オペラ御殿 メインメニュー
ドニゼッティ御殿 目次



GAETANO DONIZETTI

LE NOZZE IN VILLA



Mantova, Teatro Vecchio, durante la stagione del carnevale 1820/1821
Genova, Teatro Sant'Agostino, primavera 1822



Mantova, Teatro Vecchio, durante la stagione del carnevale 1820/1821

2幕の滑稽劇 Dramma buffa in due atti
初演 1820/1821年のカーニヴァル・シーズン中 マントヴァ ヴェッキオ劇場
台本 バルトロメオ・メレッリ Bartolomeo Merelli
原作 アウグスト・フォン・コツェブエ August von Kotzebue(1761−1819)の戯曲『ドイツの小都市の住民 Die deutschen Kleinstädter』



作曲
 この《村の結婚式》に関する情報は乏しい。
 おそらく、《ブルグントのエンリーコ》や《ばか騒ぎ》の上演を手掛けたパオロ・ザンクラの一座のための作品ではないかと考えられているが、今のところ確たる証拠はない。台本は、両作品と同じくバルトロメオ・メレッリが台本を書いた。

 作曲時期については、少なくともその一部が1819年夏までに書かれたことが分かっている。師匠ジョヴァンニ・シモーネ・マイールの音楽学校において、1819年の学年度末(つまり夏休み前)に、門下生たちによるパスティッチョ《旅回りの小音楽家たち I piccoli virtuosi ambulanti》が上演されたのだが、その中にドニゼッティ作の《村の結婚式》のアリアが含まれているのだ(ちなみにドニゼッティは《旅回りの小音楽家たち》の導入部の音楽も提供している)。仮に1819年夏までにある程度《村の結婚式》の作曲が進んでいたとすると、先に初演された《ピエトロ大帝》よりも前に制作された作品ということになる。《ピエトロ大帝》が1819年12月26日に初演されていることからすると、《村の結婚式》は本来1819年の秋(11月?)に上演される予定で制作されのだが、何らかの事情で流れて、作曲からおよそ1年半後になってようやく初演された、という推測もできる。


初演
 初演は1820/1821年のカーニヴァル・シーズン中に、マントヴァのヴェッキオ劇場で行われた。正確な日付は分かっていない。
 初演の出演者については、《ブルグントのエンリーコ》でタイトルロールを歌った(そして《ばか騒ぎ》にも出演したはずの)ファンニ・エッケルリン Fanny Eckerlin (1802―1842)が主人公であるサビーナ Sabina を歌ったと伝えられている(ただし確実な証拠があるわけではない)。他の役を歌った歌手についてはまったく不明。

 初演の当時の新聞評は発見されていないが、メレッリが晩年の1875年に出版した回想『80歳のある老音楽愛好家の記憶から拾い集められたドニゼッティとマイールについての伝記的要約 Cenni biografici di Donizetti e Mayr raccolti dalle memorie di un vecchio ottuagenario dilettante di musica』においても、マイールの慈善音楽学校でドニゼッティの学友だったマルコ・ボネージ Marco Bonesi (1796―1874)が1861年7月16日付で書いた手紙『ドニゼッティに関する伝記的覚書 Note biografiche su Donizetti』においても、《村の結婚式》の初演は失敗だったとされている。
 失敗の原因として、メレッリは「歌手たちの何人かの、ことにプリマドンナの我が侭と不調」と、ボネージは「おそらくある女声歌手の我が侭によって」と記しており、これはおそらくエッケルリン(まだ18歳くらいだった)が機嫌を損ねたことで上演がうまく行かなかったことを意味していると考えられている。《村の結婚》からおよそ15ヶ月ほど後の1822年4月には、エッケルリンはウィーンのケルントナートール劇場でのロッシーニ《ゼルミーラ》に出演、ロッシーニが彼女ために追加のアリアをわざわざ書き加えている。つまり《村の結婚》初演の頃のエッケルリンは歌手として急速に成長し名声を広げている頃で、既にプリマドンナ然とし始めていたのかもしれない。

 ボネージの回想によると、ベルガモに戻ったドニゼッティはひどく落胆し、ボネージに彼の考えを打ち明けたという。「彼は、回りくどく言うことなしに、真の信念を持って、当世の好みを満たすためにはロッシーニの才能に追従する必要があることを私に説き、さらに、少しでも前途が開けば彼の流儀で邁進することに自信を欠きはしないことを、私に語って聞かせた」。ロッシーニ旋風が荒れ狂う時代の中で、若きオペラ作曲家ドニゼッティが、世間のロッシーニ好みを受け入れた上で、自らの音楽を打ち立てていこうと考えていたことが窺える。これはつまり師匠マイール譲りの作風からある程度離れていくことも意味している(マイールはバイエルン生まれで、イタリアオペラの作曲家として大成してもウィーン古典派風の風味を残していた)。ドニゼッティは1820年代、ことにナポリに移ってから、この『追従からの自己確立』を押し進めていくことになる。


楽譜
 《村の結婚式》のドニゼッティの自筆譜は行方不明である。唯一の筆写譜がパリのフランス国立図書館に残されているが、これがどういった経緯で作られた筆写譜なのかは不明で、マントヴァでの初演の楽譜の写しと断言はできない。また、重要な五重唱が失われているなどの不備があり、現状ではそのまま上演に用いることができない。


Genova, Teatro Sant'Agostino, primavera 1822


ジェノヴァでの再演
 初演が失敗だったにもかかわらず、《村の結婚式》は、1822年の春、ジェノヴァのサンタゴスティーノ劇場 Teatro Sant'Agostino [注]で再演されている。上演の詳細は分かっていない。
 このジェノヴァでの再演の際の台本は残されているが、これはパリの筆写譜と比べ歌詞に(そして台本によって示される楽曲にも)大きな相違があるという。


注 サンタゴスティーノ劇場は、1701年建築のジェノヴァで最初の公開の劇場。1975年にテアトロ・デッラ・トッセと改称。


参考資料
William Ashbrook / Donizetti and his Operas / CAMBRIDE UNIVERSITY PRESS / Cambridge / 1983 /ISBN 0-521-27663-2
William Ashbrook / Donizetti La vita / EDT / Torino / 1986 / ISBN 88-7063-041-2
Guido Zavadini / Donizetti / ISTITUTO ITALIANO D'ARTI GRAFICHE / Bergamo / 1948
ガエターノ・ドニゼッティ ロマン派音楽家の生涯と作品 / グリエルモ・バルブラン,ブルーノ・ザノリーニ / 高橋 和恵 訳 / 昭和音楽大学 / 神奈川県 / 1998 / ISBN4-9980713-0-0


Sabina
Don Petronio
Claudio

Diana Montague
Jonathan Viera
Paul Nilon

Philharmonia Orchestra
David Parry

All Saints Church Tooting, Conway Hall, CTS Studios Wembley and Henry Wood Hall, London
June 1988 - March 1993
OPERA RARA ORCH104

三重唱 In lei vegg'io l'oggetto を収録。






ドニゼッティ御殿 目次
オペラ御殿 メインメニューに戻る