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ドニゼッティ御殿 目次



GAETANO DONIZETTI

PIETRO IL GRANDE KZAR DELLE RUSSIE



2幕の滑稽なメロドランマ Melodoramma burlesco in due atti
初演:1819年12月26日、ヴェネツィア、サン・サムエーレ劇場 Teatro San Samuele, Venezia
台本:ゲラルド・ベヴィラックワ・アルドブランディーニ Gherardo Bevilacqua Aldobrandini(1791 - 1845)
原作:アレクサンドル=ヴァンサン・ピヌ・デュヴァル Alexandre-Vincent Pineux Duval(1767 - 1842)の喜劇『リヴォニアの大工 Le menuisier de Livonie』(1805)
   およびジョヴァンニ・パチーニ Giovanni Pacini(1796 - 1867)の《リヴォニアの大工 Il falegname di Livonia》(1819 ミラノ)のためのフェリーチェ・ロマーニ Felice Romani(1788 - 1865)の台本も参照している。



 《ピエトロ大帝、ロシアのツァーリ》(以下《ピエトロ大帝》)は、ドニゼッティが最初に本格的成功を収めた作品である。初演もかなり好評に迎えられたばかりか、1820年代を通して散発的ではあるものの各地での上演が記録されている。

作曲
 ドニゼッティは、1818年11月14日に最初の興行用オペラ《ブルグントのエンリーコ》をヴェネツィアのサン・ルカ劇場で初演し、本格的なオペラ作曲家として歩み始めた。そのほぼ一ヵ月後の12月15日(あるいは17日)には同劇場で《ばか騒ぎ》を初演する。その次のオペラが、1年経った1818年12月に初演されたこの《ピエトロ大帝》である。ただしこのさらに次のオペラである《村の結婚式》(1820/1821年のカーニヴァル・シーズン中にマントヴァで初演)が、少なくとも一部は1819年夏に作曲されたと推測されており、その初演が1819年秋に予定されていた可能性があるので、《ばか騒ぎ》から《ピエトロ大帝》まで1年間開いてしまったのは単に結果的なことなのかもしれない。

 台本作家はゲラルド・ベヴィラックワ・アルドブランディーニ(1791 - 1845)。彼は職業作家ではなく、侯爵位を持つ貴族である。オペラ好きのディレッタントで、舞台美術家として活動していた。また彼はロッシーニの友人で、《バビロニアのチーロ》初演(1812 フェラーラ)では、ロッシーニがフェラーラのベヴィラックワ・アルドブランディーニの館に滞在していたことが知られている。さらに彼はロッシーニの《アディーナ》(作曲は1818、初演は1826 リスボン)の台本作家であり、《エドゥアルドとクリスティーナ》(1819 ヴェネツィア)の三人の台本作家のうちの一人である。

 原作はアレクサンドル=ヴァンサン・ピヌ・デュヴァルの喜劇『リヴォニアの大工』。またジョヴァンニ・パチーニ作曲の《リヴォニアの大工》のためのフェリーチェ・ロマーニの台本も原作と言ってよい。パチーニのオペラは1819年4月12日にミラノのスカラ座で初演され、47公演という好評を収めていた。後述するマルティーナ・フランカの上演の楽譜を校訂したマリア・キアーラ・ベルティエーリによると、主としてレチタティーヴォにおいて、ベヴィラックワ・アルドブランディーニはロマーニの台本の十分の一ほどを利用しているという。またOPERA RARAのA Hundered Years of Italian Opera 1810-1820の解説執筆者であるドン・ホワイトも、ベヴィラックワ・アルドブランディーニがロマーニの台本から一部をそのまま使いまわしていることを指摘している。その一方で両者ともパチーニの《リヴォニアの大工》とドニゼッティの《ピエトロ大帝》では展開や役の性格に相違があることも指摘している。たとえば、ロマーニの台本ではカテリーナが女声役の筆頭で、フリッツ夫人は脇役だが、ベヴィラックワ・アルドブランディーニの台本では、物語でも音楽でもフリッツ夫人はの方がずっと重要な役回りで、一方カテリーナは完全な脇役である。
 ベヴィラックワ・アルドブランディーニがドニゼッティのための台本の題名を《ピエトロ大帝、ロシアのツァーリ》にしたのは、パチーニの《リヴォニアの大工》との混同を避けるためだろう。一方ドニゼッティの自筆譜では、パチーニの作品と同じ《リヴォニアの大工》と題されている。このためこの作品の題名はしばしば混乱しており、実際、再演時には《リヴォニアの大工》としての上演も多かった。
 ちなみにベヴィラックワ・アルドブランディーニは貴族という知識人だけに、《ピエトロ大帝》の台本に過去の様々な台本からの引用をしている。たとえば、判事クックーピスの登場のアリアにおける「あらゆる法典を紐解けば、あらゆる索引を読めば、曖昧な混乱、同義語、文法で、判例で、わしの判断が判決を下すであろう。 Se tutto il codice dovessi svolgere, se tutto l'indice dovessi leggere garbugli equivoci detti sinonimi colla grammatica, colla prammatica il mio criterio giudicherà.」は、明らかにモーツァルト《フィガロの結婚》のドン・バルトロのアリアから着想されたものだろう。

 《ピエトロ大帝》の作曲そのものに関しては、この時期のドニゼッティの手紙がまったく残されていないこともあって、ほとんど情報が残されていない。自筆譜の第1幕の終わりには、ドニゼッティによって1819年12月4日の日付が記されている。

ピョートル大帝
 物語のモデルは、言うまでもなく、ロシアの偉大なツァーリ、ピョートル1世(1672 - 1725)である。尊敬の念をもってピョートル大帝と呼ばれるこの偉大なツァーリは、1697年から1698年にかけて西欧に使節団(ピョートル大帝の大使節団)を送り込んだのだが、その際に自らも身分を隠して一使節員として参加した。
 大使節団の目的は、対オスマン帝国で各国と結束するための外交と、西欧の進んだ技術をロシアに持ち帰ることだった。後者に関しては、ピョートル大帝が自ら様々な職務体験を行ったことが知られている。ことに船大工として働いた実話は有名で、ドニゼッティはこれを題材にした《サールダムの市長》(1827 ナポリ)を書いている。ちなみにアルベルト・ロルツィング(1801 - 1851)の《皇帝と船大工》(1837 ライプツィヒ)は、《サールダムの市長》の原作と同じフランス語の戯曲に由来したもの。
 こうしたことから、史実から離れて、ピョートル大帝が身分を隠して辺境の地を回るという話は様々なかたちで生み出された。デュヴァルの『リヴォニアの大工』は、それにさらに行方不明の息子を捜索するというエピソードを加えたものである。

初演
 初演は1819年12月26日、ヴェネツィアのサン・サムエーレ劇場で行われた。1818/1819のカーニヴァルシーズンの開幕公演である。
 初演の出演者は以下のような人たちだった。


Pietro il GrandePio Botticellibasso
CaterinaAdelaide Raffisoprano
Madama FritzCaterina Amatimezzosoprano
Annetta MazepaAngela Bertozzisoprano
Carlo ScavronskiGiovanni Battista Vergertenore
Ser CuccupisLuigi Martinellibasso
Firman-TrombestGiuseppe Guglielminibasso
HondediskiGaetano Rambaldibasso

 ピオ・ボッティチェッリは、1810年代半ばから1830年代にかけて活動したバス。彼の兄弟も歌手で、バルトロメオ・ボッティチェッリ Bartolomeo Botticelli はロッシーニ《セビリアの理髪師》のドン・バルトロの創唱者として高名、またヴィンチェンツォ・ボッティチェッリ Vincenzo Botticelli は、ロッシーニの《泥棒かささぎ》のファブリツィオ・ヴィングラディートの創唱者。ピオ・ボッティチェッリは、あまり大劇場では歌っていないものの、ロッシーニからドニゼッティの時代のイタリアオペラでは人気のあったバリトンだった。
 ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴェルジェルは、1820、1830年代に大活躍したテノール。1796年、ローマ生まれ。生地で学んだ後、マルタ島に渡り、1817年にここでデビュー。この1819年の《ピエトロ大帝》のカルロは、彼のイタリア・デビューであった。ヴェルジェルはドニゼッティのオペラでは、《オリーヴォとパスクワーレ》初演(1827 ローマ)でル・ブロス氏を、《アリーナ、ゴルコンダの女王》初演(1828 ジェノヴァ)でセイドを創唱している。
 カテリーナ・アマーティは、1810年代に活動したメッゾソプラノ。ロッシーニを得意としていた。

 初演の様子を、ヴェネツィアの新聞『ヴェネツィア新観察者 Nuovo Osservatore Vneziano』が伝えている。
 オペラブッファ《リヴォニアの大工》は極めて幸運な成功を収めた。[…]若きマエストロ、ドニゼッティ氏の音楽は、ことに彼の新鮮な年齢を考えれば、十分に称賛に値するものである。[…]聴衆は常に活気付いており、様々な状況に、そして快活な音楽に、活発な興奮を受けていた。

再演
 《ピエトロ大帝》が好評だったのは、再演の多さからも裏付けられる。ただしいずれもドニゼッティの直接の関与はない。


1823/1824
カーニヴァル・シーズン
ボローニャ市立劇場Pietro il Grande Kzar delle Russie
ossia Il falegname di Livonia
1824ラヴェンナIl falegname di Livonia
1824トレヴィーゾIl falegname di Livonia
ossia Pietro il Grande
1825ロヴィゴ
1825
ヴェローナ
フィラルモニコ劇場
Il falegname di Livonia
1826パドヴァ
1827
カーニヴァル・シーズン
ヴェネツィア
サン・ベネデット劇場
Pietro il Grande Czar delle Russie

 再演時の題名がしばしば《リヴォニアの大工》になっていることが分かる。


蘇演
 近代蘇演は、2003年5月27日、ロシア、サンクトペテルブルクで、サンクトペテルブルク室内歌劇場によって行われた。
 次いで、2004年7月25、27日に、イタリア、マルティーナ・フランカのイトリアの谷音楽祭で上演され、これは録音されCD化された(⇒参考資料)。


あらすじ

登場人物
ピエトロ大帝 ロシアの皇帝 メンジコフを騙っている バリトン
カテリーナ 彼の妻 メッゾソプラノ
フリッツ夫人 宿屋の女将 ソプラノ
アンネッタ・マゼパ 孤児の娘 ソプラノ
カルロ・スカヴロンスキ 大工 テノール
クックーピス氏 判事 バッソ・ブッフォ
フィルマン=トロンベスト 質屋 バリトン
オンデディスキー 隊長 テノール

リヴォニア(現在のラトビアの東北部からエストニア南部)のある村

Sinfonia
A
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N.1
Introduzione

Annetta
Carlo
Hondediski
Firman
Coro
Al bosco! Alla bottiglia!フリッツ夫人の宿。夜明け。狩人たちが森に行く前に宿屋で飲み物を飲んでいる。宿屋には隊長オンデディスキーと兵士たちもいる。
大工のカルロは宿屋で働く孤児の娘アンネッタと相思相愛で、二人で愛を語り合う。強欲な質屋フィルマンがやって来て、彼にネックレスを質入れしているアンネッタを馬鹿にするので、カルロは腹を立てる。
狩人たちは森に出かける。
Recitativoフィルマンがなおもアンネッタをからかうので、アンネッタは腹を立ててネックレスを買い戻すと言うが、フィルマンはもう質流れになったと答える。カルロがフィルマンにネックレスを返せと詰め寄っている隙に、守備隊の隊長オンデディスキーがアンネッタを口説き出すので、怒ったカルロは斧を振り上げ、オンデディスキーも剣を抜く。アンネッタが助けを呼ぶと、
N.2
Cavatina

Madama Fritz
Quale ardir! Qual brando ignudo!宿屋の女将フリッツ夫人が出て来て、二人を叱りつける。
Recitativoオンデディスキーは去る。カルロはフィルマンを盗人と罵る。フィルマンは、ネックレスを捜すことは請合うが、それを高値で売り戻すと言って去る。カルロはますます怒って彼を追いかける。
N.3

Coro e sortita di Pietro
Genti, olà!宿に旅の一団がやって来て、位の高い人物がこの宿に泊まると告げる。
Con menzognero vanto(実は彼らは、お忍びで旅をするピエトロ大帝とその妻カテリーナ、そしてお付きの人々である。)ピエトロは王と父の心得を説く。カテリーナが夫にピエトロと呼びかけるので、ピエトロは妻に、自分たちはこの地では顔を知られていないので、正体を明かさないよう注意する。一同は、幸運と祖国愛がピエトロを祝福するように、と皇帝を讃える。
Recitativoピエトロが身分を隠してこの地に来たのは、一人の大工、つまりカルロに会うためだった。ピエトロはフリッツ夫人に、ここに若い大工がいるかと尋ねると、夫人は、それはカルロだと答える。
カルロが現れる。ピエトロは、まずカルロが隊長に切り掛かったことをたしなめた上で、カルロの出自について尋ねる。カルロは何も知らないと答え、やがてピエトロの執拗な問いに苛立ってくる。ピエトロは判事クックーピス氏を呼び出すよう命じ、オンデディスキーにカルロの監視を任せて立ち去る。
Recitativo accompagnatoMia Fritz! Che imbroglio è questo?カルロは当惑する。フリッツ夫人は、カルロが高貴な出であることを自称しているといつか厄介ごとに巻き込まれるとたしなめる。カルロはその言葉に納得しつつも、自分には出自を証明する手紙があると言う。そしてフリッツ夫人に、自分の大工道具を売ってそのお金をアンネッタに渡してほしいと頼む。驚く夫人に、カルロは、アンネッタには表にできぬ事情があることをほのめかし、
N.4
Duetto

Madama Fritz
Carlo
Se il mio ben, se Annetta mia運命がアンネッタを引き離すのなら死んでしまう、と嘆く。フリッツ夫人はカルロを慰める。二人は、カルロの愛の言葉がアンネッタに届くように、と願う。
N.5
Coro e Cavatina

Ser Cuccupis
Coro
Bolle in sen di quest'albergo郊外の宿。人々は謎の外国人旅行者たちの出現に落ち着きを失っている。
Chi mi cerca? chi mi turba判事クックーピスが、法律の勉強を邪魔して呼び出すとは何事だ、ともったいぶって現れる。フリッツ夫人とアンネッタが、突然やって来た傲慢な外国人旅行者がカルロを逮捕したことを話すと、クックーピスは自分の権威を脅かす行為だと腹を立て、あらゆる法典を読んで被告を有罪にしてみせよう、と息巻く。
Recitativoクックーピスが、カルロは有罪になるだろう、と言うので、フリッツ夫人は、それは外国人の方だとたしなめる。彼女が、旅人が誰でも逮捕できてしまうとどうなってしまうのだろうと不安を打ち明けると、クックーピスも村中が牢獄送りになってしまうと答える。そこにピエトロが現れる。
N.6
Duetto

Pietro
Ser Cuccupis
Ser De Cuppis? Siete voi?クックーピスは、何ゆえ外国人が判事である自分の職務を犯すのか、とピエトロに問い質す。だがクックーピスが、自分は皇帝の友人だと大口を叩くので、ピエトロは笑い出してしまう。気分を害したクックーピスはピエトロに、名を明かさなければ逮捕すると詰め寄る。だがピエトロが最高位の勲章を見せるや、クックーピスは仰天して固まってしまう。ピエトロはクックーピスがあまりにも小心者なので呆れてしまう。そしてピエトロは、自分はピエトロ大帝に仕える名高い貴族メンジコフだと騙り、もう少しカルロの素性を調べねばならないと告げる。ピエトロはクックーピスに腹を立て、クックーピスは予期せぬ事態に激しく混乱しつつ裁判所へ向かう。
Recitativoオンデディスキが、逮捕されたカルロはシベリア行きになるだろうと言うので、アンネッタは泣き出してしまう。カテリーナが理由をたずね、彼女は事情を説明する。アンネッタは、カルロは噂に反して心優しく道理をわきまえた人だと主張するが、オンデディスキーは、彼は殺し屋か狂人だ、と反論する。だがカテリーナは、カルロの誇り高さなどから、彼が行方不明の彼女の弟スカヴロンスキーではないかと思い始め、立ち去る。二人になってオンデディスキーがアンネッタになれなれしく声をかけるので、アンネッタは彼の女たらしっぷりを非難する。彼は、女性に相応の敬意をはらいますよ、と言って去っていく。
Recitativo accompagnatoアンネッタは、父の死にも耐えてきたが、カルロを失ってしまったら死んでしまう、と嘆く。
N.7
Aria

Annetta
È riposta o caro oggettoアンネッタは、カルロがいたがゆえに追放の身にも貧しさにも堪えたと語り、純粋な愛が天からの恵みを受けるなら、苦しみへの慰めにカルロが与えられますように、と祈る。
N.8
Finale I

Agli integerrimi di Baldo e Bartolo裁判所の大広間。人々がしっかりとした裁判になるよう願っている。判事クックーピスが裁判の開始を宣告する。ピエトロとカテリーナが大広間に入る。クックーピスは記録係に事件について口述筆記させるが、書き方を細々口うるさく指示するので、ピエトロとカテリーナは呆れる。ピエトロは、カルロが隊長と喧嘩を始めたのだと告発する。カルロが呼び出され、クックーピスの尋問を受ける。彼は、カルロ・スカヴロンスキ、27歳、リトアニア生まれ、大工と答える。カルロが親族はいないと言うと、クックーピスは記録係に私生児と書かせる。これにカルロが怒り、自分は高貴な生まれだと言い出すが、クックーピスは取り合わない。しかしピエトロがカルロの言葉に反応する。カルロが、自分は幼い頃家族から引き離されたのだと言うと、ピエトロとカロリーナは思わず彼に近寄る。クックーピスがカルロを連行させようとしたその時、フリッツ夫人が息を切らして駆け込んでくる。彼女はカルロが高貴な生まれであることを証明する手紙の束を発見したのだった。真偽を確かめるべくピエトロがそれを読み上げると、カロリーナは気が遠くなり椅子に倒れこんでしまう。ピエトロ以外の人たちはその理由が分からない。ピエトロはカルロをクックーピスに託す。一同の混乱で幕となる。

A
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s
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c
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d
o
Recitativo判事クックーピスの屋敷。晩。クックーピスが村の有力者たちにカルロの処遇を相談すると、彼らは投獄すべしと答えて去る。入れ替わりにフリッツ夫人がクックーピスを訪れ、カルロの釈放を嘆願する。クックーピスは当然これを断り、夫人を帰らせようとするが、フリッツ夫人は言葉巧みにクックーピスが若い頃彼女に恋していたことを思い出させて、
N.9
Duetto

Madama Fritz
Ser Cuccupis
Gentilissimo togato頑なにならないでと言い寄る。クックーピスは、半世紀の人生で女運はなかったと動揺しつつ、なおも夫人を追い返そうとする。しばらくのやり取りの後、フリッツ夫人が涙を見せると、クックーピスも折れそうになる。そこに召使が現れ、既にカルロが釈放されたことを手紙で知らせる。クックーピスは仰天し、夫人は喜ぶ。判事の自分抜きで処罰と釈放を決められたクックーピスは嘆き、夫人は彼をからかう。
Recitativoカルロは豪華な服を着させられている。それを見たフィルマンは、取り戻したアンネッタのネックレスを50ルーブルで売ると持ちかける。服は豪華なもののお金のないカルロは、それに怒ってフィルマンの襟首を掴む。そこにクックーピスが現れる。意外にも、彼はカルロを丁重に扱い何度もお辞儀をする。だがクックーピスもカルロの正体はまだ知らない。彼はフィルマンに、夜明け前に皇帝が到着すると告げる。フィルマンはネックレスをただでカルロに返す。そして二人はカルロに何度もお辞儀をしながら去っていく。カルロが不思議に思っていると、ピエトロが現れ、お前の姉に会わせるという。それは彼の妻、カテリーナだった。
Recitativo accompagnatoSorella tu? Che faccio!始めのうちは半信半疑だったカルロも、ピエトロに促されてカテリーナを姉と認め、
N.10
Aria

Carlo
Il dolce nome, e teneroもう孤児ではない、苦しみは終わった、と喜ぶ。
Recitativoフリッツ夫人はアンネッタに、カルロが裕福な家の者だと分かったことでアンネッタとの結婚が難しくなるのではと心配している。アンネッタは、カルロが幸せを掴めば私も幸せ、と気にしない。そこにカルロがピエトロたちを連れてやって来て、彼らにアンネッタを紹介する。ピエトロはアンネッタに、カルロと共にサンクトペテルブルクに行くよう求めるが、彼女はそれを断る。
Recitativo accompagnatoMio padre...アンネッタは、彼女の父が、ウクライナ・コサックの首領にしてロシアへの反逆者、マゼーパだと明かす。
N.11
Sestetto

Annetta
Madama Fritz
Caterina
Carlo
Pietro
Ser cuccupis
Ah qual colpo! oh ciel! qual fremito!一同は驚く。ピエトロは、奴には死があるのみ、と憤る。アンネッタは、カルロに付いて行くか否かで悩む。カルロは、いつでも傍にいる、と彼女を慰める。クックーピスは、これはシベリア送りだな、とあざ笑う。一同がアンネッタへの慈悲を願うと、ピエトロは、娘は許せるが父親は許すわけにはいかぬと答える。だがアンネッタがもう死んだと答えると、ピエトロは落ち着きを取り戻し、復讐は終わった、彼女を娘として迎えると告げる。それを聞いたフリッツ夫人は感激し、一方ピエトロは、宿敵の死に動揺する。
Recitativoカテリーナは隊長オンデディスキに、兵士たちと共にピエトロ一行をサンクトペテルブルクまで案内するよう命じる。カルロはアンネッタに、君に父ができ、夫もいる、と慰め、アンネッタは喜ぶ。カテリーナは、間もなく出発するので、二人に用意をするよう告げ、夜空の星を見上げて、
N.12
Aria

Caterina
Pace una volta, e calmaアンネッタとカルロの心に平安が戻るようにと願い、星が良い予兆を示していることに喜ぶ。
N.13
Coro

Coro
Al stridor bellico dell'oricalco月夜。兵士たちが出発を待っている。
Recitativo何事だと不思議に思うクックーピスに、オンデディスキは、皇帝がサンクトペテルブルクに帰還するのだと告げる。そしてメンジコフが皇帝その人であることを明かすと、クックーピスは仰天する。
Recitativo accompagnatoMia Fritz! al seno vi stringo ancorカルロはフリッツ夫人に別れの挨拶をする。フリッツ夫人は、大都会で私のことは忘れてしまうでしょう、と言うが、カルロは、恩人を決して忘れはしない、と答える。フリッツ夫人は予期せぬ状況で親しい友に別れを告げることに戸惑いつつ、
N.14
Aria

Madama Fritz
In questo estremo amplessoカルロを抱擁し、別れを惜しむ。実は密かにカルロに愛情を感じていた夫人は、気持ちを抑えるのに精一杯である。
N.15
Finale
Al stridor belico dell'oricalco再び兵士たちが、サンクトペテルブルクへ向けて行進だ、と意気を上げる。だがカルロもフリッツもなぜ兵士たちが付き添うのか理由が分からない。クックーピスが、皇帝がここにいると告げる。ピエトロが皇帝として姿を現すので、フリッツ夫人は驚く。ピエトロは人々に、玉座と法律のもとで安心を感じることが王にとって労苦の一番の報酬である、と語る。クックーピスが人々の前に割り入り、ピエトロにへつらって都会での仕事を貰おうとする。しかしピエトロは、クックーピスを判事から罷免し、さらに千ルーブルの罰金を科す。フリッツ夫人はようやく外国人客が皇帝夫妻だったことを理解する。人々がピエトロ大帝を讃える声で幕となる。


 楽譜が未入手なので、音楽については概要のみ。

 1810年代の後半は、ロッシーニの人気が高まり、ロッシーニのオペラの上演がイタリア中に広がる時期である。ベルガモでも、ドニゼッティの帰郷以降、ソチエタ劇場で、1817/1818年のカーニヴァル・シーズンにロッシーニの《ラ・チェネレントラ》が[注]、1818/1819年のカーニヴァル・シーズンに《パルミラのアウレリアーノ》が上演された。ドニゼッティがこれらの公演を聞いたことは間違いないだろう。あるいは、何らかの形で上演に携わっていたとしても不思議ではない。
 そうした状況で作られた《ピエトロ大帝》の音楽にロッシーニからの強い影響が見られるのは当然だろう。とはいえところどころに後のドニゼッティの音楽の萌芽が感じられるのも間違いない。

 序曲は序奏付きの展開部を欠いたソナタ形式。提示部でも再現部でも第1主題、第2主題以上に小結尾主題が活用されるが、この小結尾主題はロッシーニのような猛烈なクレッシェンドは見せない。
 第1幕。第1番 導入は、狩人たちの合唱を前後に置き、間にカルロとアンネッタの二重唱、そしてフィルマンの登場の場面を置いている。ドニゼッティが師匠マイールから叩き込まれたであろうしっかりしたアンサンブルの書法が発揮されている。
 第2番 フリッツ夫人のカヴァティーナ(登場のアリアといった意味合い) Quale ardir! Qual brando ignudo! はカンタービレ/カバレッタ形式。カンタービレは登場のアリアにありがちなあまり旋律的に歌わないもの。テンポ・ディ・メッツォ(中間部のシェーナ)はなく、すぐカバレッタに続く。カバレッタはあまり特徴のあるものではない。
 第3番 ピエトロの登場のアリアは、合唱を伴った大アリア。冒頭に置かれた合唱 Genti olà!はロッシーニ調の軽快なもの。アリアはカンタービレ/カバレッタ形式。カンタービレ Con menzognero vanto ではピエトロの堂々とした姿が描かれている。短いテンポ・ディ・メッツォの後、カバレッタ Ah! sempre a me sorrida は、装飾歌唱の詰まったいかにもロッシーニ風のもの。
 第4番 フリッツ夫人とカルロの二重唱は、レチタティーヴォ・アッコンパニャートを前に持つカンタービレ/カバレッタ形式。カンタービレ Se il mio ben, se Annetta mia は、まずカルロ、次いでフリッツ夫人が同様な旋律を歌い、カバレッタ O teneri accenti sol figli d'amore! では二人が並行して歌う。
 第5番 クックーピスのアリアは、合唱を伴った大アリア。冒頭の合唱 Bolle in sen di quest'albergo は、《愛の妙薬》(1832 ミラノ)の第1幕フィナーレでジャンネッタがベルコーレを呼ぶ Signor sergente の原形。アリアはカンタービレ/カバレッタ形式。総じて当時のバッソ・ブッフォのアリアの定型に則ったもの。カンタービレ Chi mi cerca? chi mi turba はあまり旋律的にならず、しかも短く切り上げられる。テンポ・ディ・メッツォとして冒頭の音楽が戻り、フリッツ夫人、アンネッタも加わった長めのやり取りになる。カバレッタ Se tutto il codice dovessi svolgere はバッソブッフォらしい猛烈な早口が楽しい。
 第6番 ピエトロとクックーピスの二重唱は、急―緩―急の三部構成。Ser De Cuppis? Siete voi? (ピエトロはクックーピスの名前を間違っている)では付点リズムを多用して威張りくさるクックーピスを滑稽に描いている。中間部ではピエトロが高位の人物だと察したクックーピスは一転して気弱になる。Che uom pusillanime はクックーピスを不快に思うピエトロと混乱するクックーピスの二重唱。手堅くまとめてはいるが、規模の大きめの二重唱にしてはもう一つ盛り上げ切れていない。
 第7番 アンネッタのアリア È riposta o caro oggetto は、前にレチタティーヴォ・アッコンパニャーを置いている。アリアは簡潔な三部形式(A-B-A')。
 第8番 第1幕フィナーレは20分もかかる規模の大きなもの。まずクックーピスを交えた合唱 Agli integerrimi di Baldo, e Bartoloがあり、ついでクックーピスが公証人に口述筆記させる Conciosia fosse che になるが、ここはさほど特徴がない。カルロへの尋問が始まってからの音楽は、ロッシーニ調の溌剌とした音楽の中に時々ドニゼッティらしい情感豊かな音楽が顔を覗かせる。コンチェルタート Di colpa non è effetto は短いながらも、この頃からドニゼッティの重唱の腕前が達者だったことが分かる。恋人を心配するアンネッタの一節(これだけ他とかなり異なる)が素晴らしい。フリッツ夫人が手紙を持って現れる場面では短いが印象的な歌 Ah potesse almeno salvarlo を挟んでいる。シェーナやテンポ・ディ・メッツォに短い歌を挿入する手法をドニゼッティは後年よく使っている。ストレッタ Vi affido questo giovine のスピード感のある音楽で前半が締め括られる。
 第2幕。第9番 フリッツ夫人とクックーピスの二重唱 Gentilissimo togato もロッシーニ色の濃い曲だが、それでも全体に愉しい曲である。途中の In cor sì teneroの音楽は序曲で用いられている。
 第10番 カルロのアリアは、短いレチタティーヴォ・アッコンパニャートを伴ったもの。アリアはカンタービレ/カバレッタ形式。前述の通りカルロの創唱者ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴェルジェルはまだキャリアの初期で、このアリアも技術的にあまり難易度は高くないのだが、ドニゼッティは合唱を適宜用いてテノールを助けつつ、巧くまとめている。
 第11番 六重唱は、《ピエトロ大帝》で最も充実した音楽だろう。大雑把に言って、短いレチタティーヴォ・アッコンパニャートの後、コンチェルタート Ah qual colpo! oh ciel! qual fremito!、長い中間部 Dov'è, dov'è quel perfido!、そしてストレッタ Ho in sen tumulto insolito といった構成。ピエトロに反逆者マゼパがどこにいると尋ねられたアンネッタが、父は死んだと答える部分での翳りの入れ方はさすがドニゼッティである。
 第12番 カテリーナのアリア Pace una volta, e calma は、いかにもアリア・ディ・ソルベート(シャーベット・アリア 脇役のアリア)風の簡単な三部形式(A-B-A')の曲。
 第13番 合唱 Al stridor bellico dell'oricalco は短く陽気な合唱曲。
 第14番 フリッツ夫人のアリアはレチタティーヴォ・アッコンパニャーを伴った大アリア。カンタービレ/カバレッタ形式。このアリアはかなり充実した曲。カンタービレ In questo estremo amplesso こそあまり特徴がないが、フリッツ夫人が実はカルロを愛していたことを独白するテンポ・ディ・メッツォ(中間部)では短調のかなりドラマティックな音楽を用いており、これがカバレッタでの装飾歌唱を散りばめた音楽を引き立てている。カバレッタに挟まれる合唱も良いアクセントになっている。原作では脇役だったフリッツ夫人をここまで引き上げているのは、創唱者カテリーナ・アマーティがすぐれたメッゾソプラノだったということだろう。
 第15番 第2幕フィナーレは、第13番とほぼ同じ音楽の合唱 Al stridor belico dell'oricalco が繰り返し用いられている。皇帝であることを明かしたピエトロとクックーピスのやり取りの後、喜びの大団円で幕となる。

 全体に弱点は散見されるものの、これが本格的デビューからまだ1年後の22歳の作曲家の作品だということを考慮すれば、それなりの成功を収めたのも納得できるだけの出来だと思われる。

注 ローマでの初演でダンディーニを創唱したジュゼッペ・デ・ベニスと、その妻、ジュゼッピーナ・ロンツィが出演した。《ブルグントのエンリーコ》の作曲の項も参照に。


参考資料
William Ashbrook / Donizetti and his Operas / CAMBRIDE UNIVERSITY PRESS / Cambridge / 1983 /ISBN 0-521-27663-2
William Ashbrook / Donizetti La vita / EDT / Torino / 1986 / ISBN 88-7063-041-2
Guido Zavadini / Donizetti / ISTITUTO ITALIANO D'ARTI GRAFICHE / Bergamo / 1948
ガエターノ・ドニゼッティ ロマン派音楽家の生涯と作品 / グリエルモ・バルブラン,ブルーノ・ザノリーニ / 高橋 和恵 訳 / 昭和音楽大学 / 神奈川県 / 1998 / ISBN4-9980713-0-0
30° FESTIVAL DELLA VALLE D'ITRIA 2004 (il programma di sala)


Pietro il Grande
Caterina
Madama Fritz
Annetta Mazepa
Carlo Scavronski
Ser Cuccupis
Firman-Trombest
Hondediski
Notaio

Vito Priante
Eufemia Tufano
Rosa Anna Peraino
Rosa Sorice
Alessandro Codeluppi
Giulio Mastrototaro
Claudio Sgura
Vittorio Bari
Michele Bruno

Coro da Camera di Bratislava
Maestro del coro: Pavol Procházka
Orchestra Internazionale d'Italia
Marco Berdondini

Palazzo Ducale, Martina Franca, Italia
July 2004
Dynamic CDS 473/1-2

マルティーナ・フランカのイトリアの谷音楽祭での上演のライヴ録音。7月25、27日にドゥカーレ宮殿で、さらに8月3日にサン・ドメニコ修道院 Chiostro di San Domenico で上演された。
若い歌手主体の上演で、ヴィート・プリアンテもジューリオ・マストロトタートもデビューして数年だが、この二人を中心に男声が良く、女声が弱い。オーケストラも決して上手くはない。それでもこの非常に珍しいドニゼッティの初期のオペラを楽しむには十分な出来栄えだろう。

Pietro il Grande
Caterina
Madama Fritz
Annetta Mazepa
Carlo Scavronski
Ser Cuccupis

Russell Smythe
Susan Bickley
Marilyn Hill Smith
Myrna Moreno
Kevin John
Jonathan Best

Philharmonia Orchestra
David Parry
Henry Wood Hall or Conway Hall, London, England October 1985, February/December 1986 or May/July 1987
OPERA RARA ORCH103

第2幕の六重唱 Ah qual colpo! oh ciel! qual fremito! のコンチェルタートのみ収録。




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