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ドニゼッティ御殿 目次



GAETANO DONIZETTI

LE NOZZE IN VILLA

2幕の滑稽劇
Dramma buffa in due atti

初演 1819年初め マントヴァ インペリアル・レージョ劇場
First performance early 1819 Mantova Imperial Regio Teatro

台本作家 バルトロメオ・メレッリ
Librettist Bartolomeo Merelli

原作 アウグスト・フォン・コツェブエ 1761―1819 の戯曲 ドイツの小都市の住民 1802
→ トンマーゾ・デ・レリスによるイタリア語訳 地方の人々 1805
Original August von Kotzebue 1761-1819 Die deutschen Kleinstädter 1802
-> its Italian translation I provinciali by Tommaso de Lellis 1805

作曲

《村の結婚式》は、ドニゼッティの興行向けオペラ第1作の《ブルグントのエンリーコ》や第2作《ばか騒ぎ》と同じく、パオロ・ザンクラの一座のために書かれた作品と考えられている。台本は、先の2作品と同じく、ドニゼッティの同級生、バルトロメオ・メレッリが書いた。
《村の結婚式》に関する資料や情報は極めて乏しい。自筆譜が行方不明であるばかりか、初演時の印刷台本や初演の新聞評もこれまで見付かっていない。したがって《村の結婚式》の作曲の経緯は、断片的な情報から推測するしかない。

1818年11月14日に《ブルグントのエンリーコ》が、1か月後の12月15日に《ばか騒ぎ》が、それぞれヴェネツィアのサン・ルカ劇場で初演された後、ザンクラの一座はマントヴァに移動し、カルロ・コッチャの《クロティルデ》を上演した。ドニゼッティと台本作家のメレッリはマントヴァに赴き、ここで1818/1819年のカーニヴァルシーズンで上演されるためのオペラ《村の結婚式》を年末から1月頃に書いたと推測される。

間接的な資料が2つある。
一つは、ドニゼッティが後に妻となるヴィルジニア・ヴァッセッリ Virginia Vasselli に捧げた自作のポプリ。このポプリの中に《村の結婚式》から数小節が引用されており、そこに作品名とマントヴァという一言が添えられている。つまり《村の結婚式》がマントヴァで初演されたことがドニゼッティによって示されていることになる。
もう一つは、師匠ジョヴァンニ・シモーネ・マイールの音楽学校において、1818/1819年の門下生たちによるパスティッチョ《旅回りの小音楽家たち I piccoli virtuosi ambulanti》。1819年9月18日に初演されたこのパスティッチョに《村の結婚式》第2幕のサビーナのアリア Non mostrarmi in tale istante が含まれている(なおドニゼッティは導入部の音楽も提供している)。したがって《村の結婚式》はそれより前に初演されていると考えるべきだろう。

初演

《村の結婚式》は、1818/1819年のカーニヴァル・シーズン中にマントヴァのインペリアル・レージョ劇場 Imperial Regio Teatro で行われた。正確な日付は分かっていないが、シーズンの終わり近くではないかと推測されている。1819年は2月24日が灰の水曜日なので、カーニヴァルシーズンは2月23日まで。
初演の出演者については、《ブルグントのエンリーコ》でタイトルロールを歌った(そして《ばか騒ぎ》にも出演したはずの)ファンニ・エッケルリン Fanny Eckerlin 1802―1842 が主人公であるサビーナ Sabina を歌ったと伝えられているが、確実な証拠があるわけではない。他の役を歌った歌手についてはまったく不明である。
前述の通り、初演の新聞評は見付かっていない。
メレッリが晩年の1875年に出版した回想『80歳のある老音楽愛好家の記憶から拾い集められたドニゼッティとマイールについての伝記的要約 Cenni biografici di Donizetti e Mayr raccolti dalle memorie di un vecchio ottuagenario dilettante di musica』においても、マイールの慈善音楽学校でドニゼッティの学友だったマルコ・ボネージ Marco Bonesi (1796―1874)が1861年7月16日付で書いた手紙『ドニゼッティに関する伝記的覚書 Note biografiche su Donizetti』においても、《村の結婚式》の初演は失敗だったとされている。
失敗の原因として、メレッリは「歌手たちの何人かの、ことにプリマドンナの我が侭と不調」と、ボネージは「おそらくある女声歌手の我が侭によって」と記しており、これはおそらくエッケルリン(まだ18歳くらいだった)が機嫌を損ねたことで上演がうまく行かなかったことを意味していると考えられている。《村の結婚》からおよそ15ヶ月ほど後の1822年4月には、エッケルリンはウィーンのケルントナートール劇場でのロッシーニ《ゼルミーラ》に出演、ロッシーニが彼女ために追加のアリアをわざわざ書き加えている。つまり《村の結婚》初演の頃のエッケルリンは歌手として急速に成長し名声を広げている頃で、既にプリマドンナ然とし始めていたのかもしれない。

ボネージの回想によると、ベルガモに戻ったドニゼッティはひどく落胆し、ボネージに彼の考えを打ち明けたという。「彼は、回りくどく言うことなしに、真の信念を持って、当世の好みを満たすためにはロッシーニの才能に追従する必要があることを私に説き、さらに、少しでも前途が開けば彼の流儀で邁進することに自信を欠きはしないことを、私に語って聞かせた」。ロッシーニ旋風が荒れ狂う時代の中で、若きオペラ作曲家ドニゼッティが、世間のロッシーニ好みを受け入れた上で、自らの音楽を打ち立てていこうと考えていたことが窺える。これはつまり師匠マイール譲りの作風からある程度離れていくことも意味している(マイールはバイエルン生まれで、イタリアオペラの作曲家として大成してもウィーン古典派風の風味を残していた)。ドニゼッティは1820年代、ことにナポリに移ってから、この『追従からの自己確立』を押し進めていくことになる。

再演

マントヴァでの初演の後、《村の結婚式》は2度上演されていることが分かっている。

当時の上演目録に、《村の結婚式》がトレヴィーゾのドルフィン劇場での1820年春のシーズンの3番目の演目として載っている。このトレヴィーゾでの上演についても詳細は不明で、楽譜、台本、新聞評いずれも欠いている。ただ先の上演記目録には《村の結婚式》が新作オペラである Le nozze in villa scritta di nuovo dal Sig. M. Donnizetti とあり、これは初演後にドニゼッティが作品を大きく書き直したことを意味するのではないかと推測されている。

1822年4月、《村の結婚式》はジェノヴァで上演されている。この時の印刷台本は伝わっているのだが、その内容は今日伝わっている唯一の筆写譜(後述)とはかなり異なっているという。公演は5回行われ、4月8、10、13日にサンタゴスティーノ劇場 Teatro Sant'Agostino [注]で、4月20、24日にファルコーネ劇場 Teatro del Falcone で再演されている。出演者などは不明。

注 サンタゴスティーノ劇場は、1701年建築のジェノヴァで最初の公開の劇場。1975年にテアトロ・デッラ・トッセと改称。

楽譜

前述の通り《村の結婚式》のドニゼッティの自筆譜は行方不明である。唯一の筆写譜がパリのフランス国立図書館に残されている。前述の通りジェノヴァでの上演における印刷台本とはかなり相違しているので、マントヴァの上演かトレヴィーゾの上演かどちらかに関連しているものと考えられる。ただし第2幕の五重唱が欠落しており、そのままでは上演に使えない。そのため《村の結婚式》は長らく蘇演がなされなかった。
ベルガモのドニゼッティ財団が《村の結婚式》のクリティカルエディションの制作に乗り出し、エドアルド・カヴァッリ Edoardo Cavalli とマリア・キアーラ・ベルティエーリ Maria Chiara Bertieri が校訂、欠落していた第2幕の五重唱はエリオ・タニカ Elio Tanica とロッコ・タニカ Rocco Tanica、さらにエンリコ・メロッツィ Enrico Melozzi によって新たに書き上げられた。
このクリティカルエディションによる蘇演は2020年のフェスティヴァル・ドニゼッティ・オペラで行われたが、新型ウィルス禍によって非公開上演の映像収録となった。

あらすじ

第1幕 村の教師、トリフォーリオが授業をしていると、代官のペトローニオが彼を探しに来る。彼は彼の娘サビーナとトリフォーリオを結婚させようというのだ。しかしペトローニオは娘と相談しておらず、トリフォーニオは話を疑った。そのサビーナは、クラウディオという若者の肖像画を見ながら悲しみに暮れていた。彼女は彼と恋に落ちていたのだが、何度も約束してくれたにもかかわらず、彼は姿を見せなかったのだ。祖母のアナスタシアがやって来るので、サビーナは肖像画を隠すが、祖母はそれを見逃すことはなかった。サビーナは咄嗟に、それは皆に愛される王の姿を想像で書いたものと誤魔化す。祖母は肖像画を取り上げる。その時、ペトローニオがトリフォーリオを伴って現れ、娘に彼が将来の夫だと紹介し、トリフォーリオは不格好にサビーナに愛を打ち明ける。
そうこうしている間に一通の手紙が届く。それはペトローニオに、位の高い紳士が到着することを知らせるものだった。サビーナはその紳士がクラウディオだと気付き驚く。アナスタシアは、やって来たのがサビーナの持っていた肖像画の人物だと気付き、王が家にやって来たと思って失神する。サビーナとクラウディオがお互いの誠実さを誓い合っていると、君主と思われる人物をもてなそうとするペトローニオに邪魔される。クラウディオは事情を説明するよう求め、皆が落胆する中、サビーナは誤解を説明しなくてはならなかった。

第2幕
激怒したペトローニオは考えを変えることなくサビーナをトリフォーリオと結婚させるつもりでいる。結婚式の準備が急ぎ進んでいる。一方クラウディオはトリフォーリオに接触し疑念を吹き込むが、トリフォーリオは若い花嫁の愛を確信しているとやり返す。
クラウディオはサビーナを空しく待っている。ようやくサビーナが現れ、二人は暗闇に隠れ改めて愛を確かめ合う。するとギターの音が聞こえる。トリフォーリオが未来の花嫁にセレナータを奏でているのだ。そこに館の住人全員が灯りを点けて逢引の現場を押さえる。ここでトリフォーニオは、結婚証書にはまだ署名していない、サビーナと結婚したいとはもう思っていない、花嫁の持参金が目当てだった、と打ち明ける。するとペトローニオは、トリフォーリオが浪費した物の長々とした一覧を示す。トリフォーリオは婚約を破棄する。 クラウディオは屈することなく、頑迷なペトローニオを宥め、持参金も不要と説得、ついにペトローニオも折れて、サビーナとクラウディオは結ばれる。

参考資料

William Ashbrook / Donizetti and his Operas / CAMBRIDE UNIVERSITY PRESS / Cambridge / 1983 /ISBN 0-521-27663-2
William Ashbrook / Donizetti La vita / EDT / Torino / 1986 / ISBN 88-7063-041-2
Guido Zavadini / Donizetti / ISTITUTO ITALIANO D'ARTI GRAFICHE / Bergamo / 1948
ガエターノ・ドニゼッティ ロマン派音楽家の生涯と作品 / グリエルモ・バルブラン,ブルーノ・ザノリーニ / 高橋 和恵 訳 / 昭和音楽大学 / 神奈川県 / 1998 / ISBN4-9980713-0-0

DYNAMIC
Blu-ray Disc
57908
EAN 8007144579081

DVD
37908
EAN 8007144379087

CD
CDS 7908
EAN 8007144079086
SabinaGaia Petrone
Don PetronioOmar Montanari
TrifoglioFabio Capitanucci
ClaudioGiorgio Misseri
AnastasiaManuela Custer
RosauraClaudia Urru
AnselmoDaniele Lettieri

Orchestra Gli Originali
Direttore e fortepianoStefano Montanari
Coro Donizetti Opera
Maestro del CoroFabio Tartari

RegiaDavide Marranchelli
SceneAnna Bonomelli
CostumiLinda Riccardi
Lighting designAlessandro Carletti
Assistente alla regia Caterina Denti
Assistente alle luciLudovico Gobbi

Teatro Donizetti, Bergamo
22 November 2020

フェスティヴァル・ドニゼッティ・オペラ2020年での近代蘇演の収録。ただしウィルス禍で観客を入れられなかったため、無観客で平土間で歌い演じている。

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