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GIUSEPPE VERDI

IL TROVATORE



4部の劇 Dramma di quattro parti
初演 1853年1月19日 ローマ アポッロ劇場 Roma, Teatro Apollo
台本 サルヴァドーレ・カンマラーノ Salvadore Cammarano
原作 アントーニア・ガルシア・グティエレス Antonio García Gutiérrez(1813―1884)の劇『エル・トロヴァドール El trovador』(1836)



作曲

初演


あらすじ

登場人物

ルーナ伯爵 バリトン
レオノーラ ソプラノ
アズチェーナ メッゾソプラノ
マンリーコ テノール
フェルランド バス
イネス ソプラノ
ルイツ テノール
ジプシーの老人 バス
使者 テノール

物語の背景
 《イル・トロヴァトーレ》の物語を十分に理解するためには、15世紀初頭のスペインの歴史の知識が必要である。
 1410年、アラゴンおよびカタルーニャの国王だったマルティン1世(1356―1410)が世継ぎを残さず亡くなり、また後継王を決める明確な規定もなかったため、新王候補者が乱立する事態になった。
 有力候補の一人が、当時ウルジェイ伯だったジャウマだった(1380―1433 スペイン語ではウルヘル伯ハイメ)。彼はアラゴン王アルフォンソ4世の曾孫である。
 しかし1412年、代表者たちの会議の結果アラゴン連合王国の国王に選ばれたのは、アラゴンやカタルーニャからは異国に当たるカスティーリャの国王フアン1世の王子フェルナンド(1380―1416)だった。彼の母はアラゴン王ペドロ4世の王女なのでアラゴン王家の血統ではある。この決定を『カスペの妥協』という。
 この決定を不服としたジャウマは、新王フェルナンド1世への反乱を起こして戦うが、1413年に敗れ捕らえられ、終生幽閉の身になってしまう。

 《イル・トロヴァトーレ》の舞台は、カスペの妥協からジャウマの敗北までの間の時期、アラゴンのサラゴサおよびバスクのビスカヤ(どちらも現在のスペインの北部)、そしてカステリョール Castellor(原作ではCastellar。カタルーニャのカステリャ・デ・ヌク Castellar de n'Hug と思われる)である。ルーナ伯爵はフェルナンド1世側についており、マンリーコはジャウマ側の兵士なので、レオノーラの恋敵という以前に二人は敵対する間柄だった。レオノーラはフェルナンド1世の王妃(史実ではレオノール・ウラカ・デ・カスティーリャ 1374―1435)のお付きの女官、という設定になっている。
 題名のトロヴァトーレは吟遊詩人を意味する。マンリーコはたしかに第1部と第4部でレオノーラへの愛を歌い吟じるし、またフェルランド、レオノーラ、ルーナ伯爵、そしてマンリーコ自身も彼をトロヴァトーレと呼ぶが、実際のマンリーコは反乱軍の傭兵である。原作では、ジプシーであるマンリーコが出自を隠して兵士になっていることが重要な要素になっている。オペラではこの点はさほど重要ではないが、それでも第3部でマンリーコが自らをジプシーの息子と明かしたときにレオノーラが驚いており、設定は一応受け継がれている。




音楽


参考資料



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