手紙には、「サンカルロ(劇場)のために一つ大きなオペラを書いているところです」とあります。これが《ゼルミーラ》を指しているのかどうか、もしそうだとしたらどのような段階だったか、詳しくは分かりません。
 そのおよそ2ヵ月後の10月12日 バルバイヤに近いアントーニオ・ジャンバニーニという人物がノーヤ公爵ジョヴァンニ・カラファに宛てた手紙に、「マエストロ・ロッシーニが音楽を書くことになっている劇の台本はまだ完全にはできあがっていません」との記述が見られます。10月23日に台本を印刷するための検閲の許可が下りていますので、台本が完成したのは10月半ばということになります。
 さて、1821年暮れのロッシーニは多忙でした。12月11日にフォンド劇場で《マティルデ・ディ・シャブラン》をナポリ初演。そして12月27日には、サンカルロ劇場での慈善演奏会で、カンタータ《感謝》と、《リッチャルドとゾライデ》の短縮版を上演しています。
 年が明けた1822年の2月1日付けの母への手紙では、「数日中に僕のオペラ《ゼルミーラ》が上演されます」と報告。また、その4日後の2月5日付けの母への手紙では、「僕はオペラを書き終えました。その価値に見合う成功を収めることを期待しています。」と書いています。
 この状況から推測するに、ロッシーニが《ゼルミーラ》を作曲したのは、1821年12月27日の慈善演奏会が終わった後から、初演の1822年2月16日までの間いうことになるでしょう。


《ゼルミーラ》の初演

 初演は、1822年2月16日、サンカルロ劇場で行われました。初演の出演者は、次のような人たちでした。

ZelmiraIsabella Colbransoprano
IloGiovanni Davidtenore
AntenoreAndrea Nozzaritenore
PolidoroAntonio Ambrosibasso
EmmaTeresa CecconiContralto
LeucippoMichele Benedettibasso
Gran Sacerdote di GioveMassimo Orlandinibasso

 イザベラ・コルブラン(1784−1845)は、ナポリのプリマドンナ。1813年春からサン・カルロ劇場を拠点としていました。ナポリ時代のロッシーニ作品の初演に多く関わり、《エリザベッタ》のタイトルロール、《オテッロ》でのデズデーモナ、《アルミーダ》のタイトルロール、《エジプトのモゼ》のエリーチャ、《リッチャルドとゾライデ》のゾライーデ、《エルミオーネ》のタイトルロール、《湖の女》のエレナ、《マオメット2世》のアンナ、《ゼルミーラ》のタイトルロールを創唱しています。彼女は《ゼルミーラ》の頃には既に歌手として下り坂に入っていたと言われています。
 ジョヴァンニ・ダヴィド(1790−1864)は、ロッシーニとは非常に関係の深い名テノール。《イタリアのトルコ人》のナルチーゾ(ミラノ、スカラ座)、《テーティとペレオの結婚》のペレオ、《オテッロ》のロドリーゴ、《リッチャルドとゾライデ》のリッチャルド、《湖の女》のジャコモ5世、《ゼルミーラ》のイーロを創唱しています(これ以外に、《パルミラのアウレリアーノ》のタイトルロールも本来彼が創唱するはずでしたが、病気で直前にキャンセルしています)。《ゼルミーラ》初演時は30代始めでした。
 アンドレア・ノッツァーリ(1775−1832)は、当時既に40代後半の大ベテラン歌手。ロッシーニ作品では、《エリザベッタ》でのレイチェステル、《テーティとペレオの結婚》のジョーヴェ、《オテッロ》のタイトルロール、《アルミーダ》のリナルド、《リッチャルドとゾライデ》のアゴランテ、《エルミオーネ》のピッロ、《湖の女》のロドリーゴ、《マオメット2世》のパオロ・エリッソ、《ゼルミーラ》のアンテーノレを創唱。彼の声は「テノーレ・バリトナーレ」と言われる、本来の太い声に加えてファルセットーネで高い音域を歌える歌手だったようです。実際、バリトン役も歌ったことがあります。
 アントーニオ・アンブロージ(1786−?)は、1820年代を中心に活躍した名バス。ロッシーニ作品の初演では、《泥棒カササギ》の代官ゴッタルド、《ボルゴーニャのアデライーデ》のベレンガーリオ、《マティルデ・ディ・シャブラン》のジナルド、《ゼルミーラ》のポリドーロを歌っています。

 《ゼルミーラ》の初演は成功を収めました。ナポリでは3月6日まで、計10公演ありました。


ナポリからウィーンへ

 《ゼルミーラ》初演よりもずっと前の1821年11月6日に、ウィーンに滞在していたナポリの興行主ドメニコ・バルバイヤは、ウィーンのケルントナートール劇場の興行主として契約しました。彼は就任の目玉興行として、1822年春に、ロッシーニとサンカルロ劇場の主要メンバーを引き連れてロッシーニのオペラの連続上演を計画しました。その中に《ゼルミーラ》もありました。つまりロッシーニが《ゼルミーラ》を作曲している時には、既に《ゼルミーラ》のウィーン上演が決まっていたと考えられています。

 今日上演される《ゼルミーラ》は、ウィーン稿に基づいているので、あらすじや音楽についての詳細はウィーン稿で触れることにします。


関連項目

《ゼルミーラ》 ウィーン稿 《ゼルミーラ》 パリ,イタリア劇場 1826年3月


ZELMIRA
Wien, Kärntnertortheater, April 1822

初演:1822年4月13日、ウィーン、ケルントナートール劇場


《ゼルミーラ》のウィーン初演

 ナポリでの《ゼルミーラ》初演が1822年3月6日に最終日を向かえた直後、ロッシーニと主要キャストたちはウィーンへ向けナポリを発ちました。その途上の3月16日、ボローニャ近郊のカステナーゾで、ロッシーニとコルブランは結婚を果たしています。一行は3月22日か23日にウィーンに到着しています。
 ウィーンでは、ロッシーニのオペラの連続上演が挙行されました。《ゼルミーラ》のほか、《マティルデ・ディ・シャブラン》(5月7日)、《英国女王エリザベッタ》(5月30日)、《泥棒かささぎ》(6月21日)、《リッチャルドとゾライデ》(7月8日)。いずれも大きな評判を呼び起こしました。

 この《ゼルミーラ》ウィーン初演の際、ロッシーニは第2幕にエンマのアリア Ciel pietoso, ciel clemente を追加しています(新たな歌詞は、ジュゼッペ・カルパーニ Giuseppe Carpani が書いています)。これは、ウィーンでエンマ役を受け持った若いコントラルト、ファニー(ファンニ)・エッカーリン Fanny Eckerlin(1802−1842) のために作曲したものです。エッカーリンはポーランド出身。ミラノ音楽院で学び、1819年にスカラ座での《泥棒かささぎ》のピッポ役でデビューしました。その後、イタリアの各都市、ウィーン、パリ、ロンドンなどでも活躍しました。
 このアリアは大変優れた音楽だったため、全集版においても N.8b として本編に採用され、その結果、近年の上演では必ず含まれて上演されています。

 《ゼルミーラ》のウィーン初演は、1822年4月13日に行われました。ロッシーニは4月15日付けの母アンナへの手紙で大成功を報告しています。4月27日付けのコッリエーレ・デッレ・ドンネ誌は、「土曜日、《ゼルミーラ》が上演され、熱狂的だった。[…]台本は酷く、詩句は最悪だったが、演技と多様性の精神はあった。音楽は最高で、極めて豊かで、新しく、まったく滅多にないものだ。」と絶賛しています。


《ゼルミーラ》 ウィーン稿でのあらすじ

時代、場所


登場人物
ポリドーロ レスボの王 バス
ゼルミーラ ポリドーロの娘 ソプラノ
イーロ トロイアの王子、ゼルミーラの夫 テノール
アンテーノレ ミティレーネの王子、レスボの王座を狙っている テノール
エンマ ゼルミーラのお供 コントラルト
レウチッポ アンテーノレの従者 バス

幕の上がる前

第1幕
 兵士たちが、アゾールが暗殺されたと混乱している。レウチッポは、謀反人を捜すよう命じる。アンテーノレは、暗殺者への復讐を誓う。レウチッポは、アンテーノレが後継者となるべきだと民衆に訴え、人々もそれに唱和する。密かにアンテーノレは野心を燃やす。 アンテーノレとレウチッポは、兵士たちに罪人を必ず捕まえるよう命じる一方で、ゼルミーラをアゾール殺しの犯人に仕立て、彼女と息子を葬る計画を確認する。
 ゼルミーラは、侍女のエンマからも父親殺しの疑いをかけられている。ゼルミーラは無実を訴え、エンマを王家の墓所へと連れて行く。>
 地下の墓所。ここに王ポリドーロが身を隠し、娘ゼルミーラを待っている。ゼルミーラが現れる、ポリドーロが生きていることに驚くエンマと共に、三人は喜び合う。地上から軍楽隊の音が聞こてくる。ゼルミーラは地上に昇ろうとするが、ポリドーロに引き止められる。軍楽隊の音が止む。ゼルミーラはポリドーロに、アゼールが死んだことを告げると、息子を助けに地上へと昇っていく。
 広場。イーロが凱旋し、兵士たちが喜びの声を上げている。彼は妻と息子に再会できることを喜んでいる。しかしやって来たゼルミーラは、イーロに現状を言えないので動揺を隠せない。イーロはその様子を不信がり、息子が死んだのかと尋ねる。ゼルミーラはそれは否定するものの、真実が言えず苦しむ。さらにイーロはポリドーロについて尋ねるので、ゼルミーラは返事に窮してしまう。アンテーノレたちが、ゼルミーラがポリドーロを殺害したのだ、と告げる。
 アンテーノレは、イーロも亡き者にするつもりである。レウチッポは、人々にゼルミーラが父殺しの犯人だと信じ込またことを報告する。噂はイーロの耳にも入り、彼は混乱している。アンテーノレはイーロに、ゼルミーラがアゾールを愛し、父を殺したと騙す。  祭司たちが、アンテーノレがレスボスの君主になるべきとの神託を伝え、彼に君主になるよう促す。ほくそ笑むアンテーノレ。
 ゼルミーラはエンマに息子を託す。二人は、これが永遠の別れになるのではないかと思い、抱き合って悲しみ合う。
 王宮の広間。人々がアンテーノレを讃えている。アンテーノレは王座から君主になることを宣言、大祭司が王冠を、レウチッポが笏を与える。一同は天に感謝を捧げ、平和を祈る。イーロは、息子が見つからず不安に駆られる。レウチッポは、イーロが一人でいるのを見つけ、短剣で殺害しようとする。間一髪、ゼルミーラが止めに入るが、レウチッポは彼女が殺害をしようとしていたかのように偽る。既にゼルミーラに不信感を抱いていたイーロはレウチッポの言うことを信用してしまう。アンテーノレはさらにアゾール殺害の嫌疑もゼルミーラにかける。混乱で幕となる。

第2幕
 獄中のゼルミーラがイーロに宛てた手紙がレウチッポの手に落ち、さらにアンテーノレに渡る。手紙には、彼女の無実と、復讐への願いが書かれていた。二人はゼルミーラを監視することにする。
 墓所の入り口。イーロは苦悩している。そこに、ポリドーロが墓所から出てくる。ポリドーロが殺されたと信じていたイーロは、彼が生きていたことに驚く。ポリドーロは、アゾールの手から守るためゼルミーラがここに自分を隠したことを説明する。イーロは妻が無実だったことを知り喜ぶ。そして、船に居るトロイの兵を挙げに海岸へと急ぐ。ポリドーロは再び墓所に隠れる。
 ゼルミーラは牢獄から開放されている。エンマが、イーロが兵を挙げて解放に来るとゼルミーラに伝える。それを聞いたアンテーノレとレウチッポは、ゼルミーラから巧みにポリドーロの居場所を聞き出し、ポリドーロを捕らえる。アンテーノレは勝ち誇り、ゼルミーラとポリドーロは束の間の希望が去ってしまったことを嘆く。
 兵士たちがアゾールの灰を持って現れ、復讐を求める。アンテーノレはゼルミーラを犯人だと指し示す。エンマと侍女たちは慈悲を請うが、ポリドーロは暴君に慈悲など請うなと怒る。ゼルミーラとポリドーロは、神の怒りがアンテーノレに落ちるだろうと怒りをぶつけるが、アンテーノレはその前にお前たちが死ぬと言い返す。ゼルミーラとポリドーロは引っ立てられる。焦るアンテーノレとレウチッポは、まずポリドーロを殺害することにする。
 エンマは海岸へと向かい、イーロに事態を報せる。途中で彼女と出会ったイーロは、ゼルミーラとポリドーロの救出に急ぐ。
 地下牢。ゼルミーラとポリドーロが嘆いている。アンテーノレとレウチッポが現れ、ゼルミーラは最後の懇願をする。そこに遠くからイーロの兵士たちの声が聞こえてくる。アンテーノレはポリドーロを剣で殺そうとするが、短剣を隠し持っていたゼルミーラに阻まれる。イーロと兵士たちが突入、父娘は助けられ、ゼルミーラは息子を抱きしめる。イーロはアンテーノレとレウチッポを捕らえる。ゼルミーラはポリドーロを王座に座らせ、一同の喜びで幕となる。


《ゼルミーラ》の音楽

   《ゼルミーラ》の音楽の構成は次のようになっています。

《ゼルミーラ》の音楽設計一覧図

 N.1の導入は、前奏曲なしで始まります。この音楽は、事実上、合唱つきのアンテーノレのアリア。緩−急の二部構成。  N.2 ポリドーロのカヴァティーナは、わずか52小節の短い曲。  N.3 三重唱  軍楽隊は舞台裏からのバンダです。  N.4 合唱とイーロのカヴァティーナは、  N.7 ゼルミーラとエンマの二重唱は、大変美しい曲です。伴奏はなんとハープとコールアングレだけ。  N.10 五重唱 アンダンテの部分には、ポリドーロに低いニ音(Re1)が与えられています。  《ゼルミーラ》 救出場面はレチタティーヴォ。


参考資料

Gioachino Rossini: Zelmira, Edizione critica a cura di Azio Corghi / Ricordi
Eduardo Rescigno: Dizionario Rossiniano / Biblioteca Unicersale Rizzoli / 2002
スタンダール:ロッシーニ伝 / 山辺雅彦訳 / みすず書房


関連項目

《ゼルミーラ》 パリ,イタリア劇場 1826年3月

Elizabeth Futral, Antonino Siragusa, Bruce Ford, Marco Vinco, Mirco Palazzi, Manuela Custer, Ashley Catling, Mathias Hausmann
Scottish Chamber Orchestra and Chorus
Maurizio Benini
Edinburgh, August 2003
OPERA RARA ORC27

Gasdia,Fink,Matteuzzi,Merritt,Garcia,Senator
I Solisti Veneti
Scimone
Vicenza,July 1989
ERATO 2292-45419-2

マッテウッツィのイーロがピタリで、あの難しいカヴァティーナも問題なし。メリットのアンテーノレも上々。ガスディアは悪くないもののやや弱め。ポリドーロを歌うガルシアがかなりマイナスです。
シモーネの指揮も特筆するほどでもないでしょう。




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1817-2 1818 1819-1 1819-2 1820
1821 1822 1823 1825 1826
1827 1828 1829 appendix


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